木兎光太郎


高校生三年生にもなって私は誰とも付き合ったことが無いし、告白したことも無い、されたことも無い。

少女漫画やテレビドラマでは同年代の女の子たちがあれよあれよと恋人を作り喧嘩をし、浮気をしたのち元サヤに戻ると言ったストーリーが繰り広げられているのに。
「恋愛なんて逆上がりよりも簡単だよ」とでも言いたいのかメディアの方々は?…まあ、私、逆上がりも出来ませんけど。


「え?逆上がりできねえの?」


先ほどの体育であまり良い結果を残せなかった私と友人は「小学校のとき、逆上がりって難しかったよね」などと話していた。

そこへ、席の近い木兎がたいへん驚いた様子で声をかけてきた。大きな声でクラス中に、私が逆上がりをできない事実を知らせてくれやがったのだ。


「…できませんけど?ていうか声大きい」
「あんなの簡単だろ。こう掴んで、ぐるっと回ってシュタッと着地して」
「無理無理」


自由に割り振ることの出来るスキルを10とするなら、木兎はそのうち8を運動神経に充てられたような男だ。私は2…くらい?

とにかく運動なんか大嫌いだし、やりたくないし、この梟谷学園を選んだ理由だって「このあたりの高校の中で、マラソン大会で走る距離が一番短い」ということを調べあげたからだ。


「白石は何も出来なさそうだもんな!」
「失礼なやつ」
「すみれはさぁ、木兎と足して二で割ったらちょうど良さそうだよね」


隣でくすくす笑いながら友人が言った。

彼女が笑っている理由は私の壊滅的な運動神経を馬鹿にしているわけではない。私が、この男のことを好きだっていうのを知っているからだ。
なんて事を言い出すんだと慌てた私も大きめの声を出した。


「木兎と足して割る!?やめてよ」
「そうだぞ、どうやって足すんだよ」
「そこじゃないし」
「大体なあ白石は白石であって他の誰かと足したり引いたり掛けたり足したりっていうのは…あれ?俺、割るって言い忘れた?」
「もういいから!ウケる」


ついに笑いをこらえるのに必死で涙目になっていた友人が言った。木兎は腑に落ちない様子で近くの机に腰掛けている。この人、体重が重そうだから机の脚が折れてしまうんじゃないかな。


「すみれは運動できないんだから、運動が得意な人と付き合えばいいじゃんって話よ」


友人の悪ふざけはどんどん続く。
相手が木兎だからいいものの、普通の男の子だったらいい加減私と好きな人が誰なのか気づいてしまいそうだ。「こいつ俺のこと好きなんだ」と。


「運動の得意なやつ?」
「そう。確か好みのタイプは運動神経が良くて背が高くてちょっと頭脳が頼りなかったりするけどそこも可愛い、」
「ちょーーーちょちょちょ」


こいつ馬鹿か!思い切り友人の背中を叩いて制すると彼女は「げほっ」とむせた。謝りませんからね。私の鋭い視線に気づいた彼女は苦笑いで答えた。


「白石って運動できるやつが好きなの?」
「………う、え」
「木葉みたいなやつか?」


気づけば木兎が真顔で前のめりになっていた。何で木兎まで私の好みのタイプを聞き出そうとするの、お前だよ。しかも木葉は一年の時にクラスが同じだっただけで、私との接点はとても少ない。


「…まあ出来ないよりは、出来る人…」


間違ってはいないんだけど、私は別に運動できる人が好きなんじゃない。好きになった人が偶然、運動のできる人だっただけだ。


「他には!」
「ほ、他に!?なんで?」
「いっぱい条件があるんなら全部言え!俺がいいやつ見繕ってやるから」
「はい?」


木兎が私に、誰か良さそうな男の子を見繕うだって?私の好きな人が、私に別の男を?


