木兎光太郎



「この問題分かる人?」


授業中、恐らく問題を黒板に書き終えた先生が教室を見渡しながら言った。

クラスの誰もが我関せぬと言った顔で先生から目をそらし、当てられないように存在感を消している。私も同じように消したかったんだけど、あいにく今日の日付は私の出席番号だ。


「じゃあ…白石」


やっぱり当たった。
心の準備はしていたけれど、問題を解くのはなかなか困難。なぜかと言うと黒板が非常に見えづらいから。


「…すみません。見えないです…」
「ん?あー…」


先生は最初不思議がっていたけど、すぐに納得した。もともと身長の低い私だが、それに加えて私の目の前に座る人物の座高が恐ろしく高いので、先生からも私の顔が見えないのだ。

先生は苦笑いしながらその人物の名前を呼んだ。


「木兎、ちょっと寄ってやって」
「はーい」


前の席に座るのはバレー部の主将を努める木兎光太郎くん。
実は昨日席替えが行われたばかりで、彼の後ろになった瞬間「もしかしてこういう事が起きるのではないか」と思ったが予想通りだった。

木兎くんはがたがたと音をたてながら少しだけ机と椅子を横に寄せ、私の視界を確保してくれた。


「見えるか?」
「あ、うん見えた」


見えたからと言って、黒板に書かれた問題の解答が分かるのかと言えば答えはノーだ。
暫く悩んで当てずっぽうに答えた結果、不正解だった。恥ずかしい。





「さっきの分かんなかったな。俺当たんなくて良かったー」


授業が終わり、机の位置を戻しながら木兎くんが言った。


「ごめんね、せっかく動いてくれたのに」
「んーん。ていうか身長いくつ?」
「え、……149…」


…本当は148.8センチだけど、これはもう149と言っても怒られないだろう。本当は150と言いたいところだけど。


「ひゃくよんじゅう!?」


木兎くんは「そんな単語初めて聞いた」とでも言うかのように驚いた様子で目玉が飛びだした。
彼からすれば考えられないんだろうな、男の子だしなんと言っても高さが勝負のバレー部なんだから。


「けど四捨五入で150だし」
「150なんか小学生ん時超えたぞ俺!」


嫌味か。

どうせ私は小学校を卒業してからろくに背が伸びず成長が止まってしまったチビですよ。
だから黒板も見にくいし、服も選びにくいし、電車のつり革もなかなか掴めない。もう慣れたけど、参ったものだ。


「私だって160くらい欲しかったもん」
「けど身長って欲しくても手に入るもんじゃねえもんな!俺もあと10は欲しい」
「それは大きすぎだよ」
「俺より高いやつなんか沢山居るからなぁ」


木兎くんを超える人がわんさか居るなんてバレーボール界は恐ろしい。
私はスポーツは特にしていなくて、放送部だから身長に左右されないのんびりとした部活動生活を送っている。自分がバレーやバスケに興味を持たなくて良かったと心底思う。


そうこうしているうちにチャイムが鳴り、次の授業が始まった。

この時間も私は黒板を見るのに少しだけ苦労するかと思ったが、木兎くんが「見える?」と良く私を気にしてくれるので困らなかった。





その日の授業がすべて終わり、帰りのホームルームにて。そろそろ先生が締めの挨拶をしようかという時、目の前で太っとい手が挙がった。


「せんせー、俺後ろの席行きたい」
「……え?何を堂々と」
「違う違う、白石サンが黒板見えにくいんだって!俺でけぇから!せめてココ入れ替えていい?…ですか?」


ココ、と言いながら木兎くんが身体を横にして、自分と私とを交互に指さした。

黒板見えにくいなぁとは思ったけど身体を揺らしたり、木兎くんが姿勢を変えたりするのを待てば一応見えるんだけど。…けど、そんな事を木兎くんから先生に頼んでくれるとは。


「そういやそうか…替える?白石」
「えー、あ…」
「な!替えようぜ!替えまーっす」
「う、うん」


ほぼ木兎くんが話を進めたけれど、ホームルームの後で私達は席を入れ替える事になった。

しかも机は両方とも木兎くんが運んでくれて、私は横で突っ立って見ているだけ。いくら小さいからって学校の机くらい運べるんだけどなあ…


「ほい!終わり」
「ありがと」
「んーん〜いいよ」
「木兎ー早くー」
「お!行く行く〜」


恐らくバレー部の仲間から呼ばれて、木兎くんはそのまま鞄を持って教室を出ていった。「ガンバレー」と小声で呟いて、私も放送部の部室へと向かった。





そして部室に着いたはいいものの、図書室まで資料を取りに行かなければならなくなり鞄を置いて図書室への道を歩いた。
今度の全校朝礼で運動部の春の大会に向けて壮行会を行うんだけど、過去の成績とかちょっとした紹介をしなくてはならないのだ。

