with Iwaizumi



「また覗いてるの?」


体育館の窓からこっそり中を覗いている時、背後から声をかけられた。

声の主は俺の返事も待たずに近づいてきて、並んで中を見渡し始める。
そして、こいつは何も考えていないのだろうが肩と肩が触れ合ってしまい、俺は若干反対側に避けた。嫌いだからじゃなくて、その反対の理由で。


「他にする事ないの」
「暇人みたいな言い方はやめろ」
「…中に入ればいいのに」
「いい。もう俺や及川があれこれ言える立場じゃねえからな」


岩泉一、18歳の冬。
バレーボール人生の集大成とも言える大会で、県予選の準決勝敗退ののち部活を引退した俺は下級生にうるさく指導できる地位をすでに失った。
というより、明け渡したと言うほうが正しいのか。

同じく同級生の白石すみれ、ついこの間までマネージャーだったこいつも今や普通の受験生。

この数ヶ月で俺たちは「全国大会を目指す強豪バレー部」から「受験に追われる普通の高校3年生」へと変化したのだった。


「未練タラタラなんだ」
「うるせーな。タラタラだ」
「そりゃ当たり前だよねえ…私も未だに夢見るよ。試合の夢」
「へー」


どんな夢か聞いてほしそうと言うか、続きを話したがっているようだったので黙って相槌を打つ事にした。


「勝つ時もあれば負ける時もあるんだけど、一番最近見た夢では勝ってた。で、何故かそれが全国の決勝でさあ。優勝してた」
「さすが夢だな」
「もう泣いて喜んだよねー」


…と、いう全国優勝の華々しい夢を見た話をしているのに全然楽しそうじゃない。
そんなの俺に話してテンション下がるくらいなら心の中に仕舞っとけよ。


「………泣く」
「やめろ」
「なーーくぅ…」


すみれの頭が、がくんと俺の肩の上に落ちてきた。
一体何が起きたのかと視線を落とせば額を肩に押し当てて、俺からはすみれのつむじが見えている状態。


「馬鹿、おま、何」
「いま泣いてるから顔見ちゃ駄目」
「はっ?」
「…大人しく慰めやがれください」
「命令かお願いかどっちだ」
「半々……」


この3年間、すみれはどの部員が見てもよく働いたと思う。

部員は当然バレーがやりたくて入部したわけだから、休みの日が潰れても朝が早くても上手くなるためなら耐えてきただろう。
でも女子が高校の3年間をマネージャー業に捧げて、友達との遊びも放課後の寄り道も恋愛も全部投げ出してやって来た事が終わったのを、まだ泣かずにはいられないらしい。

ああ、恋愛を投げ出していたかどうかは正直分かんないけど。こっそり誰かと付き合っていたかもしれないし。


そんなわけだから俺は、すみれが自分の肩に頭を置いてきたのを拒否することは出来なかった。


「なんか、一が大人しく肩貸してくれるの珍しい。クリスマスだから?」
「それは関係ない。つーかクリスマスかよ今日…忘れてたわ」


クリスマスの夕方、俺はかつて自分の所属していた部活の練習を体育館の外から覗くと言う寂しい行為に徹していたのか。
去年も一昨年も、クリスマスだのお盆だの全部無視してこの体育館に缶詰になっていたっけな。


それをすみれも思い返しているのか、または寒いのか、ちょっとだけ鼻をすする音が聞こえた。

…こんな、肩を貸した状況で長い時間居るといくら何でも我慢できない。


「…お前こういうの俺だけにしろよ」
「ん?」
「普通はこういう事されたら勘違いするだろ」
「勘違い?」
「いや、だから…」


どこまで言えば察してくれるのかもどかしい。そしてこれ以上自分で言うのは悔しくて恥ずかしい。
俺自身こういうのは慣れてないし心臓がどきどき鳴ってうるさいと言うのに。

もやもやとイライラが頭の中でごちゃごちゃになっているのを整理していると、肩が軽くなった。すみれが顔を上げたようだ。


「他の奴には思わせぶりな事すんなよって?」
「……まあそういう事」
「一にはしていいの?」
「そりゃ俺はすみれの事知ってるから。冗談か本気かくらい分かるわ」
「ホントにぃ?」