「運動ができて、えー…背が高いやつだったっけ?あと何かあるなら教えて」
「木兎、木兎ッ」


さすがにショックを隠せない私に気づいた友人は、木兎にそれ以上言わないよう声をかけた。でも木兎はきっと、自分が喋っている時に他人の声は聞こえないタイプの人間だ。


「……トイレ行く」


今が昼休みでよかった。
少し長く席を外しても、次の授業のことを気にしなくてもいいんだから。





私に三年間彼氏がおらず、誰にも告白しなかった理由。それは入学当初からずっと木兎の事を好きだから。

いくら「このあたりでマラソンの距離が短い学校」を探したとはいえ私の地元からは少し遠く、梟谷に進学した知り合いは居なかった。

だから入学式の日には不安でドキドキしてたけど、教室に足を踏み入れた途端「よろしく!」と声をかけてくれたのが彼だ。どんなに有難かったことか。


でも、木兎は私に別の人を探して、もしかしたら紹介しようとしているのかもしれない。

思いを伝えないうちに、夢敗れる。か。
まだ敗れたくない。
勝負にも出ていないのに!

でもそれは、私が勇気を出さずに二年以上もうだうだしていたせいだけど。

トイレを理由に教室を出たけどトイレに用事なんか無かったので、普段使われていない家庭科室の前まで来ると自然に涙が出てきた。


「…やーだーぁぁ」


やだ。いやだいやだいやだ、木兎に他の誰かを紹介されるなんていう仕打ちは。私のことなんか全然眼中にないという事だ。


「ヤダじゃねーよ!なに泣いてんだ」
「ひっ!?」


人目がないのをいい事に泣きまくっていると、背後から一番会いたくない、でも大好きな男の声がした。


「ぼ、ぼくっぼぼぼ」
「誰がボーボボだ!」


言ってない。ボーボボとは言っていない。
が、ツッコミを入れる余裕は無くて必死に涙だけは見られないように顔を背けた。


「来なくていいから!まじで来なくていい」
「いや、森田が追いかけろって…」


森田とは、さっき一緒にいた私の友人だ。


「そんなに彼氏が欲しいのかぁ?」
「違うし…ていうか近づいてこないで」
「嫌だね!絶対に嫌だ」


木兎が大きな一歩を踏み出した。

家庭科室は廊下の突き当たりにあるので、もうこの場所が最終地点。私の背中には鍵のかかった家庭科室のドアしかない。

そして目の前には、もしかしたら家庭科室のドアより頑丈な木兎光太郎。


「お前な、恋ってのは待ってても駄目なんだぞ?自分からガッと行かないと」
「…ずいぶん経験豊富なんだね」
「豊富じゃねえよ!俺も参ってる!ガンガンアピールしても気づかれねえから!」
「…………」


好きな子いるんだ。

好きな子いるんだ。

…木兎、好きな子いるんだ。

視界が真っ暗になり、このまま失明するのかもしれないなと感じるほど何も見えなくなった。けれど木兎の声だけはきちんと響いてくる。


「けど、アピールの方法がおかしいって森田に怒られて参ってる」


木兎の声は私の頭の上から降ってきたかに思えた。でも、実際どうなのか分からない。なんたって私の視界は真っ暗なんだから。


…真っ暗だ。
どうしてか?


目の前に木兎がいて、その堅い胸が私の顔に押し付けられているんだから、そりゃあ真っ暗にもなるだろう。私はショックで失明したわけではなかったらしい。


「…ぼくと…?」
「これも正解なのか分かんねえけど。さっきのは分かりにくすぎるって森田に怒られた」
「……??さっきの?」


さっきのって何だ、と言うかどうして木兎が私の友人に怒られたのか、それより何故彼は私を抱きしめているのか、疑問は無限に浮かんでくる。


「なあ俺じゃ駄目?俺だって運動できるしまあまあ背も高いぞ」
「なっ」


まるで、木兎が私のことを好きでいるみたいじゃん。まるで両想いみたいじゃん。


「何言ってんの!離して」
「無理!離したくない」


無理やり冷静さを取り戻そうとしたところ、木兎の胸板が視界を塞いでいるだけでなく背中にものすごい圧力を感じた。

木兎の腕が私の背中に回ってて、ロックされている。その力がだんだん強まって私の身体が締めつけらている。


「…離してくんなきゃ死ぬ」
「なっ!?死ぬなよ!そんなに嫌か!」


木兎がすぐに手を離した。嫌だから死ぬんじゃなくて、絞め殺されそうって意味だったのだが。
力任せに締めつけられたせいで着崩れてしまった制服を直していると、木兎がぼそぼそ喋っているのが聞こえた。


