『ごめん。明日やっぱり無理』


素っ気ない文章だなあと我ながら思うけど、このまま送信ボタンを押した。だって今日中にはこんな仕事終わらないんだもん。

明日は休みで京治くんと会う予定だったけど休日出勤しないと週明けには間に合わない。
…って先週も同じ理由で会うのを断って、そういえばその前もか。毎日時間が過ぎるのが早くて忘れそうになる。

はあとため息をつくと同時に、京治くんからの返事が来た。


『わかった。仕事頑張って』


この彼からの返事は本当に助かる。『は?俺と仕事とどっちが大事なの?』みたいな事を言う人だったら無理だろう。
でもそれと同時に、ちょっとは残念がってくれてるのかなという勝手な不安も過ぎったり。

しかしそんな事は、仕事の忙しさですぐに忘れてしまったのだった。





夜10時頃、明日も来るしもう退社しようと会社を出た。早く帰って早く寝て、明日早く起きて午前中だけ出社して、それでもし早く仕事が終わったら京治くんに連絡してみよ。

…と、ビルの一階に降りたところで驚き。京治くんがロビーの椅子に座っていた。


「遅くまでお疲れ様」
「……へっ?お疲れ…どうしたの」


京治くんは立ち上がると、私が手に下げていたノートパソコンの入った袋をそっと取り上げた。


「ちゃんと仕事してんのかなって思って」


そして、その袋を持ってくれたかと思うとすたすた歩き出す。
歩幅の違う私は慌てて後ろをついていき、ビルの正面口を出た。あらあら、京治くんは少し寂しかった模様です。


「…もしかして浮気を疑った?」
「チョットね」
「しないよ!京治くんに嫉妬されるなんて私もまだまだ大丈夫だね」
「すぐ調子に乗らない。」
「嬉しいんだもーん」


私たちは大学の同期で、互いに違う会社に就職したけど家は近いし職場もまあまあ近い。
でも私の方が拘束時間が長くて、と言うより私の要領が悪いので仕事が時間内に終わらない。

だから京治くんと仕事の後に待ち合わせたりするのは控えてて、休みの日に会おうって事になっている。のだが。


「嬉しいわりに最近仕事ばっかりだね」


こんな風に、普段クールな京治くんですらぼそっと嫌味を言ってしまうほど最近の私は仕事に追われていた。週休2日のうち、必ずどちらかは出社していたり。


「ごめん、なかなか仕事終わんなくて」
「押し付けられてるとか?」
「それは無い」
「…そう。体調崩さない程度ならいいけど」
「りょうかいです…」


ううん、やっぱりなんだかいつもよりテンションが低い気がする。明日会えるのを相当楽しみにしてくれていたのだろうか。
私も楽しみだったけど、さっき断りの連絡をした時には「ああ仕事終わらせなきゃ!」という気持ちの方が強かった。


「明日ゴメンね」
「ほんとにね」
「ごめん…」


もし逆の立場ならきっと私も怒るんだろうから、もう謝るしかなかった。
すると京治くんがちょっとだけ顔を上げて、「んー」と喉を鳴らした。


「…いや仕事なら良いんだよ。正直ほんとに浮気されてんのかなって冷や冷やしたから」
「えっ?」


今なんて?思わず髪を振り乱して京治くんのほうを見上げると、いつものぼんやりした目だけどちょっと細めている彼が居た。


「…何だよ」


この目の細め方は、いわゆる照れてる時の。


「ちょ…もう一回言って」
「言わない」
「お願っ、」


と、言い終わる前に大きな手で顔面をつかまれた。あ、ほっぺ、潰れる。
けど手のひらから京治くんのにおいがする。


「すみれは調子に乗るから嫌」
「乗りゃらい、乗らりゃいろ」
「………ふっ」


両頬をぐにゃんと掴まれていたせいで壊滅的な滑舌になっていたところ、彼は耐えきれなかったらしい。
思わず吹き出して私の顔を離すと、その手で彼自身の口元を隠した。


「痛いよー笑い事じゃないですよー」
「はは…あー変な顔だった。」
「ちょっと!」
「ぷっはは」


未だにツボっているようで笑っている京治くん。まあ楽しんでくれているならいいか、仕事とはいえ明日の予定をドタキャンしたのは私なんだし。

するといつの間にかいつも通勤に使っている駅の入口を通り過ぎて、別の方へと歩いていた。


「どこ行くの」
「パーキング。車で来たから」
「おお、オデッセイ」
「そう。俺のかわいいオデッセイ」
「妬ける〜」
「はいはい。先乗ってて」


車のキーを受け取って、鍵を開けて助手席に乗り込む。
この車の中はいつも京治くんのにおいと、私が買った好みの芳香剤のにおいが混ざってまさに最高の居場所。

お金を払った京治くんが戻ってきて運転席に乗り、「シートベルトした?」という問いに頷くとエンジンがかかった。


途中でコンビニに寄ってもらい、京治くんは真っ直ぐ私の家に向かってくれた。


「ありがとー」
「いいよ。休み返上で頑張ってんだから」


京治くんはもう普段どおりのテンションまで戻ったみたいだ。
ほどなくして私のマンション前に到着し、車を停める。さっきコンビニで買った缶コーヒーをお礼に渡すと「ありがとう」とそれを受け取った。

そして、後部座席の荷物を持って車を降りようとした時、私はふと思い出した。


「…あ、そういえば明日昼には終わるかも」
「マジ?」
「上手く行けばだけど…」
「上手く行かせて。終わったら教えて」
「あはは、はーい」


言われなくても早く終われば連絡するつもりだったので、了承して助手席のドアを開ける。
そのまま足を踏み出そうとすると「ちょっと」と声をかけられた。


「ん?」
「ん?じゃない。おやすみ」
「??うん。おやすみ」
「……違うよ…もう…最悪」
「え!?なに」


別れ際に「最悪」って、私は彼の一体どんな地雷を踏んでしまったのだ。

…でもその心配には及ばなくて、つまり京治くんは「おやすみ」の言葉を交わす代わりにある事をしたかったみたいだった。

京治くんの手が私の首に伸びてくる。そのまま後頭部に手を回されて髪の毛をくしゃりと撫でられた、かと思えば何の音も聞こえず静かに唇だけが触れて、すぐに離れた。


「………おやすみ。」
「おやすみ…の…ちゅーですか」
「そうだよ。さっさと車降りるとか信じられないんだけど」
「えー!?ごめん」
「ふっ、うそうそ。また明日ね」


そしてもう一度頭を撫でてくれて、また音の無いキスをした。
また明日ね、ってことは私はやっぱり仕事を早く終わらせなきゃならない。いや、終わらせたい。そして京治くんとゆっくりしたい。

でも、少し会わない期間を作ってみるとあんなに可愛い彼が見れるなんてなあ。たまに誘いを断ってみるのもありかもしれない。
…浮気を疑われない程度に。


Good night , I love you , Please please jealous and focus me !