木兎光太郎


木兎さんとのバレンタインのつづき


特に好きな人もいないし、特別な想いを持ってバレンタインにブラウニーを作った訳では無い。けれど偶然渡したその人は、一瞬のうちに私の心を奪っていった。

木兎さんとは学年も違うし何ひとつ共通点が無いので、実はあれからあまり会えていない。一度だけ食堂で私を見かけた時に「ありがとう!美味かった」と声をかけてくれただけだ。
それだけで幸せだったんだけど、ある日が近づくにつれて私の心は不安になっていった。

…ホワイトデー、木兎さんは私に何かくれるだろうか?


『え?くれるって言われたんだよね?』


3月13日の夜、つまりホワイトデーの前夜。つい一月前に一緒にブラウニーを作った友人と電話をしていた。
「木兎さん、私にお返しくれると思う?」という「知らんがな」としか返せない悩みにも、友人はしっかり付き合ってくれている。


「確約は無い…よく覚えてないけど」
『えー。でもさぁ貰ったことは絶対覚えてるっしょ?なんか良い人そうだったもん。声しか聞いてないけど』


確かに木兎さんはとても良い人そうだった。同じクラスの赤葦くんにそれとなく聞いてみたら「まあ悪い人じゃないよ」という回答だったし、食堂でブラウニーの感想を言ってくれた時も「白石!」と呼びかけてくれた。私の名前を覚えていたのだ。

けれど上級生で、あれ以降何の絡みもない私にいちいちお返しなんか…


『て言うかお返しが無かったとしても落ち込む意味なくない?そもそも木兎さんに何のアピールもしてないくせに!』
「……ごもっとも」
『私みたいな図々しさを持ちなさい!会った事ない人にもバレンタイン渡しちゃうような!』
「はは、赤葦くんの事か」
『そうそう。ところで赤葦くん彼女と別れてないの?』


…こいつ。

残念ながら赤葦くんはバレンタインデーを境に彼女ともっと仲良くなったらしいよ、と伝えると友人は残念そうに唸った。





私の心の準備を待たずして朝を迎え、無情にも登校時間となってしまった。うきうきする気持ちと、早く一日が終わればいいのにという気持ちが入り混じる。
木兎さんはそもそも私の存在を覚えているんだろうか、「美味かった」と感想をくれたのは3週間以上も前だ。


「あ、白石さん。おはよ」


朝のホームルーム前にトイレに行こうと教室を出ると、ちょうど赤葦くんと鉢合わせた。


「おはよう」
「白石さんって今日のお昼、暇?」
「…??暇ではないけど」
「無理やり暇にできる?」


昼休憩に暇かどうかと言われても友達とご飯を食べるんだから暇ではない。それを無理やり暇にしろとかどういう事だろう。


「木兎さんが会う時間欲しいみたいなんだけど、無理そうなら無理って伝えるけど?」


…うん、昼休みは確かに暇ではないけれど友達とご飯なんていつでも食べられるんだし、別に時間を作るくらいどうって事ない。
平静を装って赤葦くんに「いいけど」と答えると「じゃあ一緒に食堂ね」と言い、恐らく木兎さんへのメッセージを打つためにスマホを取り出していた。


…昼休み、木兎さんと会えるの?


その期待で顔が熱くなり始めた私を見て、赤葦くんは全てを見透かしているかのように微笑んだ。くそう。彼女さんに「あなたの彼氏、笑顔がイヤラシイよ!」と忠告してあげなきゃ。





早く昼休みになれ、と思えば思うほど時間が過ぎるのは遅い。しかしそれを乗り越えて、ついでに空腹も乗り越えてやっと昼休みを迎えた。

チャイムが鳴ると同時に机みっつぶんほど離れた赤葦くんのほうを見ると、彼もちょうど立ち上がったところ。


「そんなに慌てなくても」
「あ…慌ててませんが!」
「ていうか木兎さんの連絡先とか知らないんだね。てっきり白石さんは木兎さんが好きなのかと」


鞄の中から財布を取り出しながら赤葦くんが言った。
私が木兎さんを好き?その通り。しかし今朝も思ったけれど、どうして赤葦くんがそんなこと知ってるんだ。


「なんでそう思うの?」


食堂に到着するまでに赤葦くんへの聞き込みを済ませなくてはならない。廊下を歩きながら質問すると彼は切れ長の目を少し丸くした。


「…あれ。彼女に聞いたんだけど」
「あー…赤葦くんの?」
「ごめん。違うなら来なくても良いよ」
「えっ!!」
「はは、合ってんじゃん。着いた」


赤葦京治はそこそこ成績がいいだけでなく他人に墓穴を掘らせるのも得意だなんて、ますます彼女さん気を付けろ!
眉間にしわを寄せまくって赤葦くんの背中を睨んでいたが、前方にいる人物を見つけた途端にしわは消え去った。


