岩泉一


できるだけ彼の試合は観に行くようにしている。はじめがスパイクを打つ姿も拾う姿も格好いいし、そんな彼を見て周りの女の子が黄色い声を上げるのも気持ちがいい。
岩泉一は高校卒業と同時に想いが通じあった私の最初で最後の恋人だ。…最後かどうかはさて置いて、最初の恋人。


その日、はじめからはいつも通りに連絡があった。『今日来る?』というシンプルな文章でのメッセージが届き、それに対して『行くよ〜』といつもの通りに返す。それはこれまで何十回もしてきたやり取りだったので、特になんとも思わなかった。


会場に着くと、観客席の女性の多いこと。無理もない、はじめのチームには何故だか腐れ縁の及川徹が居るのだ。てっきり成人してから所属するチームぐらい別々になるかと思っていたのに、どちらが望んだのか今だにタッグを組んでいる。
あわせて今日の試合の相手は徹の憎き相手である影山飛雄なもんだから、色々なバリエーションのイケメンを拝められるこの試合会場はアイドル顔負けの盛り上がりを見せていた。


『ついた。今日も頑張ってね』


これもいつも通りで到着した旨を送ると、何故か徹のほうからメッセージが来た。


『どこ座ってんの?』
『言いません』
『教えろ』
『言いません』
『バーカ』


こいつは試合前に何やってるんだか。
徹のメッセージには既読をつけてしまったけれど無視しておく。どうせ間もなく選手は入場してくるんだし、私はいつも、どこからでもはじめの姿を追うことが出来る場所にしか座らないんだし。


そのうち選手がコートに入り始め、そこには徹のやはじめの姿があった。ちゃんと影山にも挨拶をしている様子だ。
そりゃあそうだよね、25歳にもなって後輩に向かって嫌味ったらしくあっかんべーなんてしないよね。…あ、しやがった。


「あ、すみれ見っけー」


突然後ろから名前を呼ばれて振り返ると、同級生の花巻松川ペアが現れた。
「花巻松川ペア」ってダブルスでも組んでるような呼び方だけど、この二人は今その呼び名でバレーボール界に名を馳せている。


「ふたりとも珍しいね」
「そっか?まあ観に来るのは久しぶりかな」
「マッキー彼女は?」
「今日はお仕事だそーです」
「えー会いたかったなぁ」


マッキーの彼女は大学で知り合ったらしい女の子で、お調子者の彼をうまく手のひらで転がせるタイプの子だ。そしてマッキーは自分が転がされている事に気づいてないもんだから、その手腕は素晴らしい。


「それはさておき岩泉、気合い入ってんね」
「そう?いつもと変わんない気がするけど」
「何となく。なあ」
「おう」


基本的にはじめはいつも気合を入れて試合に臨むので、特別な何かを感じることは無かった。ここからは距離があるし、彼の周りをうろちょろする徹のせいで気が散っていたから。


しかし試合が始まると、花巻松川ペアの言わんとすることが分かった。徹はなんだかいつも以上にはじめに活躍の場を与えようとするし、影山への無駄なアピールも少ないかに見える。
はじめは徹からのトスに応えて点を決めまくり、ハイタッチのし過ぎで手が腫れるのではないかと不安になるほどだった。





『岩泉選手は素晴らしい活躍でしたね!』


試合後のインタビューでは会場中の誰もが納得するはじめが選ばれて、壇上でマイクを向けられている。
はじめがインタビューに答えるのは初めてではないけど、こうして彼が目立ってくれるのはとても名誉な事だった。私にとっても。


「岩泉選手は素晴らしい活躍でしたねぇ」


私の横でインタビュアーと同じ台詞を言うマッキーの顔は、にやにやを隠せていない。


「何その顔。きもいし」
「グサッ!」
「はじめは毎回活躍してますし」
「大好きかよ」
「大好きだもん」
「ひー、お熱いお熱い」
「二人ともちゃんとインタビュー聞いて」


松川の声で私とマッキーは会話をやめて、それもそうかとマイクの声に集中した。

はじめのちょっと緊張した声、まだ少しぜえぜえ言っている息の音、ぜんぶマイクを通して聞こえてくる。格好いいなあ、一生あの姿を見ることが出来ればいいのに。


『今日は身体の調子が良かったんでしょうか?』
『いや…まあハイ、良かったっす』
『及川選手の助けもあるんでしょうか』
『あ、及川は関係ないっす』
『ちょっとヒドイ!!!』


突然徹がインタビューに割り込んできた。とたんに周りの女の子たちは「及川徹だ!」と声をあげ、相変わらず一言喋るだけで注目を浴びる華やかさには頭が下がる。


『どうも皆さん及川さんです!…あ、マイクいいですか?はい。ありがとうございます』


なんと徹はインタビュアーの女性からマイクを拝借し、自らマイクを持って話し始めたではないか。目立ちたがりなのは分かるけどあんな事をするのは初めてなのでぎょっとした。