ホントに?ってすごく残酷な質問なんだが、俺がここ数年抱えてきた気持ちなんかこいつは知らないので仕方ない。


「…クリスマスプレゼントちょうだい」
「物乞いか。肩貸してやったろ」
「じゃあ他のモノ貸して」
「は?何」


と、俺が言い終わるが早いかぐっとネクタイを引っ張られた。

当然俺はその勢いでがくんと前のめりになり、体勢が崩れるのを体育館の壁に手をついて支えた。…が、もう一箇所、別のものが別の場所に触れていた。


「…く、ち、び、る、です」


それが離れたと同時にすみれが言った。
ちょっと何を言っているのか、何が起きたのか理解不能。


「…あれ?ショートした?」
「お前ふざけんなよ…」
「へっ、」
「……こんなの貸し借りするもんじゃ無い」


あまり頭が追いついていないせいか、自分でも何を言っているのか分からなかった。

しかし、すみれは俺の唇を拝借したのだとようやく理解できた。この一瞬の出来事が、俺からすみれへのクリスマスプレゼント扱い。


「…貸し借りは嫌だった?」
「そうじゃねえよ馬鹿か」
「じゃあ、ちょうだいって言ったらくれるの」
「あ?」
「これから先、キスする相手は私だけにしてって言ったらそうしてくれる?」


なんて馬鹿げた事を言っているんだと、俺が第三者なら笑って通り過ぎるかも知れない。

でも目の前の女の子と俺は二人とも、これが冗談では無い事を互いに分かっていた。つい数秒前までは冗談だと思っていた。
それが違うのだという事に気付いたのは、すみれが両腕を俺の背中に回していたからだ。


「ずっと我慢してたんだからワガママきいてよ、最後のクリスマスくらい。ちょっと唇借りるくらい良いじゃんか…」
「…はい?」
「好きなんだっつーのクソ真面目ヤロー」


俺の胸の中で喋っていたすみれの言葉は、もごもごと変な声になっていたが充分な破壊力で俺の思考を停止させた。

返事の無い俺の様子を不審に思ったのか、または俺が怒っていると感じたのか、すみれが恐る恐る身体を離して俺の様子を伺おうとした。
そうは行かない。


「っぶ!!」


今このみっともない顔を見られるわけには行かないので、ひとまずすみれの顔をもう一度自分の胸の中に押さえつけた。


「ちょ!げほ、痛い!鼻折れる」
「折れるほど高くねえだろ!つーかタイミング!もうちょいマシな言い方無かったのかよ!」
「無いし!勢い余って言っちゃったんだもん!クリスマスなんだから許してよっ」
「…お前クリスマスなら何でも許されると思ってる?」


頭を押さえつけていた手を離すと、すみれがゆっくり顔を離した。


「…やっぱダメなの?」
「俺の要望も聞いてもらわないとフェアじゃねえよな」
「な、何デスカ…私あんまりお金無いよ…何もあげられないよ…」
「乞食か俺は」


少し赤くなった鼻をさするすみれを見下ろしながら呆れ返って言うと、(ちょっとだけこんな流れになった事を後悔したが、もう遅い)もう今だなと思って続けた。


「これから先、キスする相手は俺だけにしろ」


さっきのすみれの言葉をそのまま借りて言ってやった。
すると、予想はできたがぽかんと口を開けた状態で固まってしまったらしい。微動だにしない。そしてしばらく動かなかったがやっと口を開けて一言発した。


「……も…もう一回…」


今のくっそ恥ずかしい台詞を復唱せよとのご命令。


「…これから先!キスすんのは!俺だけにしろ!はい!もう言わん!金輪際言わん!一億積まれても言わん!」
「……な…」


あ、泣くか?…と思ったがそうではなかった。
大きく息を吸い込んだかと思うとマシンガンのように喋り出したから。


「そんな事なら一から言ってよ!何で女の子から告白させんのサイテーじゃん!馬鹿じゃないのマジで!男気ゼロ!」
「お…お前マジで覚えとけよ」
「一生覚えてるもん!絶対一生!他の子とキスなんかしたら唇あぶってくっつけて二度と開かないようにしてやる」
「怖いわ」


どうも俺は本当にこれから一生、すみれ以外の女子とのキスを禁止させられたようだ。自分で言い出したこととはいえ少し後悔。

…というのは嘘で他の子としたいとも思わないし、すみれ以外に俺の心を射止める女なんか現れないような気がしてならない。
せいぜい唇を火炙りにされないように生きていかなければ。

それよりも厄介なことにこれから先の人生で、すみれが他の男に誘惑されやしないかと俺のほうが冷や冷やしながら過ごす羽目になる事なんて、まだ誰も想像していなかった。


岩泉一の肩を借りて、ついでに唇を奪うクリスマス