縁下力


みんみんみんと蝉の声が響く空の下。体育館横の水場はかんかん照りで、太陽は真上にあるので影もなく直射日光が降り注ぐ。
水道の水はもちろん温くて、こんなんじゃ皆の体力を回復させるドリンクなんか作れそうにない。


「……はあ」


諦めて蛇口を閉める。武田先生にこの絶望的な水温を説明し部費で冷たいドリンクを買ってもいいか聞いてみよう。


「…あ、」


体育館に戻ろうとすると、ちょうど一人の部員が歩いてきていた。
同級生の縁下力は私の目の前まで来て立ち止まると、眩しそうに空を見上げた。


「暑ー…何してんの」
「ドリンク補充しようかなって…でもここの水めちゃくちゃ温い」
「ふーん?…うわ!ぬっる」


力は試しに蛇口を捻ったが、その水の…むしろお湯の温度に驚いてすぐに閉めた。濡れた手を服でごしごし拭いている。


「やばいよね?これ。冷たいドリンク買ってもいいか先生に聞こうと思って」
「さっき谷地さんが買いに走ってったよ?」
「え!私補充してたのにー」
「ふっ、存在忘れられてんじゃないの」


どうやら私がここでドリンクの補充を頼まれていたのだが、仁花ちゃんが冷たいのを買いに行ったらしい。どうせここの蛇口からでは冷たい水が出ないから良いか。


「縁下は何してるのここで」
「今休憩。」
「ああ、なんだ」
「…あそこ涼しそうじゃない?」


力がある方向を指さした。
そちらを振り返ると、たまに庭師らしきおじさんが枝を切りそろえている大きな木。恐らく体育館の近くでは一番の大木だ。
広がった枝葉が屋根のようになっていて広い木陰ができている。


「…涼しそう」
「行こう」
「えっ、練習」
「休憩中だってば」


周りを少し見渡して、誰もいないのを確認してから力が私の手を取った。





縁下力は同じ学年のバレーボール部で、マネージャーになってから知り合った。

普通に優しい普通の人っていうのが最初の印象。それが二年に上がってから少し頼もしく見え始めて、出会ってから一年経ったくらいの時に付き合う事になったのだ。


「駄目だよ、体育館近い」
「誰も外なんか出ないよ」


こうして声を潜めている理由は、私たちの関係をまだ誰も知らないから。

知られて困る理由は特に無いんだけど、一年間も同じ部活だったのに二年に上がってから付き合い始めたので、今更何と報告すれば良いのやら分からない。もちろん報告の義務はないんだけどさ。

そのまま数ヶ月経ち、まだ皆に内緒のまま夏休みを迎えていた。


「うおー涼しい」
「陰ってるだけで全然違うね」
「うん…うわ、やべぇ俺汗だく」


力が笑いながら、べたべたに張りついたシャツをぱたぱたと仰ぎ始めた。
シャツだけでなく額にも、腕にも、汗がたらりと流れている。風通しの良くない体育館で動きっぱなしなのだから無理もないか。


「みんな大丈夫かな?あんなとこに缶詰で」
「いけるだろ。月島は微妙かな」
「あー弱そう!」
「すみれ、こっち来て。こっち」


木陰の奥のほうから力が手招きした。

実はこういう事は初めてではない。「誰かに見られてるかも」というスリルは一度味わえば虜になってしまい、時々休憩中に誰も来ないような場所で二人きりになる時間を確保している。

その瞬間は、好きな人と居るからなのかスリルのせいなのか凄くドキドキしてとても濃厚な時間だ。


「…縁下、ここはやばいと思う。近い」
「ちから」
「……力、ここは…」


あまりにも体育館に近いよ、と言いたかったけど。私の心配は一気に吹っ飛んだ。

柔らかい唇が私の唇に触れ、彼の額から流れる汗が口付けている部分まで垂れてくる。

しょっぱい。

汗で濡れた前髪が私のおでこに時折触れるのも、頬にあてがわれる大きな手がじんわり湿っているのも、相手がこの人以外だったら嫌悪感で取り払ってしまいそうなものなのに。


「……苦しい」
「暑くて?」
「…暑いし…息が…」
「鼻で息して」
「ん、」


もう一度、目を閉じる。彼の言う通りに鼻で息をすると、香ってくるのは木々の緑を感じさせるにおい。
そして力のシャツからただよう柔軟剤のにおい。縁下家の柔軟剤のチョイスは抜群だ。


「…も、そろそろ」
「んー」
「縁下」
「ちーかーら」
「ち、力…誰か来るかもだから、っ」


私も、彼も、この背徳感の虜になっているのだった。
何度目かのキスでようやく身体を離して、火照った顔を冷ますように手であおぐ。暑いよ、せっかく木陰に来たのに。


「今日は猛暑だな」


何事も無かったかのように力が言った。


「…猛暑だよ。私まで汗だくだよ」
「それは猛暑のせいじゃないだろ?」
「……もー…」
「あ、前髪ヘンになってる」


力の手がにゅっと伸びてきた。
私の前髪も、汗でぺたんと変な方向に伸びておでこに張り付いていたらしい。

私の前髪の分け目のこだわりを知っている彼はそれを直してくれて、今度こそ休憩を終え体育館に戻るため歩き出すかと思いきや、いきなりおでこにちゅっと口付けられた。


「…っちょ、ちょっと!」
「しょっぱい」


いたずらっぽく口角を上げる力の顔を見るともう適わなくて、私は肩を落とした。だっていくら言ったって、どうにもこうにも好きなんだもん。

戻りざまにもう一度だけキスすると、どっちの汗だか分からない味をほんのり感じた。

テイスティ・ソルティ

そらみ様より、部員に内緒でマネージャーと付き合っている縁下くん・というリクエストでした。完全に「自分が縁下と隠れて付き合ってたらこんな事したい」という妄想を詰め込んでしまいました…笑。ありがとうございました!