「木兎さん、連れてきましたよ」
「おー!」


一般人の何倍もあろうかという声、そんなに遠くないのに全身を使って大きく手を振る姿は間違いなく木兎さんだった。

時々木兎さんに会えるかなと期待を込めて食堂を訪れていたものの全く会えなかったので、何の苦難もなく木兎さんの名を呼べる赤葦くんにすら嫉妬する。


「白石、なんか久しぶりだなあ」


しかし赤葦くんへの嫉妬なんて一瞬にして飛んでいった。木兎さん、私の名前覚えてる!


「…お、お久しぶりです。」
「じゃあ俺はこれで」
「えっ?」


私が木兎さんと同じテーブルに座るのを確認すると、赤葦くんはそのまま去っていこうとした。待て待ていきなり二人きりで置いていく気なのか。

と、思っていたら赤葦くんの歩く方向では彼女さんが待っていたので、引き止める気も失せてしまった。


「おーい」
「あっ、は、はい」
「あかーしは駄目だぞ?彼女いるから」
「………」


一ヶ月前に言われた事をもう一度言われた。赤葦くんの背中を追っていたせいで、また私が赤葦くんのことを好きだと勘違いされたのだろうか。
そう言うのじゃありません、と反論しようとした時木兎さんが言った。


「ま、俺は居ねえけど!」
「………へ」
「おい!寂しい男だと思ってねえ?」
「お、思ってません」


寂しい男だなんて微塵も思わない。木兎さんに彼女がいるかどうかはとても有益な情報で、しかも居ないだなんて本人の口から聞けるとは。


「じゃあラッキーって思った?」
「………え…」


本人の口から、こう聞かれるとは。


「あの…」
「とりあえず飯食うか!なんか買う?」
「…お弁当あります」
「おっけー」


木兎さんも自分のお弁当があるようで、大きな包みを取り出してテーブルに広げ始めた。


正直、木兎さんに彼女が居ないなんてラッキーだ。でも「ラッキーって思った?」なんてどういう意味で聞いたのか、または何の意味も無いのか、からかっているだけなのか。


いただきます、と手を合わせて木兎さんは私の予想通り豪快に食べ始めた。「豪快」とはいえご飯をこぼしたり汚い食べ方をするのではなく、きれいにがっつく感じ。
私のブラウニーもこんな風に食べてくれたのかなぁなんて思うと少し顔がにやけた。


「食べねえの?」
「……え、あ…食べます」
「もしかしてキンチョーしてる?」
「うぇ、」
「それもそうか、フツー上級生と飯なんか食わねえもんなぁ」


それもあるし、突然赤葦くん伝いで呼び出されて昼休みをご一緒するあげく二人きりだなんて。それもバレンタインを渡した相手と。
ホワイトデーのお返しがもらえたらいいな、と思っている相手と。


「じゃあキンチョーをほぐす為にクイズでもしてやろっか」
「…クイズ?」
「そ。んー…そうだなあ」


木兎さんは箸で頬をつんつん突きながら考えた。頬は柔らかそうなんだな。やがて箸を持ち直して言った。


「今日は何の日でしょうか?」
「………きょう…?」


今日は3月14日、ホワイトデー。

ホワイトデーとはつまりバレンタインチョコやプレゼントをもらった男性が、相手の女性にお返しをするとされている日。

…だけれどこれをこのまま言うと「お返し寄越せ」と催促しているように思われるのではなかろうか。
もしかして木兎さんの頭の中にある正解はホワイトデーではなくて別の何か?何の日だったかな、今日。芸能人の誕生日?だれか先生の誕生日?


