黒尾鉄朗


普段、部活について以外であれこれ考える事は無いのだがここ最近俺の頭を悩ませている人物がいる。

幼馴染みのすみれはよくできたマネージャーだし、誰にでも分け隔てなく接する人格を持つ自慢の幼馴染みであった。どうして俺が勝手に「自慢の」と思っているのかはさて置き、とにかく俺が胸を張って「あいつ幼馴染み」とドヤ顔で言えるほどの女の子。


「成程、お前すみれちゃんが好きなんだ」


部活は休みだが音駒の体育館を借りて練習していたある日、木兎が体育館内に響き渡る大声で言った。
ここには今日、俺と研磨と木兎と赤葦・という気のおけない面子しか居ないから良いものの。そんなデリケートな事を木兎の声量で言われるとかなり恥ずかしいが、まあその通りだ。しかし。


「いちいち木兎に言われると腹立つ」
「ひっでぇ、思い悩んでるから声かけてやったのにー」


こいつに気づかれるほど俺は思い悩んでいたのだろうか。

実は最近すみれが俺に対してよそよそしい。マネージャーとしては普通に接してくれているのだが、それ以外の場面つまり登下校中や教室内などでは目が合えば逸らされ、話しかければ軽く躱されるのだ。これは陰ながら惚れている身としてはかなりショックである。


「すみれが最近クロに冷たいらしいよ」


研磨はスマホを片手にいつもと変わらない口調で言った。
「明日は雨だよ」みたいなノリで。


俺がすみれを女子として認識し始めたのはここ最近のことである。
それまでは幼馴染み兼マネージャーという「指示がしやすくて便利な存在」だったのだが、ある時クラスの男にすみれの連絡先を聞かれた。そいつはすみれを気に入っているらしく幼馴染みである俺から連絡先を聞き出したかったらしい、だから俺はそいつに教えた。もちろん「教えていい?」と本人に了承を取った上で。


しかし、彼女の連絡先を教えた瞬間の嬉しそうな男の顔を見た時に、なにか取り返しのつかない事をしたのではないかと気付いた。
すみれを他の男になんか渡したくないという気持ちが沸いてきたのだ。


「勝手なヤツだなーお前」


要約して伝えると、木兎が呆れたようにそう言った。ああ勝手だとも分かっているとも、今まで意識していなかった幼馴染みが他の男と付き合う可能性があると知った途端に支配欲が湧くなんて。


「…分かってるけどやっぱり木兎に言われると腹立つわ」
「なにぃ?」
「あんまり木兎さんを馬鹿にするのは止して下さい。木兎さんはこれでも片想いや失恋の経験あるんですよ」
「一度も実ってねえのかよ」
「俺の話はいい!黒尾の話だろ!」


木兎が人並みの恋愛をしてきたなんて悔しくて信じたくないな。

俺だって中学のころ、また去年までの高校生活で誰かを好きになったり付き合ったりした事はある。それは研磨もすみれも知っている。俺に彼女が出来ればすみれは自然と距離を置くなどの空気が読める賢い女だった。
しかし今まさにすみれを好きだというのに避けられているとは。


「何で避けられてるか、心当たり無いんですか」
「うーん…ある?研磨」
「おれに聞かないでよ…」


今この場所で、俺の次に彼女と親しいのは同じく幼馴染みの研磨だ。研磨の観察眼は素晴らしくいつもそれに助けられているので、こいつなら何か分かるかも知れないと思ったのだが。
研磨はスマホに視線を落としたまま黙っていたが、やがて口を開いた。


「…けど、」
「けど?」
「多分これかなっていう事はあるよ」
「お?何?」


俺が聞き返す前に木兎が食いついた。


「あいつにすみれの連絡先教えたでしょ」


あいつとは例の男で俺のクラスメートだ。研磨は昼休憩によく俺のクラスへやってくるので、そいつの事を顔だけは知っている。(ちなみに何故研磨が俺のクラスに来るのかと言うと、自分の教室は騒がしいので居づらいのだそうだ)


