牛島若利


白鳥沢学園はその進学率もさる事ながら、部活動の盛んなところも人気のひとつ。
私は兄がバレーボールをしていた事もあり、バレー部のマネージャーをしているけれどそれも今年で終わりだ。


「はァー…寂しいねー…すみれチャンに会えるのもあと少しなんて」


覚はうすぼんやりとした顔で顎を高く上げ、だるそうに走っている。
この最上級生らしからぬ態度を全員で直そうとしたけれどそれは無理だった。もう二学期だというのにこの調子だから。


「あと少しなんて言わない!まだ春高あんでしょ!走って走って」
「無理だよー若利クンがペース落としてくんないともう走れない」
「これでも精一杯のスローペースなんだが」


相変わらず調子の良い時と悪い時の差がない、つまりいつでも向かうところ敵無しの若利くんは姿勢を崩さずに走り続ける。主将の彼がこうあるからこそ白鳥沢は王者で居続けられるんだろうな。


私はみんなの走る横で自転車をこぎながら付いていき、走行ルートの指示をする。
最近このあたりは工事が多いから、時間の無駄を減らすために工事箇所の下調べも実施済み。


「ハイ次を右折ー」
「ふぁーい…」
「ぶぁ!天童!急にペース落とすなよっ」


覚の真後ろを走っていた英太は突然スローダウンした覚の背中にぶつかっていた。何やってんだか。
それを横目に見るものの、特に気にすることなく若利くんは走り続ける。多分ここでペースを崩すと、彼なりに調節している何かが狂うのだろう。


「若利くん速くない?平気?」
「平気だ」
「そっか。おーいちゃんと付いてきてよー!二年も!」
「ういーす」


先頭の彼の近くで自転車をこぎながら声を張り上げ、後ろの人達にも指示を与える。

次のルートはどこだったかな?

と、ふと自転車のかごに入れた地図を見ようと視線を落とすとあら大変。何かの段差に引っかかって自転車が大きく揺らいだ。


「うわ」


と叫んだけれど私はバランス感覚の良い人間ではないし自転車の重心はぐにゃんと歪んで、一気に視界が傾いた。

あ、こける。そう感じたのもつかの間、がっしゃん、からんからんと自転車が地面に叩きつけられてタイヤが空回る音が響いた。


「…ダイジョーブ?」
「………」


覚の声は私ではなく、たぶん若利くんに向けられたものだ。3割くらいは私に向けていたかも知れないけど。
なぜなら自転車は道路に放り出されて転げていたけど、私の身体は若利くんの上に転がっていたから。


「!?わか、え?いや、え!?」
「大丈夫か」
「だいじょ……え!!?」


私は平気だどこも痛くない、ちょっとだけ手のひらを擦ったけど。
でも私は別に手を怪我しても足を怪我しても例え腕の骨を折ったって、あんまり困ることは無い。問題はこの人だ。今私の真下で私を受け止めて転がっている人。


「ご…ごめん!怪我してない?」
「いや、」
「最悪ほんと最悪だ、骨とか折れてない?捻ってない?頭うってない?指とか」
「いや俺は」
「あーーーどうしよ救急車呼ぶ?覚!救急車!!英太!AED!!隼人!お湯!!獅音!タオル!!」
「白石、落ち着け」


若利くんが私の下敷きになったまま、肩を優しく揺さぶった。
それでやっと我に返り、救急車だなんだという前に自分が彼の上から退かなければならない事に気づいた。


「……ゴメン。」
「若利いけるか?」
「問題ない」
「すみれチャンこっち」


覚が私の腕を引っ張ってくれ、なんとかかんとか立ち上がる。見たところ私自身はどこかを捻ったりとか折ったりとかそんな事は無く、擦り傷程度で済んでいた。


「ごめんなさい、私がちゃんと前見て運転してなかった」
「若利クンは怪我してないんでしょ?」
「してない。気にしなくていい。本来ならルートぐらい自分で把握するべきだからな」