「ブッブー時間切れ!」


残念な事に回答期限が切れてしまった。


「おせえよ答えるのが!」
「スミマセン…」
「女子なのに分かんねえの?」


木兎さんはそう言いながら鞄の中を漁り始めた。思わずその様子を凝視して思考停止する私。意図せず内から湧き出る期待。いや、まだ期待するには早いのでは…


「はい。お返し」


あれこれ考えている間に木兎さんの鞄の中から
かは可愛いテディベアが出てきた。
首元にリボンがついていて、背中が開いてキャンディなんかが詰め込まれているやつだ。

いやいやまさか、こんな立派なものを私のために用意されるはずがない。


「う…受け取れません!」
「え!?」
「お気持ちだけで充分だしあのアレは木兎さんが成り行きで貰ってくれただけなので」


ホワイトデー貰えるかな、なんて思っていたくせにいざそれを目の前にすると慌てて拒否する事になるなんて。
いや、だってそもそも、赤葦くんに対して失恋した(と思い込んでいた)私を救うべくあのブラウニーを受け取ってくれたんだし。

しかし木兎さんはたいそう悲しそうに眉を下げて、元気が半減した様子で言った。


「…俺は白石から貰えて嬉しかったのに?」
「へっ、…でも…あれは」
「そりゃあ元々は赤葦宛だったんだろーけど。俺だって最初はそういう気無かったけど」


それらの台詞を木兎さんは、大きな手に持つ小さなテディベアの頭を撫でつつ言うもんだから哀愁がとてつもない。


「けど女の子にバレンタインもらったら俺だって、人並みに意識すんだからな」


木兎さんは唇を尖らせながら言った。

意識している。
木兎さんが、私を。

それはにわかに信じ難い事だった。

なぜならブラウニーのお礼を言われてからというもの全く会わなかったし、赤葦くんからも木兎さんのことなんて何も聞いていない。
「赤葦のクラスの後輩その4」くらいにしか認識されていないものかと思っていた。


「…だって木兎さん…全然そんな素振り無かったじゃないですか…?」
「しばらく我慢しとけって赤葦が…やべ!言うなって言われてるんだった!」
「………。」
「今の赤葦にナイショにしてくんね?」


…赤葦くんに木兎さんの失言がバレることなんて私にとってはどうだって良かった。木兎さんが私を意識しているという事実に比べれば。


「だから貰ってくれよー、な?お前もさ、俺なんかより女の子と居たいだろ?」


木兎さんは手に持ったテディベアに話しかけると裏声で「ウン、女の子がいい!」とテディベア役を演じた。
そのテディベアが喋る時に小刻みに動かして、人形劇みたいな演出をしているではないか。


「ホラ、こいつも白石と居たいってよ!」
「……ぷっ」
「おい笑うなよ!?」
「む、無理っす」


食堂のテーブルで木兎さんの人形劇を見せつけられて笑わない方が難しい。机に突っ伏して笑いを堪えたけど、肩がぷるぷる震えた。


「あの…でも、その子が私と居たいなら是非いただきたいです」
「お!?ホントか?」
「木兎さんの代わりにお世話しますね」


素直に「ありがとうございます」と受け取ればいいものを、照れ隠しと変な意地で一度断ってしまったのに受け取る事に成功した。
…もしかしてこれも木兎さんの思惑通りだったとしたら恐ろしい。私が受け取りやすいように仕向けてくれたんだとしたら…そんなわけないか。


「ちなみにコイツの餌は朝晩2回だ」
「え、餌?」


あれこれ可能性を考えていると、突然木兎さんが人差し指を立てて説明を始めた。


「あとは…んー…コイツはバレーが好きだから白石もルールを覚えて会話してやる事!んで俺にも懐いてるからたまに俺に会わせる事が条件な」
「え、え?」
「それで良いならそいつを譲る!」


いつの間にかホワイトデーのお返しではなくテディベアの所有権の譲り合いになっていた。

その条件ってもしかして、もしかするのだろうか。この子を木兎さんに会わせる時には必然的に私も居るという事だから、


「……喜んで引き受けます」
「っしゃ!交渉成立」
「交渉って…」


やっぱりただのおふざけで、深い意味は無いのかな?それでも木兎さんからテディベアをもらえるなんて嬉しくて、両手で持ってふわふわの毛並みを感じていると彼は更に話を続けた。


「じゃあ、詳しい飼育方法はメールするからアドレス教えてくんね?」
「………へ……」


こんな可愛いアプローチができる人には、もう一生出会えないかも知れない。木兎さんと私はきっと相性がいいのだ、せっかくもらえるホワイトデーのプレゼントを断るような私にこんな風に接してくれるなんて。


「…責任もってこの子を育てます」
「よし!それでいい〜」


そして、責任もって木兎さんに会わせます。
…これは今夜メールで言おうかなあ。

ラジカル・インベイダー

はる様より、木兎さんのバレンタインデー続編でホワイトデー・というリクエストでした。木兎さんのかわいいアプローチ!テディベアで遊ぶ木兎さんを妄想しながらムフフでした。ありがとうございました!