影山飛雄
まだ昼の2時なのに、窓の外はどんより暗い。久しぶりの大雨で体育館が水漏れ?したとかで、今日のバレー部の練習は中止になったようだ。
その連絡を飛雄から受けて、家でごろごろしていた私は「寄ってく?」と彼を家に誘い込んだのだった。
「いらっしゃー…うわ!すごい濡れてる」
玄関先まで出迎えて戸を開けると、ものすごい雨の音がした。
そして現れた飛雄の持っていた傘はもちろんびしょびしょだし、傘の中に収まりきらなかった大きな鞄もびしょ濡れ。飛雄自身も結構濡れていた。
「…さみィ」
「やば!風邪ひくよ!タオル持ってくる」
「ん。」
飛雄は傘だけを玄関の外に立てかけて、戸を閉めた。
練習で汗ふき用に持ってきていたらしいタオルもすでにその役割を果たしていない。
バスタオルを二枚持ってきて、鞄と彼自身とをそれぞれ拭くことにした。
「何でこんな濡れてるの?」
「風が強かったし…自分と鞄のどっちを守ればいいか分かんなくなった」
「何それ」
「気付いたら濡れてた」
相変わらずよく分からない感覚を持つ飛雄らしいけど、鞄か自分かならば是非自分の方を守ってもらいたい。
先に鞄を拭き終えた私は続けて飛雄の頭にタオルを乗せた。
「頭拭くよね?」
「んー、あとで。靴下脱いでいいか」
「いいよー」
「…お邪魔します」
一応頭を下げてから、靴と靴下の両方を脱いで飛雄が家に上がった。
二階までの階段を登り(途中、「足くさくねえ?」と気にしていた)これまで数回招いた事のある私の部屋に入れた。
「練習途中で終わっちゃったんだね」
「ああ…雨漏りがひどくて」
「ありゃー…残念だったね」
ここでひとつの嘘をついた。
私、全然「残念」だなんて思っていない。ラッキーだ、飛雄とゆっくり一緒に居られる!としか思っていないのだ。
座布団に腰を下ろしてバスタオルで頭をわしゃわしゃ拭いている彼は、同じ高校に通う同級生。
昔からバレーをしていたらしくて、出会った頃にはバレー一筋。
そんなところが格好よくて好きになったんだけど、やはり部活をしている時間の方が長いのでこんな風に部屋で過ごせる機会は多くない。
「今何時?」
「2時過ぎかな」
「……まだそんな時間か…」
ふう、と息を吐きながら飛雄がタオルを首にかけた。本当ならば5時くらいまで練習だったのに、こんなに早く切り上げなければならない事にご不満の様子。
まだ湿っている髪からは、若干の雫がぽたぽたと彼の肩に落ちている。張り付いた髪をうざったそうにぐしゃぐしゃかき回すところがまた、私には刺激の強い姿だ。
「まあ、ちょっと暖まって行きなよ」
「…そうする」
「明日の予習する?ていうか宿題した?」
「宿題?何の」
「数学」
「………ああ…忘れてた。まあいいか」
この週末に出されていた数学の宿題を忘れていたらしい。この様子だと、古典の宿題も出ていたって事も覚えてないな。
「よくないよー、怒られるよ」
「別に怖くねえし」
「そういう問題じゃないの!古典も出てるんだよ、教科書のどこかを写して訳せって、」
宿題のページを出して飛雄に提示するため、鞄をごそごそ漁っていた時。私の手は突然彼の手によって動きを止められた。
「…な、なに」
「いや…」
説教じみた事ばっかり言うから機嫌を損ねたのだろうか?
だって同じクラスで飛雄が先生に頻繁に怒られる姿なんか見たくないし。私がやや強気の視線を送ると、飛雄はばつの悪そうな顔で言った。
「今、勉強しなくてもよくね?」
「………?」
「…せっかく、アレだし」
彼はずっと俯いていたが、「アレ」と言うのと同時に顔を上げた。
アレっていうのは恐らく、具体的に口にするにはどうしても恥ずかしくて言えない文言を指すのだろう。「せっかく一緒に居るんだから」という文言。
でも私、物分かりが悪いので指示語だけでは理解できないのです。
「アレって何?」
「え」
私が聞くと飛雄は明らかに動揺した。
まだ付き合って半年経たないくらいだけど、彼が極度の照れ屋であまのじゃくであると言う事は知っている。
だからいつも、私に何か頼む時や言いづらい事を言ってくる時には「アレが」「アレだし」「アレだろ」「アレだから…」とぼんやりとした言葉を遣うのだ。
普段はそれで理解して応じている私が突然「アレって何?」と聞き返したので、相当不意をつかれたらしい。
「アレじゃ分かんないんだけど」
「分かんだろ」
「分かんない」
「いつもは分かってんじゃねえかよっ」
「今日は違うよ」
湿った飛雄の膝に手を置くと、ぽたりと私の手に水滴が落ちた。
「アレって何?」
「………」
そのまま体重をかけて顔を近付けると仰け反って逃げる彼。この男は真正面から凝視されるのに弱いのだ、相手が私である時に限り。
やがて観念したように肩を落として言った。
「…勉強の話なんかしたくない」
「なんで」
「それは、アレ…あの…一緒に居んだから」
「だから?」
「…テメー面白がってるだろ」
「いやあ…」
声色が変わったので、しつこかったかなと思い怒らせないうちに離れようとした。
そのとき、飛雄の膝に乗せた手が彼の手で上から覆われる。あ、と思って顔を上げると目の前には影山飛雄の黒い瞳。
「わ、」
びっくりして声をあげる間もなく、すぐそこにあった彼の瞳は近付きすぎて見えなくなった。
視界全体に飛雄の肌の色、視界の端には髪の毛が。
キスすると、何にも見えなくなるんですね。
「……満足ですか。」
数センチほど顔を離して飛雄が言った。こいつ、うまく言葉にしないで逃げる気だ。
「……不満です」
「は!?」
「あと10回くらいで満足」
「…んだよ……」
あれ、ついに怒ったかと感じた次の瞬間にはまた視界が悪くなっていた。
どうせ見えにくいなら目を閉じてしまおうかと、ゆっくりまぶたを閉じる。すると彼が目を開けるのを感じた、飛雄のまつ毛が私のまぶたに当たったから。
「俺、10回じゃ足りないんですけど」
顔の距離はそのままに、吐息のひとつひとつが聞こえる状態でこう言うもんだから威力は計り知れない。
「私も足りない」と言いたかったけど、言葉にする時間も惜しいのですぐに唇を押し付けて応える事とする。
その間ずっと膝の上で繋いでいた手は、雨と汗のせいで最後まで乾くことは無かった。
満足するにはまだ早い
うみのき様より、影山とまったりお家デート・というリクエストでした。まったりの定義とは…と議論になりそうですが(笑)、押されてばかりでは黙っていない影山飛雄でした。ありがとうございました!