月島蛍


同じ学校、ましてや同じ委員会や同じ部活に彼女を作るなんてのは絶対にやめよう。

そう決意したのは中学の頃、バレー部の先輩がマネージャーの彼女にうつつを抜かして、二人して練習に来なくなったのが原因だ。
そのくせ「最上級生だから」という理由で試合に出るんだから苛々して仕方がなかったけど僕はその時1年生だったし、あと半年でこの人と関わることも無くなるのだと思ってやり過ごした。でもしっかりと、「絶対にマネージャーとは付き合わない」と心に誓ったのである。


「つ、き、し、ま、くーん」


マネージャーで、その上こんなに脳天気な声で名前を呼んでくるような人は無理だ。…が仕方が無いので振り向くと、同級生の白石さんがタオルをひらひらとかざしていた。


「落としたよ」
「……どうも。」


それは紛れもなく僕のタオルだったので一応、一応お礼を言うと「どういたしまして」と微笑む顔の裏には何があるのやら。
白石さんは見たところきちんとマネージャー業をこなしているから、何かやましい気持ちがあるわけでは無さそうだけど。…まあ試合も練習も時々手を抜いてしまう僕が言うのもアレだけど。しかしどうも彼女は愛想が良すぎると言うか。


「月島くん!今日の調子はどうですか」


…なんて事を聞いたりしてくる。今日の僕はいたって普通だ。体育館内は暑いけどすべてのドアを解放しているので風通しが良く、ちょうどいい風が吹いているので。だからこう答える。


「べつに普通ですけど」
「月島くんの普通はレベル高いねえ」
「どういう意味?」
「普段からスゴイねって事」


眼鏡のレンズ越しに見た白石さんは満面の笑みであった。褒められるのは悪い気はしないけど、部員とマネージャーは必要以上に関わらない方が良いのでは?

これが時々なら構わない。しかし毎日だから問題だ。毎日毎日、朝練も午後練も同じように僕のところへやって来ては「今日はどう?」などと聞いてくる、飽きもせず。僕の答えはいつも同じで「べつに普通」なのに。

それが重なればいくら「マネージャーとは付き合わない」という決意を抱いていた僕だって、ゆらりと気持ちが揺れるのは仕方が無い事じゃないか。揺れているだけで、まだ傾いてはいないけど。だって白石さんはとても元気で脳天気なのだ。僕以外にも。


「山口くーん!調子はどう!」
「うーん…良くないかな」
「分かった!頑張れ!」
「う、うん」


「日向くんは寝不足ですか?」
「なんで分かったの!?妹が寝相悪くて何回も起こされてさあ」
「一緒に寝てるの?」
「き…昨日だけだし!」


「影山くん足首細っ!」
「え」
「言われたことない?」
「さあ…」


…という感じで影山とのコミュニケーションは微妙みたいだけど、とにかく誰にでも同じように話しかける。八方美人な女の子。
そんな子の一言一言にいちいち反応するなんて馬鹿げてるだろ、僕のことを特別に思ってるならまだしも。

僕は絶対にマネージャーとは付き合わない。好きにだってなるもんか。思いを寄せる女の子が他の部員に馴れ馴れしくするところを見るのは拷問じゃないか?


「月島くーん」


部活終わり、部室を出て階段を降りたところで白石さんと出くわした。彼女もちょうど着替えが終わったところらしい。


「何。」
「今から帰り?一緒に帰っ」
「ヤダ」
「え!」


え!って、何をそんなに驚く事があるんだろ。いつも谷地さんと方向が同じだからって一緒に帰ってるくせに…と思ったら、谷地さんは今日家の用事で早くに帰ったんだった。


「途中まで方向同じじゃん、だからさあ」


僕のほうも、山口が部室の掃除当番なもんで置いて帰ってきている。僕も白石さんも今日は偶然ひとりなのだ。ただの偶然。
「勝手にすれば」と伝えてお構いなく歩き始めると、白石さんは数歩離れた後ろをついてきた。真横を歩かれるのは困るけど、これも困りものだ。なんか僕が怒ってるみたいじゃん。


「あのさあ」
「んー?」
「何でそんなに離れてんの」


ずっと背中を見られているのも嫌だし、黙っている訳でもなく会話は続いているという微妙な状況。しかも白石さんの話し声は、数歩前を歩く僕に届くように喋っているせいか大きいので恥ずかしい。その大きい声のまま白石さんは返答した。


「馴れ馴れしいのは苦手かと思って!」
「……それを分かってるのによくも誘ってくれたね」
「えへへ。」
「とにかく、そんな後ろ歩かれたんじゃストーカーみたいで気持ち悪い」


僕も少し大きな声で言ってやり、ふいと前を向いて再び歩き出した。
さあどう言って来るかな、と思っていたら白石さんは何も言わない。もしかして今のは言い過ぎだったのか?と恐る恐る振り返ろうとすると、僕が振り向く前に白石さんの頭部が視界(の極めて下のほう)に入ったではないか。ぎょっとして彼女を見下ろせば悪戯っぽく笑って僕を見上げるのだった。


「ここならいい?」
「好きにすれば」


全然落ち込んでないのかよ、心配して損した。しかし隣に来たかと思えば何も喋らないので更に調子が狂ってしまう。さっきまでうるさかったのに。悩んだけれど何か話を振ってみることにした。


「あのさ…」
「月島ー!!白石さーん」


それなのにちょうど僕が口を開いた瞬間に、部活以外では聞きたくない大きな声が。


「日向どしたの?」
「烏養コーチが在庫処分のアイスくれるんだってよ!食いに行こ!」
「え!!!」


息を切らせながら言う日向は、この朗報を僕らにどうしても伝えたかったのだろう。白石さんは明らかに目を輝かせていた。
もちろん僕も無料で貰えるなら貰ってやりたい。暑くて仕方が無いんだから。自らすすんで「欲しい」と言うのはちょっと癪だけど。


「月島くん!行く?」
「……んー…」
「行こう!ね、行こっ」


白石さんがしつこく誘ってきたから仕方なくついて行く、という事にしよう。

日向は「よし決まり!」と先陣切って自転車を押しながら歩いて行った。その後ろを僕と白石さんがついて行く…筈だと思っていた。白石さんが小走りで日向の隣に行くまでは。
彼らが同じくらいの目線で何かを楽しそうに話し出すまでは。

その時僕の中にはなんとも信じ難い感情が芽生えたのである。それは心の中に留めるには難しく、気付けば口から音声として発信していた。


「…日向の隣は歩くんだ。」
「へっ?」


幸い無意識に出ていた声はあまり大きくなかったので、前を歩く二人には聞こえていなかったようだ。


「何か言った?」
「なんでもない」


そっか、と二人は再び前を向く。ふたつの後頭部を交互に見ながら僕は自問自答した。ほんとうに何でもないのか?そうだ。何もないんだよな?そうだ。


「…なんでもないよ」


絶対にマネージャーとは付き合わない。好きにだってなるもんか、色恋にうつつを抜かして部活を疎かにするくらいなら。
中学の時から決めていたそれはとても都合のいい自分ルールとなってしまった。この決意は破らないでおこう、決して。
明るく元気な声で名前を呼ばれることの心地良さを知った後では、もう遅いのだけど。

素直になるのは手遅れでした

穂香様より、月島くん相手で内容はお任せ〜とのリクエストでした。月島くんハートブレイクっぽいですが本当は両思いなんです、よ…偶然日向とのツーショットが、月島くんには眩しく見えただけなのですよ!この度はありがとうございました!