「何あれ、徹なにしてんの?引く」
「よく分からんが面白い事が起きる予感」
「やべー。ムービー撮ろ」


この二人は徹の奇行に慣れている様子で、スマホを取り出しムービー機能をオンにした。そして、徹は自慢のマイクによく通る声で話し始めた。


『えー、今日は僕がヒーローインタビューをしたいと思います』

「…はい?」
「うけるー」
「いや笑い事じゃなくない?」
「まあまあ」

『岩泉選手、今日はとても調子が良かったですね?』
『………はい。』
『何か特別な思いを持って試合に臨んだんでしょうか?』
『………はい。』
『おや、それでは聞かせて貰えませんか?』


徹は好き勝手にはじめへのインタビューを続けていたが、最後の質問をした時にはじめの動きが止まり沈黙となった。
会場中がはじめの答えを待っているようで、大勢いるのが信じられないくらいシンと静まり返る。


『…今日は…あー……そう。特別な事がある。あります』
『………どうぞ?』
『ん』


徹がはじめにマイクを渡した。
普段ならこんな事は全力で拒否するというのに彼はそれを受け取って、なんと迷うこと無く私の座る方向へと向き直ったではないか?


「……はじめ…?」
「しっ、静かに」


動じることなく松川が言った。
マッキーはコート内のはじめと、同列に座る私とへ交互にスマホを向けはじめる。

私の頭はあるひとつの可能性を見出したけれど、それはどうにも信じられない。現実にそんな事が起こるなんて夢にも思わない事だから。


『…えっと、あー…今日、試合を観に来てくれてる白石すみれさんに』

「………うぇ」
「すみれ、立って立って」
「え」
「立って」
「ええ」


立ってと言われても、マイクを通して名前を呼ばれ私は腰が抜けていた。
松川が笑いをこらえながら私を立たせる。マッキーはその姿をもムービーに納める。


『ずっとバレー馬鹿の俺だったけど、嫌な顔せずに付いてきてくれてあり、ありがとう』

「噛んだ」
「噛んだな」
「……黙って聞いて…」


マイクから、はじめが息を吸うのが聞こえた。私も同時に息を飲んだ。息が止まった、というほうが正しいかもしれない。


『すみれ、俺はこれからもたぶん、どうしようもないバレー馬鹿だ。けど……それで良かったら…結婚してください』


そして私の息は一度途絶えたのかもしれない、なぜなら一瞬にして目の前が真っ白になったもんだから。

かろうじて焦点を合わせるとはじめは真っ直ぐ私を見ていた。いつも、どの席に座るのかなんて伝えていないのに。この中から一瞬で私を見つけられるはずはない。


「……すみれ、早くしないと岩泉が恥ずかしくて死んじゃうよ。」


こいつらだ。花巻松川ペアが私のいる席を徹あるいははじめにリークしたに違いない。


「……余計な事して…」
「え、」
「はじめっ!!!」


私は大声で叫ぶと、観客席の一番前列まで走った。後ろから残りの二人が付いてくる音が聞こえるがそれは無視して、はじめに一番近い場所まで来た時にもう一度大きく息を吸った。


「言われなくても!するに決まってる!!」

『………あ、ま…マジ』

「マジじゃなかったら大恥ですからー!」
「うん今も充分な大恥だよ」
「大恥の岩泉すみれさんデース」


マッキーは私にスマホを向けたまま実況している。公開プロポーズなんかされると思ってなかったから今日のメイクも服装もお洒落じゃなくて普段通りだし、もうどうにでもなれ。


言葉の続かないはじめの代わりにもう一度徹がマイクを持って、360度見渡しながら言った。


『会場の皆さん聞きました?聞こえていたら大きな拍手を』


その徹の声を皮切りに、耳をつんざく歓声と拍手が沸き起こった。
はじめへの声援、私への声援(さっきマイクでフルネームを呼ばれたから名前がバレてしまったし)、私の横にいる花巻松川ペアへの声援も。


「…くせえ。及川くせえ」
「アイツこういうのサムイよな」
「……腰、抜ける」
「もうちょい頑張れ」

『ちょっとそこの花巻松川ペア、岩泉の婚約者を下まで連れてきてくれる?』

「へい。」
「行きますか」
「ち!ちょ、無理無理無理無理」
「大丈夫、あそこには連れてかねーよ。出口んとこで待っとくの」


やっとマッキーがスマホの画面を切ってポケットにしまいこみ、道案内すべく先導して歩き始めた。観客席の間を抜ける私たちには花道のように拍手が向けられて、ものすごく嬉しいのにものすごく恥ずかしい。


そうして一階に降りて、一般の人は恐らく入れないような場所に入れてもらいコートの出口へと到着した。
中からは未だ鳴り止まぬ徹のスピーチが…と思ったが、既にマイクは女性へと戻されていて一安心。いや、安心なんかできない。心臓がばっくんばっくんしてる。