若利くんも立ち上がると、ウェアについた砂を払いのけた。それから倒れた自転車を起こしてスタンドを立ててくれ、後ろに付いてきた部員達を振り返る。


「先に行っててくれ。先導頼む」
「はいよ」


獅音は自転車のかごから私がルートをメモした地図を取り出し、部員を連れてそのまま走り去ってしまった。私たちを追い抜く時に川西くんが「お大事にっす」と会釈してくれた。


「え、あれ、若利くんは…行かないの?」


私とともに立ち止まったまま皆を見送ってしまったので、もしかしてやっぱりどこか怪我をさせてしまったのか?頭からさっと血の気が引いたのを感じる。

すると若利くんはみんなの背中が見えなくなってから、私の足元に目をやった。そして、ある部分をその手で指差した。


「怪我してる」
「……え」


言われて初めて気が付いた。手のひらだけでなく膝も擦っていたようで、血が出ている。
だから川西くんは「お大事に」と言ったんだろうか…自転車で転けて膝を擦りむくなんて、小学生みたいで恥ずかしい。


「うわー…ほんとだ」
「気付いてなかったのか?」
「うんだって若利くんが…ってちょっと!」


突然若利くんが地面に片膝をつき、首にかけていたタオルを私の膝小僧に当てた。


「な、何してるの」
「止血してる」
「そうじゃなくて!それ汚れるし大丈夫だからこんなちっちゃい傷…」


と、私が騒ぎ立てるのを大きな手のひらで制してから黙々と止血作業を続ける。ああ、意外と血が出ているみたいで彼のタオルは無残な姿に。


「ごめんね…」
「何がだ?」


私には顔を向けずに若利くんが言った。
膝からの出血がおさまったのを確認すると立ち上がったので、私は自分の血で汚れたタオルを受け取った。


「…ごめん。代わりのタオル無い」
「べつにいい。行くぞ」


若利くんはすでにその場で駆け足を始めていたので、慌てて私も自転車のスタンドを解除する。私が自転車に跨り漕ぎ始めたのと同時に、若利くんも走り出した。
もうみんなの姿は見えないし、きちんとしたルートを書いた地図も今は無い。工事中の看板と出くわしたら回り道をしなくては。


「ごめんね」


自転車をこぎながら謝ると、若利くんがちらりと私を見てまたすぐに前を向き「何が?」と言った。


「あの、私、工事中の道路覚えてなくて」
「そんな事か。それより、」


横断歩道にさしかかった。あいにく信号が赤なので、若利くんはその場で駆け足を続けながら言葉も続けた。


「身体は大事にしろ。女子なんだから」
「…う、うん」
「今日は偶然軽い怪我で済んだが、お前が居なくなったら皆困る」
「……うん」


白鳥沢は部員が多い上にマネージャーが少ないので、一人一人の負担が大きい。
私が引退すれば二年に一人、一年に一人ずつしか居ないから大変だろうな。新入生の中に良いマネージャー候補がいればいいんだけど。


「…特に俺が困る」
「………え?なんて」


私が考え事をしているうちに若利くんが何かを言って、でもそれを聞き返した時には歩行者信号が青に変わっていた。

若利くんは左右を確認してから素晴らしいスタートを切り、自転車で慌てて追いかける。走るのが速い彼に追いつくには、自転車といえどものんびり漕いではいられない。


「ごめん聞こえなかった!何?」


やっと追いついたので先程聞き逃したことを聞いてみると、若利くんはまたもや私を横目で見やった。…が、やっぱりすぐに前を向いてこう言った。


「何でもない」
「え」


ほんとに?と聞き返そうとしたんだけど、突然若利くんがスピードアップしたのでそれも出来なかった。通常よりも速いペースだ、みんなに遅れをとっているからだろうか?


何とか工事中の道を避けながら学校に到着したころには、若利くんはいつもより少しだけ息が上がっているように見えた。

恋のスピードスター

うどん様より、牛島がナチュラルにセクハラしてくる・というリクエストでした。セクハラじゃなくて普通に止血してくれる親切な牛島さんになっちゃいました…更に牛島くん書くの初めてなので、イメージと違いましたらごめんなさい…!ありがとうございました!