「…教えたけど?ちゃんと教えていいかって聞いたんだけどな」
「それだよ」
「どれよ?」
「自分で考えなよ…」
「考えても分からないんですが」
「フッフ。俺は分かったぜ黒尾よ」


木兎が勝ち誇ったような顔で言った。やはりこいつに先を越されるのは腹が立つ…って、あんまり木兎を甘く見てはいけないと頭では分かっているのだが。


「すみれちゃんって、黒尾の事がスキなんじゃねーの?」


自信満々に言い放たれたその言葉は俺が予想だにしなかった事だったので、俺は呆れて手を振った。


「はー?真面目に考えろフクロウ野郎」
「真面目なんですけど!」
「木兎さんが正しいと思う」
「え」


研磨が珍しく自分から口を挟んできた。それにも驚いたし、木兎が正しいという意見にも驚いて固まってしまった。更に続けて赤葦が靴紐を結び直しながら口を開く。


「俺も木兎さんが正しいと思います」
「ええ、赤葦まで」


このメンバーの中では割と一般常識を兼ね備えた男から言われると、本当に木兎の言う通りなのかと思えてしまう。すみれが俺の事を好きだとか考えた事も無かったし、俺自身自分の恋心に気付いたばかりで困惑しているのだ。

そのとき、研磨がスマホの画面から目を離し体育館の入口を見やった。


「本人に聞くのがいいよ」


そして、こう言ったのだ。
俺も釣られて研磨の視線の先を追うと、そこにすみれが立っているではないか。


「すみれ?あれ、何で」
「練習の差し入れ要るかって聞かれたから、お願いって頼んどいた」
「みんなお疲れ様ー。はい研磨」
「ありがと」


どうやら研磨と連絡を取り合っていたようで、頼んでいたらしいお菓子やらパンやらの袋を研磨に渡している。続いて俺にも小さな袋を差し出してきた。


「はい」


すみれの目は俺を見ておらず、床を見ている・あるいは焦点が定まっていない。その雰囲気にビビってしまった俺は恐る恐る受け取った。


「……どうも」


中身は俺の好きなカレーパンが入っていた。駅前のパン屋のものだ。ここのは中の具が大きくカットされていて、牛肉もごろごろ入っているのでお気に入りなのである。
最近の俺への態度とは裏腹に、わざわざ俺の好きなものを差し入れてくるのはどういう事だろう。


「クロ、喉乾いた」


黙って考え込んでいると、ビニール袋を漁りながら研磨が言った。


「…え?」
「喉乾いた。」
「おお、俺もー」
「俺もです」
「買ってきて」


研磨はその大きな目で俺を見た後、続けてすみれへも顔を向けた。





「飲み物くらい自分で買えよなー」


体育館から一番近い自販機も、歩いて数分かかる場所にある。すみれと一緒に無言で居るのが苦しくて気まずくて、何か言わなきゃなあと思うが丁度いい台詞は浮かばない。しかしすみれがやっぱり何か機嫌を損ねているのだけは感じ取れた。


「…何かお怒り?」
「べつに」


嘘つけめちゃくちゃ怒ってんじゃん。普段「べつに」なんて言い方しないくせに。
好きな女の子が怒っている時の正しい接し方とは何なのか。記憶をたどってみるが今まで読んだ本の中にも、観た事のあるテレビの中にも、もちろん自分の過去の経験にもヒントは無い。


「…そういや、あいつと連絡取ってんの?」


何も浮かんでこなかった結果、こんな事しか出てこなかった。しかし途端にすみれはものすごい勢いで俺を見上げ、ものすごく目玉をひん剥いて睨んできた。


「べつに!」
「………怒んなよ…」
「怒ってない」
「嘘つけ。冷静だったらそんな喋り方しねえだろ」
「………」
「すみれサーン?」


そのように名前を呼んだあと、しまったなぁと思った。
女の子とのこういう暗い空気、真剣な空気はとても苦手だ。だからついつい声色を変えておどけてしまうんだが、すみれに対してはマイナス効果でしかない。
物心ついてから何度かすみれと喧嘩をしたが(内容なんか覚えていないほどの下らない喧嘩だ)、決まって俺がこういう喋り方をすると更に怒り狂うのだった。

