矢巾秀


付き合い始めてから「3」のつく時期は危険だと言われている。3週間目、3ヶ月目、3年目。さすがに3週間目は付き合い出したばかりのテンションがあったから危ない事は何も無かった。しかし、3ヶ月目を来週に控えた今日のこと。


今日は火曜日だから秀には部活があるはずなので放課後の約束はせず、ひとりで駅前の本屋さんなんかをブラブラしていた。すると秀が、知らない女の子と手を繋いで歩いているのを発見してしまったのだ。
私が彼を発見しただけならまだ良かったのかも知れない。彼も私を発見し、互いに硬直したものだからさあ大変。


いや大変なことなんて何もない、浮気されたんだ。部活だと思っていたのに。私は何も大変じゃない。秀が浮気しやがった、ただそれだけ。


しばらく停止してから無言で踵を返し歩き始めた私を、秀が追いかけてくることは無かった。





「………うっ、うぅ、もうサイアクだよ」


帰りの電車では泣くのを堪えるのが精一杯で、最寄り駅についてから家までの道のりでは人通りが少ないのも相まって寂しさが募り歩きながら泣いてしまった。


このまま家に帰りまくないから「3のつく時期は危険だよ」と教えてくれた友達へ、家と駅との中間地点にある公園で電話をする事に。


『あちゃー』
「あちゃーだよホント!…あっ!?」
『なに?』
「……着信が来てる」
『無視して。とりあえず無視』


秀からの着信を無視し、そのまま友達との電話を続けるがいっこうに鳴り止まない。自分が浮気したくせに何なんだ。
あれを「実は家族」「実は親戚」とか今更言われたとしても手を繋いでるのを見てしまったのだから、言い逃れは出来ない。浮気だ。


「……どうしよう…?もう、駄目だよね」
「まずは落ち着いたら矢巾と話してみなよ」
「……何を話せば」
「とりあえず、話す前に一旦死刑に処して」


そうだ浮気は重罪だ。付き合ったばかりの頃に「絶対浮気禁止だからね」なんて話をして「しませんー」って言ったくせに詐欺である。浮気の罪に詐欺の罪、これは死刑で間違いない。





それから夜までたびたび秀からの鬼着信があったものの、心の整理がつかなくて出ることは出来なかった。
眠れないまま朝になり、鉛のように重い瞼と脚に鞭打って学校へ。困ったことに秀とは同じクラスだ。彼は朝練に出てからギリギリで教室に入ってくるから、私は登校後眠るふりをして机に突っ伏しておく事にした。


教室内ががやがやし始め、朝練を終えた運動部が入ってき始めたかなと感じる。
ちらりと腕の間から顔を出して周囲の様子を伺おうとすると、ある一人の人物に阻まれて教室内が見渡せなかった。…秀がすぐ横に立ってる。


「すみれ、えっと」


何かを言おうとしているが、今更何を言おうというのか。その罪悪感に満ちた顔を見れば、あれが間違いなく浮気であったことが確信できた。


「すみれ、トイレいこ!」
「…え」


私と秀の姿を発見した友達が私の名を呼び、ふたりともびくりと反応した。
友達は席まで来てくれて私の腕を取り立ち上がらせると、秀に向かって憎悪に満ちた顔を向け、私をトイレへ連行した。


「とりあえず無視したらいいよ、気持ちが落ち着くまでは」
「………」
「けど、一回はちゃんと話すんだよ」
「……ん」


話すったって、何を話せばいいの?私は誰かと付き合うのも初めてで、秀とこのままずっと付き合っていつかは結婚するものだと思ってた。それを前面に出していたのが重かったのかな。


「………一限目、休みなよ」


トイレで大泣きを始めた私に、友達が優しく声をかけてくれた。





休むと言っても保健室に行くような気分ではなく、いわゆる「サボり」というものを人生で初めて体験している。ありきたりながら屋上はサボりにうってつけの場所で、まだ一限目であるせいか他にサボっている生徒は全く居なかった。


