072時間ほどが経過し、お腹も空いてきたので二人での勉強会はお開きとなった。
太一はスポーツ推薦のバレー部所属だからと言って甘えてはいられないので、テスト期間は結構頑張っている。普段の授業態度は知らないが。
「あー疲れた…返信きた?」
太一は俺が鞄から取り出すよりも先にスマートフォンの確認を催促してきた。まずは自分で見よう…と思って画面を点ける。と、残念ながら何も来ていなかった。
「…無い。」
「既読は?」
「…ついてる」
「ウケる」
「他人事だと思って…」
まだ焦る段階では無い。俺だって、一度メッセージを読んでから返信せずに忘れたり後から返信することがあるんだから。
それに白石さんだって勉強で忙しいはず。他校の生徒と頻繁に連絡を取り合う暇なんか無いに決まってる。
諦めモードで机に並べたノート類を鞄に戻していると、太一が突然騒ぎ出した。
「賢二郎!見ろ!来たッ」
机に置いた俺のスマートフォンが光っていて、画面を見やると白石さんからのメッセージが。
慌てて手に取りスライドロックを解除する。
「なんて?なんて?」
「ちょっと待てって…」
『ありがとう!いま及川さんに数学教わってました』
「……これは…」
太一は言葉が見当たらない様子で俺の顔色を恐る恐る伺った。
俺は自分の顔が真っ白になっているのが自分でも分かる。及川と数学。二人で?他に誰かいる?どこで?学校?喫茶店?…どちらかの家?
「…決勝で青城に勝ってて良かった」
「え?」
「これで試合にも負けてたら俺、殴り込みに行ってたかも」
「落ち着けって…」
「ジョーダンだよ」
数学なら俺が教えてあげられるのに!…離れた場所にいる俺よりも、同じ学校の上級生に教わるのが手っ取り早いのは分かるけど。
でも勉強を聞くなら同級生のほうが良くないか?及川は自分の勉強があるだろうに。もしかして二人はすでにそういう仲で、太一の「及川に食われてる説」もあながち間違ってないんじゃ…
「…頭いてえ」
「大丈夫かよ!恋の病か」
「そろそろ末期。」
「処方できる薬はございませんなあ」
「……太一マジで居てくれて助かるわ」
「やめろ照れるキモイ」
「キモイは余計」
友人とのくだらない会話に救われながら駅で太一と別れ、なんとか電車に乗り込み帰路についた。
◇
部活のある日よりも少し早めの時間。窓の外にはほんのり夕焼けが見えていて、直視すると少し眩しい。車内は仕事帰りの人たち、また俺のような学校帰りの学生でラッシュ時ほどではないけれどそこそこ混んでいた。
3つめの駅に着き、そう言えばここは白石さんの乗り換え駅だなと思いながらその姿をぼんやり探してみる。
今ごろどこで勉強しているんだろう、と思いつつ空いた椅子に腰を下ろした。
…と、聞き覚えのある声とダッシュする足音が聞こえてきた。
「やばいやばいやばい電車来てる!」
声の主はばたばたと音を立てながら電車に乗り込み、その瞬間にドアが閉まり電車は発車した。
俺は開閉したドアのすぐ横の席に座っているので、ちらりと斜め上を見ると。
「……及川徹?」
「あん?」
息を切らしながら見下ろしてきたのは青城高校の及川だった。
見かけたことが無いのに、なぜこの電車に乗っているんだろう。しかしその疑問は一瞬で吹き飛んだ。
「あ、白布くんだ!」
なぜなら、及川のすぐ隣に白石さんの姿もあったから。及川と同じく走ってきたらしく、手で顔を仰いでいる。
「今帰り?」
「うん…」
一緒に勉強して、そのまま一緒の電車って。俺の頭には最悪のシナリオが何パターンも浮かんだ。
「あの、どうして及川がこの電車に」
「チョット呼び捨てやめてくんない?年下だよね?まだ飛雄のほうが可愛いわ」
飛雄って誰だよ。
「この線沿いに親戚の家があるんだって」
「そうですー。イトコの家に泊まるんですー」
及川は大きく息をつき、暑そうにタオルで汗を拭いた。白石さんもやはり暑そう。
及川が邪魔で邪魔で仕方がないけれど俺はいったん席を立った。
「座りなよ」
「えっ?いいよそんな」
「白石さんのほうが長く乗るだろ」
「でも…あっ及川さん座ります?」
…俺は白石さんに譲るために立ったんだけど。しかしさすがの及川も女の子から席を譲られて受け入れるほどの男では無いらしい。
「イイヨー俺は。すみれが座りな」
「じゃあ…失礼します」
白石さんは俺と及川の両方に会釈をして、椅子の端に座った。
すると当然、俺と及川は隣同士に立つことになる。なんという違和感。俺たちの間には見えない亀裂が走っている気がするが、白石さんはそんな事には気づかない様子だ。
「テスト中も部活?」
「いや、朝練だけ…今は部活仲間と勉強してた」
「そうなんだ」
「白鳥沢って難関だろ?テストも大変そーだね。推薦組は免除とか無いの?」
「………」
一瞬、俺と白石さんの空気は凍った。
しかし及川徹はこの手の話を嫌味ったらしく聞くような性格では無いらしい、言葉を発した本人が慌て出した。
「…アレ?何…アレ?」
「俺は一般入試で入ったんで」
「うえぇ!それはゴメン」
「謝る事じゃ無いです」
思いのほか及川が素直に謝るもんだから調子が狂う。徹底的に嫌な男なら良かったのに。
と言うか入試で入った事なんか今更コンプレックスでは無い。それよりも、こんなところで10センチも背の高い男の横に立たされて白石さんの目の前に居なければならない事のほうが余程腹立たしい。
「でも入試って事はキミ相当頭イイんじゃない?すみれ、彼に教えて貰ったら良いのに」
「え?」
「今日はたまたまミーティングの延長で見れたけどさ〜俺今回のテストちょっとタイヘンかも」
……おや?
俺の頭の中ではみるみるうちに及川徹の株が上がっていく。どうやら本当に今回のテストに頭を悩ませてるらしく、この少しの間にもテスト範囲の確認をしていた。
「そうですよね…はあ…頑張らないと」
俺で良かったら教えるけど。とスムーズに言えれば良いのだが、喉の奥につっかえて出てこない。
これって凄く良いタイミングなんじゃ…と思っていたけれど気付けばもうすぐ自分の降りる駅に到着しそうだった。及川と白石さんの会話を聞きながらのカウントダウン。ああ、電車が減速し始めた。
「…じゃあ俺、そろそろ…」
「キミ数学得意?」
俺の言葉を遮って及川が言った。
「…まあ、はい」
「すみれはこう見えて数学が壊滅的なの。うちの2年は勉強頼りになんないし助けてやってよ」
「え!そっそんな他校の人に…」
「そのほうが精神的に追い込まれて頑張れるジャン」
電車が停まった。「ドアが開きます」のアナウンスを合図にドアはその通り開く。
「…俺は構わないです。分かんない事あったら連絡して」
精一杯の力を振り絞りそれだけ言い残して、俺は電車を降りた。
すぐにドアが閉まり、発車する。電車の中から及川が控えめに手を振り、白石さんは口をぱくぱくさせて何か言っていた。
及川徹、あいつホントにとんでもない男だな。
07.とんでもないライバル