しかし今は何も言い返してこない。
おかしい。


「……すみれ?」


冗談じゃなく幽体離脱でもしてんのかと心配になり顔を覗き込むとあらびっくり、とても言葉では言い表せないような悲しい顔をしていた。涙を我慢しているような。

この顔には見覚えがあった。中学の時、片想いしていた同級生に彼女がいる事を知ってしまった時にも同じように涙を堪えていた、あの表情と同じである。


「…なんなのアンタは、私に他の男の子と仲良くしてほしいの」
「え……」
「私の連絡先なんか教えちゃってさ!!」
「へっ?」


連絡先は確かに教えた。しかし何度も言うが勝手に教えたわけではない。それを反論しようと口を開きかけた時、研磨の「それだよ」という言葉を思い出した。
俺が、クラスの男にすみれの連絡先を教えたことが原因なのだと。


「鉄朗は私が他の男子と付き合っても、何も思わないの?」
「………俺、が?」
「好きにしろって思ってるの?」


ここで初めて合点がいった。すみれは木兎のいうとおり俺の事を好きなのではないかと考えた時、全てが繋がったのである。
そういえばすみれの態度が変わったのは、「あいつに連絡先教えていい?」と聞いてから。


「…好きにしろとは、思ってねえけど」


だって俺、お前が好きなんだもん。というのをいつどのタイミングで言えばいいものか計り兼ねた。まだすみれの想い人が俺であるという確信はないからだ。


「けど、何?」
「……」


しかし男一匹黒尾鉄朗、惚れた女の子に自分の想いひとつ伝えられないようでは男が廃る。その上、タマ付いてんのか?と木兎に馬鹿にされるのだけは避けたい。


「好きにしろなんて思ってねえよ」
「……じゃあ?」
「ほんとはあいつに、すみれの連絡先なんか教えたくなかったって事」
「………な…」


教えてから後悔したけれども、よくよく考えれば教えたくなんか無かったのだ。


「…って、後になって自分の気持ちに気付いちゃいました」
「……ナニソレ。」
「いやはや」
「いやはや、じゃない!」
「ごめんって。すみれ、びっくりするくらい好きです本当に」


すみれはずっと俺の幼馴染みで、好きな男ができても告白する勇気も無いような女の子で、片想いの相手に彼女が出来たのを知ってからようやく諦める。かなりの時間をかけて、だ。

そんなすみれが同級生の、あまり彼女のことをよく知らない男のものになるなんて気分のいいもんじゃない。このもやもやした気持ちは何だろうなぁと考えてみたら答えはすぐに出た。


「………仕方ないなぁ、」


そう言ってすみれは顔を伏せた。

俺や研磨が何か頼みごとをした時、おだてた時、それが自分にとっての誇りである時にはいつもこんな態度を取る。「嬉しくて仕方がない」といった顔をするのだ。


「悪いね、仕方ないかも知んないけど付き合ってください」


俺が右手を差し出すと、すみれも右手を出して握手を交わした。これは昔から喧嘩の仲直りをする時のお決まりだ。ただ今回はただの仲直りではないので、少し恥ずかしいけど空いている手ですみれの頭を撫でてみたりした。


「……仕方ないけど、付き合ってあげるよ」


わざとらしくむすっとした声で言ってみせるすみれの姿を見て俺は思った。こういう態度、俺の理想にぴったりだ。
けれどあまり虐めすぎるとまた御機嫌斜めになるかもしれないので、彼氏という立場でどこまで調子に乗れるかを探るのが今後の課題になるだろうな。

「んじゃ戻ろっか」と握手していた手を離し、今度はすみれの右手に対し左手を差し出すことで幼少期ぶりに手を繋いだのだった。

そして、みんなの飲み物を買うのはすっかり忘れてた。

少年少女のマリアージュ

ゆんこ様より、幼馴染みから抜け出したい黒尾に木兎赤葦研磨が応援(お節介)・というリクエストでした。恋に不器用な黒尾さんもなかなか良いですね…!ちょっとシチュエーションが無理やりだったらごめんなさい!でも楽しかったです♪ありがとうございました!