赤葦京治


『おはよう』


朝、目が覚めると必ず彼女からのメッセージが入ってる。それに対し『おはよう』と同じ文字を返し、既読がついたのを確認してから身体を起こすのが最近のルーティンだ。


カーテンを開けると外は快晴、頭と身体は一気に目覚めて今日も一日頑張ろうと気合が入る。今まであまり気にしなかった洗面所の鏡も少しだけ長めに眺めるようになり、変な寝癖がついていないか確認してみたり。
そうして夏の爽やかな朝、先週買ったばかりの新しいスニーカーをはいて足取り軽く駅へと向かう。


電車よ早くこい、こい、こい。
そして乗り込んだ後はこう唱える。
早く進め、進め、進め。


毎朝飽きもせず頭の中でこの呪文を繰り返す理由はただひとつ、今から停車する駅で太陽が乗り込んでくるから。


「おはよ」


いつもの車両のいつもの位置に彼女は乗ってきた。名前は白石すみれ、その肩書きはいくつもある。
俺のクラスメートであり、梟谷バレーボール部のマネージャーであり、俺の恋人、大切な人、元気の源、オレンジ色の太陽で、


「赤葦くーん、おーい」


突然視界にとんでもなく可愛い顔が現れたので、俺は我に返った。


「あ。ごめん」
「今ボーッとしてたね!」
「してた」
「もー」


本日、一回目。毎日白石さんが笑う回数を数えてしまうのが俺の気持ち悪いところだ。絶対に知られてはならないと思う。


「赤葦くん」
「ん?」
「なに笑ってるの」


絶対に知られてはならないのに、白石さんが笑うたびに嬉しくなって俺にも笑顔が移っている。自分で言うのもなんだけど、べた惚れだ。
「なんでもない」と告げるも白石さんは納得しない様子で「私、何か変?」と疑っている。変なもんか。変なのは俺だ。


「変じゃない変じゃない」
「本当に?私の顔見て笑ってるじゃん」
「それは仕方ないよ…」
「ええ?」


不思議そうに眉間にしわを寄せた顔もたまらないけど、この会話はあまり周りに聞いて欲しくない。少しだけ白石さんに身を寄せて、彼女にしか聞こえないくらいの距離で囁いた。


「朝から好きな子の顔見たら、嬉しくて笑っちゃうのは仕方ない」


こう言ってやると、白石さんは真っ赤になったあと本日二度目の笑顔を見せた。





ずっと片想いしていた白石さんと付き合うことが出来て夢のような時間を過ごして、何もかもうまく行き過ぎて怖いくらいだ。と、自分では思っているのに。


「赤葦、すみれちゃんとどう?」


木葉さんが初対面の時から、彼女のことを軽々とファーストネームで呼んでいるのがとても気になる。非常に癪である。


「まあまあです」
「そうかそうか、キスとかしてる?」
「…は?」
「こわっ」


そりゃあ怖い顔にもなる。

あまりにも下劣な質問だし、仮に「してますけど」と答えたらその風景を少なからず想像するんだろうし、木葉さんに白石さんのキスシーンを想像されるなんて胸糞悪い。
胸糞悪いついでにもうひとつ、キスはまだしていない。できてない。度胸がない。


「……先行ってます」


朝から気分が良かったのに、一瞬にしてテンションを下げられた。

キスは当然したいに決まってる。けど、どうやってすれば良いんだろう?

そもそも付き合い始めてまだ1ヶ月くらいしか経ってないのに「キスしよ」なんて引かれないか?いや、普通はもっと早くにしてるのか?皆そんなに簡単にキスできるのか?

俺には出来ない、一瞬でも唇が触れたら頭がふっ飛んでしまうのが怖くて。


「赤葦くん」
「うわっ」


突然、心地よい声で呼ばれて驚いた。大きな声が出てしまったので咳払いで誤魔化しつつ、白石さんには至って普通の顔を向ける。


「な、なに?」
「教室着いたよ」
「え」


気付けば朝の部活は終わり、教室に向かうため廊下を歩いているところだった。そして知らない間に教室を通り過ぎそうになっていた。


「あー…ごめん」
「やっぱりボーッとしてるね」
「…そうかも。ちょっとだけ」


ボーッと何を考えているかと言うと、いかにしてきみの唇を奪うか・なのだけど本人には言えない。

いつもぷるぷるに潤っていて、「あかあしくん」と口角を上げて俺を呼ぶ。
ストローでジュースを飲む時のしぼんだ口やご飯を食べる時の大きな口に、今日は一日中釘付けになってしまった。