「………秀…の…クソ馬鹿野郎」


まだ大好きなのは勿論だけど、悲しみと怒りはとてつもない。馬鹿野郎、ゴミ野郎、クズ野郎等とひと通りの悪口を呟いているとスマホが震えた。…秀からの電話だ。


「……え」


今は授業中のはず。どうして電話なんか寄越すんだろう。例え休憩時間だったとしても電話に出る気は起こらない。着信を無視していると、次はメッセージが来た。


『どこ?俺もサボった』


なんと、彼も授業をサボっているらしい。浮気に続き授業をサボるという罪を重ねて何がしたいのか。


『探さないでください』


会う気にはなれなくて上記のメッセージを打ち込んだ。しかし送信してから一分も経たないうちに屋上のドアが開き、息を切らした秀が現れたのだ。


「……お前…こんなとこ…何してんだ、よ」


随分と走り回ったのか階段を駆け上がったのか、彼の息は絶え絶えだった。ドアを閉めてそのままもたれかかり、呼吸を整えている。私はそれを無言で見つめる。
だってなんて言えばいいのか分からないんだもん、この犯罪者に対して。


「…探さないでくださいとか…家出か」
「…………」
「……いや。違うよな。違う…そんなこと言いたいんじゃなくて」


秀は独り言を続けながら片手で頭をかいて、空いたほうの手はやり場に困っているようで腰に当てたりズボンを握ったりしながら近づいてきた。


「…ごめん」


そして、私のそばまで来るとぽつりと言った。その謝罪の言葉に全てが込められている。「もしかして勘違いかも、人違いかも?」というかすかな希望は消え去った。


「やっぱり浮気したんだ」
「……した。」
「楽しかった?私に部活って嘘ついて他の子とあんな風に歩くのは」


秀は全く楽しそうな顔をしていないけど、ついつい嫌味っぽい言葉が出てしまう。こんな言い方では解決に繋がらないと頭では分かっているのに、どうしても悲しみや苛々が先行する。

しかしいつもなら言い返してくる秀なのに、座り込んだ私の姿を静かに見下ろしていた。


「…昨日は偶然部活は休みだったんだ」
「そんな事どうでもいいよ」
「……ごめん」
「…あの人のことが好きなの?」


彼が昨日手を繋いでいた人。
髪は今流行りのボブでふわふわしていた、男の子なら誰しも隣を歩きたいと思わせるような華があった。きっと秀は彼女の事が好きなのだ。


「好きじゃない」


…いっそ「好き」と答えてくれたら良かったのに。


「…じゃあ何であんな事するの?私が重いから?今もウザイって思ってるでしょ私の事、それぐらいで泣くなって思ってるくせに!」
「思ってねえよ…」


うそつき。と言い放ってやりたいのに、その四文字すら発せられないほど涙が溢れた。泣くのを堪えるのに精一杯で、とても皮肉を言う余裕がない。


「…ホント出来心だったんだよ。他の子とも遊んでみたいなって。けど…」


秀が一歩近づいた。来ないで、という意味を込めて左手を伸ばし制止する。でも私の力が抜けた腕をすり抜けて秀が目の前にかがんだ。いやだ、泣き顔見られる。


「すみれと会って、すみれの顔を見た時、ああとんでもない事したんだって思った」
「…じゃあすぐ追いかけてきてよ」
「ごめん。相手の子に説教受けてた…」
「……はい?」
「彼女の気持ち考えろクズ野郎って」


このどうしようもない男の話を聞いたところ、あの女の子には彼女が居ることを黙っていたらしい。かなり悪質だ。

そして昨日私と出くわした時、私と秀の様子を見たあの子は不審に思い問いただしたところ激怒したとの事。…あの子に罪はなかったらしい。むしろ素晴らしい女性だ。反対に目の前で座り悲しそうな顔をするこの男は小さく見える。