その資料が図書室にファイリングされて置いてあるらしい。


「んーと、バレー部バレー部」


男子バレーボール部は噂によると都内でも強豪の部類。木兎くん強そうだもんなあと思いながら、背表紙に「男子バレーボール」と書かれたファイルに手を伸ばす。うん、届かない。


「………。」


よく見れば他の部活のファイルもちょっと上の方にあるので、溜息をつきながら脚立を持ってくる。

ここでドラマなら「はい」とか言って背の高いイケメンがファイルを取ってくれるんだろうけど、


「どれ取るの?」
「……わ。木兎くん」


突然の声に振り向くと、隣には背の高い木兎くんの姿があった。すでに運動着に着替えている彼がどうして図書室に居るんだろ?


「あの、運動部の試合成績のやつ」
「あーこれ?これね」


木兎くんは「これ?」「サッカーも?陸上は?」と声をかけてくれながら、私の欲する全てのファイルを棚から取りだしてくれた。それも軽々と、背伸びなんかする事なく。

このくらいで男の子にときめくなんて簡単な女だなぁとドラマを観ながら思っていた私だけど、ドラマの制作会社に謝らなければならない。…ときめいた。


「これで全部?」
「…あ、あとバレー部の」
「バレー部?おお、俺もこれ取りに来たとこ!ミーティングで使うの」


最後に残った「男子バレーボール」のファイルを取り出し、木兎くんがぱらぱらとめくった。過去の成績を見ながら「やっぱり全国優勝の経験は無いんだよなあ」とか呟いている。


「じゃあ先に使っていいよ、明日の朝貸してくれたら」
「んー。さんきゅー」


解決したので私は脚立を戻すため、ファイルをいったん机に置く。
そして脚立のほうを振り返ると、すでに木兎くんの手で元の位置に戻されていた。


「あ、ありがとう」
「いいのいいの、こういうのは男の仕事」
「………」


そうだよね、別に相手が私だから親切にしてるわけじゃないんだよねと少しだけ残念な気持ちになった。


「背ぇ低いの大変そーだけど、女の子ならそのくらいでも良いかもなあ」
「………そう?良い事ないよ」


取り返しのつかない事になる前に、溢れそうな恋心を抑えなくては。せっかくそう思ってるのに、木兎くんはさらに続ける。


「そっか?ちっちゃいの可愛いだろ」
「マスコット的な意味でしょ…ほんと背が低くても良い事ないから」
「困ったら俺が助けてやるじゃん?それって良い事だろ?」
「………」


それってどういう意味で言っているのか分かりかねる。
けど、例え彼にとってなんの意味もなく出てきた言葉でも、すでに私はドラマの主人公になり切ってしまったんだからもう遅い。

高い位置にあるものを、背の高い男の子が代わりに取ってくれるという有りきたりなストーリーは例外なく女の子をときめかせるのだと身をもって知った。


「…明日、それ忘れないでね」
「おっけー!」


木兎くんはけろりと笑うとそのまま図書室を出ようと本棚の陰に消えた。かと思えば再びひょっこり顔を出したもんだからびっくりしてファイルを落っことしそうになった。


「なあなあ!」
「わっ、びっくりした」
「それさ、」
「木兎うるさい」


木兎くんがなにか言おうとした時、図書委員の生徒がやってきて木兎くんの声量を指摘した。
それもそのはず、木兎くんはいつでもどこでも「俺はここに居ます!」と宣言せんばかりの声だから。


「ごめんごめん…あのさ」
「うん?」
「それ戻す時になったら呼べよな、俺やってやるから」
「……え、」
「呼べよな。呼ぶ!ハイせーのっ」


木兎くんがさっきよりも小声で掛け声をあげ、両手を広げて私に促した。こうされたらもう答えはひとつしかない。


「…呼ぶ」
「ん!じゃあなー」


そして、木兎くんは男子バレーボールのファイルを手に今度こそ図書室から出ていった。


私の手元には、運動部の過去の成績が書かれたたくさんのファイルが残っている。これらを全て1人で戻すのは難しい。
同じ放送部の別の生徒だって脚立を使わなければ届かないかもしれない。

それな最初から背の高い人に頼めばいいのかな?そうだよね?べつに木兎くんに頼み事をする口実なんかじゃない。背の高い人が必要なだけで、決してそういう訳じゃない。

…学園ドラマ、ビデオ屋で借りよう。

ヒロイン始めました

もんぺ様より、背が低いのを気にしている夢主をバカにする木兎さん・というリクエストでした。あんまりバカにしてないけど、代わりに木兎のいい奴っぷりを沢山書けて良かったです!ありがとうございました!