その口ぜんぶ、俺の物にしたい。


「お前見すぎだよ」


白石さんの事を見ていたら、また知らない間に時間が過ぎていて放課後になっていた。
よほど俺が凝視していたのか、木葉さんが笑いを噛み殺しきれずに肩を震わせている。


「…見ちゃいますね。彼女ですから」
「まー気持ちは分かる。俺も彼女がマネージャーだったらガン見するな」
「ですよね。ついつい見ますよね」
「…つーか…赤葦と恋バナで盛り上がる日が来るとはビックリだわ」
「どういう意味ですか」


バレー部の皆もクラスの皆も俺を落ち着いた人間だと思っている節があるが、決してそうではない。嫌になるほど普通の16歳だ。今まで片想いの経験も失恋の経験もあるのに、その恋が実ったのは初めてなのだ。

そして「付き合ったらどんな事をしようかな」という妄想だって人並みに繰り返し、ベッドの上で虚しく我に返ると言う恥ずかしい過去もごく最近の事。


「まあ、早くキスしてやれよぉ」
「……気付いてたんですか。最悪です」
「プラトニックな空気には敏感なのだよ」


木葉さんがにやりと微笑んだ。この人本当に、木兎さん以上に扱いづらい。





言われなくとも良く分かっている。
今朝「キスとかしてる?」と聞かれてから、世の中の高校生はどんなタイミングでキスをしているのか、一日中スマホで検索していたんだから。


その結果今時の高校生はキスなんて朝飯前で、親に隠れてのセックスとか、遊園地にデートに行くとか、未知の領域だけれど憧れの内容がずらりと書かれていた。


と言うことは俺がキスもせずに手を繋いで歩くだけで満足(俺だって決して満足ではないが)してるってのは、白石さんにとって不満である可能性も高い。
でも、手を繋いだら一気に幸せな気分になってそれ以上を求める余裕すら無くなるのだ。…俺に余裕が無いのがまず大問題なんだな。


「今日もお疲れ様ー」


キス、キス、くちびる、白石さんの、形が良くて柔らかそうでぷるぷるの口元。部活終わりに駅まで歩いている時も、ついつい横目で見てしまう。
「あかあしくん」と発音するその動きがたまらなく愛おしい。その口で下の名前を呼ばれたら危ない。まだ駄目だ。


「あかあしくん?」
「う」
「…何考えてるの?」
「…なんでもないよ」
「嘘つき」


そう言えばこんな内容の喧嘩を前にした事があるな。筆談で。


「なんか心配事とか不満があるなら言う!って約束したじゃん、付き合う時に」


白石さんが強めの口調で言い、きつめの目で見つめてきた。それすら何か心地いいんだが、俺はMだったのかな。

付き合う時、確かに「決まり事を作ろう」という話になり上記のような約束をした。
けど付き合ってまだ1ヶ月だし、なかなか相手に対しての不満なんか出てこなかったのだ。だって彼女は完璧なんだから。

でも今不満を言えと言うのなら、言わせてもらうほうが良いのか。


「……不満な事といえば」
「うん。何?」
「キス、してもいいのかなって事かな」
「………き……」
「それが不満…いや不安かな?ごめん。今朝から白石さんにキスしたくて仕方なくて、考え込んでた」
「そ……そういう事しれっと言わないで」


俺としてはしれっと言ったつもりはなく、結構な勇気を出したんだけど。この顔の造りのせいなのかあまり頑張りが認められなかったらしい。


「したいの?」


しかも白石さんだって「したいの?」なんて殺人的な台詞をしれっと言ってくるもんだから、表情をキープするのが精一杯だ。


「したいよ」
「そっか…」
「白石さんが嫌ならいいけどね」
「……なんでそんな事言うの…」


隣を歩いていた白石さんが立ち止まった。俺の腕をつかんで。少しだけ引っ張られた俺は振り返り、その顔を見下ろした。


「してよ」


俺が彼女を見下ろしているのに、俺を見上げるその瞳の方が何倍も強く美しい。

今見つめあっているだけで唇が触れ合うよりも多くの事を以心伝心できた気がするが、その手に腕を掴まれてキスしてよなんて言われたら引き下がれない。

…いや撤回する。
絶対に引き下がらない。


「…どうなっても知らないよ」


俺が答えると白石さんの顔には緊張が走ったけど、すぐにうんと頷いた。
今度は俺が白石さんの手を引いて、1ヶ月前のあの日、暑い中汗びっしょりになりながら抱き合った公園へと誘導したのだ。


最終的に今日は、何回目だか数え切れない笑顔を見せてくれた。

ナツコイプロムナード

匿名様より、サンシャイン・ガール番外編でバレー部の皆が二人の世話を焼く&木兎の世話を焼く・というリクエストでした。書いているうちに、木兎さんの世話を焼くシーンは雰囲気が合わないかな…?と思って省いてしまいました力不足でゴメンなさい…!この連載は私も思い入れがあるので、書いてて楽しかったです。ありがとうございました!