「俺、こんな情けないの初めてだよ。ずっとすみれが頭から離れなくて。気づいた時にはもう遅いけど」
「………遅いよ。ほんとに」
「絶対にもうしないから」


一度は信じていた、というか「自分が浮気されるなんて有り得ない」と疑わなかったもんだから衝撃は凄まじかった。
「浮気されるわけない」と思い上がっていたのではなく、「私達はずっとラブラブでこのまま結婚するんだ」と脳内お花畑だったのだ。


「……信じられないよ」


これも、今自分に出来る精一杯の皮肉を込めて言ってみる。いつもの秀は否定的な言葉に対し反発するのだが、


「…うん。だよな…」


…今日は全く様子が違う。
それには私のほうが調子が狂ってしまい、少しかちんと来てしまった。


「そこはさぁ、信じろ!って自信持って言うところじゃないの?」
「いや…自信持ったところで逆に怪しいだろ信用できないだろ!?」
「だからって引き下がるの早すぎ!」
「な、」


秀も私の言い草にかちんと来たようだったが、すぐに事の発端が自分である事を思い出したようで大人しくなる。再び頭をかきむしり、かなりの時間を開けて言った。


「……じゃあ信じろよ」
「無理」
「無理なのかよホラ見ろ!」
「すぐには無理だもん」


ヤンキー座りの彼に対して体育座りをしている私はじっと秀を睨んだ。けど、その顔を見れば見るほど悲しくなって虚しくなって泣けてくる。


「…私、付き合ったの初めてなんだよ。だから浮気されたのも初めてで」
「…………」
「…凄いショックだったんだもん」
「ごめん…」


秀がそう言いながらカーディガンを脱いだ。何をするのかと思えば、座っている私の脚にそれを掛けて露出を防いでくれたようだ。…青城のカーディガンはちょっといい素材で出来ているのか、秀の体温を感じるせいかとても心地いい。

だから少しだけ、浮気されるのって自分にも原因があるんじゃないか?とさえ思えてきた。


「……私が重かったせい?」
「重くねえよ」
「うそだ」
「重くねえっつってんじゃん」


口ではそう言うものの、私はきっと男女の関係についてはウェットなほうだ。付き合うイコール結婚、という考えなのだから。


「……いつかは秀と結婚したいなって思ってたとしても?」


こんな事、高校生のうちから言われたら絶対に引かれる。でも今後浮気されるくらいなら、先に私の地雷を伝えておくほうが良い。秀のほうから私にドン引きして去ってくれればいいんだ。

秀は私の結婚発言を聞いて目を丸くした。固まってしばらく口が聞けないようだ。そして、私の膝にかかった彼自身のカーディガンをぐしゃりと握った。


「………なんだよ…くそ…最低だ」
「え」
「俺、ますます最低」


しわくちゃになったカーディガンから手を離したかと思うと、その手は壁に背中を預けた私の肩に置かれた。


「そんなにすみれが思ってくれてるのに浮気するなんて、人間の屑だ」


秀は声だけでなく手震えていた。顔がうつむき気味なのは、もしかして泣くのを堪えているのだろうか?


「……重くないの?」
「重いわけ無いだろ」


秀が顔を上げた。あ、目が少しだけ充血してるなと感じたのはほんの一瞬で、すぐに彼の顔は視界から消えた。ぐんと引き寄せられ、私の後頭部を大きな手で抑え髪の毛ごとぐしゃっと掴まれるのを感じた。
心臓には秀の体温。視界の端には秀のふわふわした髪が。


「約束させて、もう一回」


そして耳元では、再度の誓いを交わそうと願う声が。互いの体温が高いせいで頭がぼうっとして、私の思考能力は停止してしまった。


「……次やったら、死刑だよ…」


「二度と御免だ!」と怒鳴ってやるはずだったのに、シミュレーションの中では。現実の私はすんなり秀の首に手を回し、この一度だけ罪を許す事とした。

プライム・クライム

光希様より、矢巾くんと浮気からの仲直り・というリクエストでした。矢巾くんがまさかの浮気相手にも説教される展開になりました。これで彼も今後は浮気しないでしょう…!ありがとうございました!