「お、来たよん旦那が」
「だん…!」
「………よお」


よお、って。

そりゃあ昨日も会ったから「よお」という挨拶は不自然ではないんだけど、たった今公開プロポーズをした相手に向けての挨拶にしては似つかわしくない。しかも、私は公開オーケーをしたと言うのに。


「……びっくりしました。」
「わりい…」
「……ドッキリしました。」
「ドッキリじゃねえぞ」
「知ってるわ!ドッキリだったら赤っ恥だわ!一生YouTubeで吊るされる!」
「す、すまん」


はじめは頭をかきながら喉を鳴らした。「こっち」と手招きされてそれに従い付いていく時、背中のほうから「ごゆっくりー」と及川花巻松川の声が聞こえた。やっぱり花巻松川ペアはグルだったのか。


「…なんかすごい華々しかったね…信じられない…ドキドキ言ってる」
「主に及川のせいだな」
「マッキーがずっとムービー撮ってたせいでもあるけど」
「は!?…マジかよちくしょう」


どうやらマッキーのムービーははじめの計画内には無かったらしい。
あの同級生面々に囲まれていたせいで一生に一度のプロポーズはとても賑やかなものとなり、「二人きりでロマンチックに」とは行かないが心に残るものとなった。

…いや私、すごく冷静だと思われるかも知れないけど、本当は今にも踊り狂いそうなほど嬉しい。なんたってはじめから、プロポーズを受けたんだから。


「…なんか悪かったな。俺…もっとちゃんとやりたかったんだけどさ…面と向かって言うの照れくさくて、ずっとタイミング逃してた」
「…ずっと?」
「おう。一年くらい」
「いちねん!?」
「だから及川が見かねたらしくて」


一年間もプロポーズに悩むはじめのそばに居れば、徹以外の人間だとしても何か派手な策に出ようとするだろう。
徹への鬱陶しさが少しだけ引いて、まああれも良い思い出だよねと思い出し笑いをしていると。突然はじめが私の手を取った。


「……?はじ」
「でも全部マジだから。すぐにでも結婚してくんねえか、俺と」
「!!」
「もう我慢できねえんだわ」


そして、普段ならポケットの中は空っぽにしておきたい彼なのに不自然にふくらんでいるそこから何かの箱を取り出す。…「何かの箱」なんて、何が入っているか丸分かりだ。


「………ん。」
「…これ、こ…こん…婚約指輪、ってやつ」
「おう」
「はじめが買ったの」
「おう」
「…私に?」
「そうだよ」
「………」


蓋を開けるとそこには見たこともないほどきらきらに輝く宝石がついた指輪があった。
その宝石は大き過ぎず上品な控えめさがあり、けれど充分な存在感を持つつまりダイヤモンド。それを取り出しながらはじめが説明する。


「ダイヤモンドは永遠の愛を表すって宝石屋の店員が言ってた」
「永遠の…あい」
「…おら!さっさと手ぇ出せ、俺と永遠の愛を誓うんなら」
「………はい…お願い、じばず」


目と鼻がむずむずするなと思ったら、涙と鼻水が両方出始めていた。
じゅるっと音を鳴らせてすすりながら左手を差し出し、はじめの手が優しく私の薬指へそれをはめ込んでいく。うわ、うわあ。このシーンこそムービーに納めたいくらい。


「ぴったりだな」
「うん…」
「似合ってんな」
「……うん」
「泣くなっつーの」


はじめが吹き出して笑いながら私の頭を撫でて、そのままちゅっとキスしてきた。付き合いたてのころはキス一つするのも赤面してなかなかだったのに、この人も大人になったものだ。


「…はじめ、大好き」
「おお。愛してる」
「あっ!?」
「永遠の愛だからな。好きじゃなくて愛」


愛、そうだ、ライクではなくラブ、いま私が誓ったもの。


「……あい…あ、愛し…」
「無理して言わなくていいべ。その台詞は結婚式まで取っとくわ」
「けっ!?」
「するだろ?盛大にやんぞ」


白い歯を見せて笑いかけるはじめは夏休み前の子どもみたいだ、結婚式なんて女性のほうしかウキウキしないものだと思っていたのに。
徹にもできる限り協力させて…いや協力してもらって、沢山色んな計画立てなきゃ。


「……式の日はお姫様扱いしてね?」


そして一番の願いはこれだ。女の子は自分の結婚式のイメージを、若い時から何度となく繰り返すのだろう。少なくとも私はそうだった。
照れて嫌がられるかなあと思いながら見上げると、きょとんとしていたがすぐにまた歯を見せた。


「当たり前だろ。今日からずっとしてやるよ」


An engagement!!

よしの様より、プロ選手になったキャラから試合後のプロポーズ・というリクエストでした。キャラはどなたでも大丈夫だったようなので岩泉にしてみたんですが…岩泉は基本的にちゃんとプロポーズしそうだけどなかなか出来なかった設定に。。。ありがとうございました!