「俺は白石が好きなんだけど…嫌なら仕方ねえけど…いやでも諦めるのは難しい」
「……ん?」
「俺じゃ駄目か?」


やっと私を絞め殺すのを諦めたかと思ったら、すごい力で肩を掴まれた。
でも「痛い!」という感覚よりも先に、いつも自信満々に輝く木兎の瞳には見たことの無い緊張感を感じた。


「…ほんとなの?」
「失礼な奴だな!俺は嘘は嫌いだ」
「で、でも私に適当な男の人を見繕うって」
「………」
「………」
「…ごめん。あれは嘘」


おい。


「だってよ、流石に俺にも恥ずかしいっていう感情があるわけで…白石がどんな奴を好きなのか知りたかったから」


木兎は大きな手の使い道を迷っているのか、顔の周りで手を振ったり頭をかかえたり口元に手を当てたりしていた。
けれど、やっぱり緊張しているのが伺える。

その姿を見ると逆に自分が落ち着いてきて、さっきまで泣いてたはずなのにすっと口から言葉が出た。


「…………木兎」
「うお?」
「木兎だよ」
「お?」
「私が好きなのは…」


何回言わせるんだよ。と言いそうになった時、木兎が再び私の肩に手を置いたかと思うと思い切り前後に揺らした。


「まっまままマジで!!?」
「ちょっ、ぼ、く、とっ」
「おおおおい!マジか!マジなのか!
「ゆっ、揺れ、揺ら」


地震体験マシーンって、多分こんな感じ。身体をぐわんぐわんに揺らされて、目が回りそうになった私に気づいた木兎がやっと手を離した。私はその場でふらついた(ふらついた事には、木兎は気付いていない)


「おい!焦点合ってねえぞ」
「誰のせいだと」
「なあ白石、もっかい言って?好きなのって俺?誰?俺?俺なのか?」
「………木兎だよ」


私がそう言った瞬間、木兎が大きく息を吸った。おそらくとんでもない大声を出す用意だと思われたので耳を塞ぐと、「うおおおお!」と聞こえた。予測は大当たり。


「何だよ俺すっげえアピールしてたのに!全然気づいてくんねえの」
「アピールって……」
「毎朝挨拶したり、ずっと見たり、白石の後ろを歩いたりとか」
「…………」


そりゃ気づかないだろう。
木兎は視界に入った人間ほぼ全てに挨拶をしている。よって木兎は常に色んな方向を見ているから私を見ているなんて気付かない。さらに、私の後ろを歩かれても私が気づくわけがない。


「…分かりにくいよ…」
「はは!だから森田に怒られたんだな」
「次からもっと分かりやすくして」
「つぎ??」


木兎が首をかしげた。そしてすぐに「ああ!」と何かを思いついて、何を考えたんだろうと思っていたらまたもや私の視界が暗くなった。
木兎の胸板に目の前を阻まれて。


「こうでいい?」


気づけばさっきみたいに、木兎に抱きしめられてぎゅううと顔を押さえつけられていた。


「……ッし…心臓に…悪い」
「え!おい!死ぬなよ!」


木兎の力が強いのも、予測できない動きの数々もとにかく全てが心臓に悪い。
ちょっとしたことで動悸が激しくなるのは、私が運動音痴だからではない。

私の好みは「運動神経が良い人」だと木兎は思っていたようだけど、それも違う。逆上がりなんか出来なくたっていい。けれど、木兎はそういうの全部こなしてしまう万能な人。

この、たまたま好きになった運動神経抜群な男はとんでもない恋愛音痴のようで、私に胸板を押し付けているせいで大きな心臓の音が丸聞こえだった。…これも全部、心臓に悪い。

そんなに私を苦しめないで

羅一様より、夢主は他の部員がタイプだと勘違いする木兎さん・というリクエストでした。嫉妬させるより空回りさせるほうが木兎さんらしかったので、こんな感じに…。しかし「他の部員」が台詞の中でしか、木葉しか出てこなくてすみません!ありがとうございました!