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しばらく俺たちは互いにあらん限りの力で抱きしめ合っていたが、じめじめした暑さに負けた白石さんが申し訳なさそうに「暑い…」と言ったので離れた。

それから冷静になって辺りを見渡し、公園内には誰も居ないことを確認して二人とも苦笑いをしたのだった。


木陰にベンチが置いてあるのを発見して、ひとまずそこに腰を下ろす。
俺は冷静になる必要があった。
自分がこんな誰かに見られるかもしれないような場所で、理性を吹き飛ばして女の子を抱きしめてしまうなんて考えていなかったから。


しかし、こういう時に肝が据わっているのは大抵女性のほうである。
白石さんは恥ずかしそうな素振りを見せつつも「飲み物買ってくる」と自販機のほうを指した。


その背中を眺めながら、呆然と「この子、俺の事が好きだったんだ…」とまだ半信半疑の状態が続く。

こんな夢みたいな出来事があっていいのか。

生きてきた中で、俺は神様の恩恵を受けるような事は何ひとつしていない。
信仰心もないし、クリスマスもお盆も正月も適当に過ごして来たというのに。まさか今日の帰りに俺は死ぬのか?


「大丈夫?」


死の恐怖が頭をよぎる前に、白石さんの声で現実に引き戻された。


「あ、うん…大丈夫」
「考え事してた?」
「してた。…しないの?俺まだすごい興奮してるんだけど。びっくりして」
「うーん」


白石さんは斜め上に視線をやりながら、ベンチの隣に座った。
更に自販機では冷たい缶ジュースを2本買っていたらしく、片方を俺に差し出した。何でこの子、こんなに冷静なんだろう。


「ありがとう」
「暑いからね。あの日も暑かったよね…私もびっくりしたよ?赤葦くんがまさか私の事を!って」


にこにこ笑いながらぷしゅ、と缶を開けるその姿は、あまりびっくりしているようには見えない。俺もなるべく動揺を隠すように受け取った缶を開けながら言った。


「…その割には落ち着いて見えるんだけど」
「だって、知ったのは今日じゃないから」
「ぶっ」


ちょうど一口目を口に含んだところだったので、口から出そうになったのを堪えたら気管に入った。


「だだだ大丈夫!?」
「ごめ…ッけほ、知ったのは今日じゃないって…前から俺の気持ち知ってたって事?」


だとすれば俺はとんでもないピエロだったわけで、ここ最近の言動には後悔しか生まれてこない。特に告白現場に遭遇した辺りから。
しかし白石さんは顔の前で手を左右に振った。


「前から知ってたと言うと語弊があるんだけど…赤葦くんて私の事好きなのかな、ってなんとなく…なんとなぁくね。確信はなかった」
「そうなんだ…」
「でも、今日話してたら確信に変わった。そしたら我慢できなくて告白しちゃった」


白石さんは、ふふふと笑みがこぼれるのを防ぐようにジュースを飲んだ。

俺から見た彼女は少しボヤッとしていて、ちょっと天然で、でも断じて馬鹿なわけでは無いという印象だったのだが。

今はすごく大人びて見える。
俺の心を見透かした女性として。


「俺、実は今日告白しようって決めてたんだけど…」
「うん、なんとなくそうなのかなぁって思った」
「…やば。恥ずかし」
「何で?私は嬉しい」


これはもう確信犯なんじゃないか?


「白石さんが…そんな事言うから…白石さんが可愛いから悪い。」
「ええっ?ごめん」
「…ごめんって思ってないね」
「思わないよ。…今は、幸せだなあ〜としか思ってないよ」


すると彼女は目を閉じて、冷たい缶を両手で持っていたのを膝の上に置き、そのまま上体をこちらに傾けてきた。

俺は血液にセメントが混ざったのではないかと思うほど身動きができなくて、預けられた白石さんの体重をそのまま受けた。

俺の肩の上に、彼女の頭が。

髪の毛が、半袖から覗く左腕にさらさらと当たってくすぐったい。けど、動けない。動きたくはない。一生このまま、剥製になりたい。


「……反則。」
「ごめんね……」
「思ってないくせに」
「へへ…思ってない。大好き」


反則反則反則反則、この連続反則行為にはレッドカードを何枚出しても対処しきれない。





翌日の朝練から白石さんはマネージャーとして部活に参加する事になった。まだ二人の関係は誰にも秘密、当然木兎さんにも内緒だ。

昨日はあれから緊張のためにあまり会話ができなくて、電車に乗ってそれぞれの家に帰った。

だってあのまま一緒に居たら、自分の格好悪い部分だけを見せてしまう事になりかねない。格好いい彼氏でありたい。


「ごめん。先に謝るけど、お前キモイ」


着替えながら、木葉さんが得体の知れないものを見るような目で俺を見ていた。


「…きもいですか」
「キモイ。ごめん。キモイわ」
「はあ…気を付けます」
「何だその会話。」
「いや赤葦がちょっとキモイ気がするんだけど…」


俺はナメクジか何かに成り下がったのかと反論するのを我慢しつつ、先輩たちよりも先に体育館へ向かう事にした。

今朝、おはようのLINEを交わした白石さんもこの時間すでに体育館に来ている。今日からマネージャーなのだから。
朝一番から顔を見られるなんて幸せだ。


「おう!あかーし早いな」


しかし、一番に目に入ったのは主将の顔だった。


「木兎さんも早いですね」
「今日ちょっと早く来いって言われててなー」


顧問の先生に、少し早めに体育館に来るよう指示を受けたらしい。

何だろうなと思っていると、体育館内に部員以外の声と足音が響いてきた。
顧問、マネージャーの3年生が2人、そしてその隣には白石さん…昨日から俺の彼女になった女の子。


「今日からマネージャーをしてくれる2年の白石さん。木兎、挨拶」


合点がいった。時々忘れかけてしまうが、木兎さんはバレー部を束ねる主将なのだ。
新しいマネージャーの紹介を事前に受けるため、早めに体育館へ呼ばれていたらしい。


「おお!あかーしと同じクラスの子じゃん!ついに腹くくったのか?」
「木兎!挨拶!」
「へい!よろしくお願いしまーっす!」


木兎さんの大きな声での挨拶に地響きを感じびっくりしつつも、白石さんは頭を下げた。


「お願いします!こき使ってください!」
「おう覚悟しろよー」
「チョット〜木兎にはすみれチャンをこき使う権限やらないからネ」


雀田さん達に間に入られ、木兎さんと白石さんとの距離は離れた。

その時白石さんと目が合って、互いにしか分からないほどの一瞬だけ動きが止まる。
そして白石さんが声には出さず、口だけ動かした。


(お・は・よ)


これだけで俺はエネルギーチャージ完了、さあ素晴らしい1日の始まりだ。
23.数え切れないきみの罪