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去年の夏、梟谷バレー部に入部して初めての合宿に参加した。

ゴールデンウィークの合宿は全員参加ではなかったから、インターハイ予選に出るメンバーとベンチメンバー、その他少しの上級生のみだった為に1年だった俺は無し。

そのゴールデンウィークの数日間、上級生は充実した練習をしているのに1年の俺は参加できない。
引き離されないかどうか心配で心配で必死に自主練に励んだものだった。





1年の夏休みの合宿。
これには選ばれたメンバー以外にも希望者や保護者の許可が降りたものは参加出来るので、当然俺も合宿に参加した。


セッターというポジションは、コートの中にただ一人。
コートの上のすべてを把握し、味方の動きも相手の動きも見極めて、攻撃パターンを決め点に繋げる司令塔。

…という格好いいポジションのはずなのにその頃は3年生にとても優秀なセッターが居て、俺は補欠の中の補欠の扱い。

力も強くないしジャンプ力も決して突出していない、反射神経だってずば抜けているわけじゃない俺なんて「その他大勢の1年生」のひとりだった。


悔しい。
高校3年生って、2年早く産まれただけでこんなにも優秀なものなのか?

もう辞めてしまいたい。辞めてやろうか。
休憩中、冗談半分本気半分で考えながら体育館の外に出た。


真夏の体育館の中は蒸し風呂のように息苦しく、外に出ると風が吹いているお陰で日なたでも涼しく感じられる。
少しだけ先程までの暗い考えから解放されたついでに、体育館の周りを一周してみる事にした。


梟谷学園の部活は、休日は午前中で終わる事が多い。
試合前、大会前は1日通しての練習も行われるがそうでなければ半日で終わる。


そんなわけで炎天下の午後、夏休みという事もあり生徒数は少なく、熱心に学校の自習室を使う生徒や合宿中のバレー部以外はすでに帰宅しているようだった。


そう思っていたのだが、歩いていると俺以外の人物の足音と、なにか音楽が聞こえてきた。

なんとなく聞き覚えのある曲だ。

それはインターハイ予選でバレー部の応援にきていたチアリーディング部が使用していたものだった。

練習でもしているのかと遠くから眺めていると…なんて言ったら良いんだろう。

すごく言いにくいんだけど、非常に下手くそだった。素人目に見ても分かるほどに。
そしてそれが自分のクラスメートであると気付いた。


(…見なきゃ良かった)


あまり他人のがむしゃらな姿を見るのも、自分のがむしゃらな姿を見られるのも好きじゃない。

だからそんなに親しくない俺に影で練習しているところを見られるのは嫌だろう。そう思って引き返そうとしたとき。


「……ッた!」


そのクラスメート、白石すみれがぐしゃっと転んだ。

転んだ音と彼女の声に驚いた俺はその場で一瞬固まってしまい、のそのそと起き上がる姿を見て我に返った。今、けっこう派手に転んだぞ。


「……あの。大丈夫?」


一応クラスメートだし、転ぶ現場を見ていたわけだし知らないふりして帰るわけにも行かない。
近づいて声をかけると白石さんが顔を上げた。


「あ…えーと、赤葦くん。だっけ」
「なんかすごい転け方してなかった?」
「大丈夫大丈夫、いつもだし」


いつもって。
いつも転んでるなんて今時幼稚園児でもそんな事はないだろうと、彼女を見るとさあ大変。
腕も、脚も、治りかけの傷から新しい傷まで様々な傷がついていた。


「いやあ…お恥ずかしい」
「それ水で流したほうがいいよ」
「そうだね…、………」
「どうしたの?」


なかなか立ち上がらない白石さんに目をやると、ひどく困惑した様子で座り込んでいた。

まさか痛くて立てませんとか言うんじゃないだろうなと思っていると、出し抜けに一言。


「……捻ったかも」


俺は何かが突出して出来るわけではない。

でも、恐ろしく下手なことがあるわけでもない。
運動だって並以上の出来なもんだから、出来ない人がどんな感じなのか分からなかった。

俺はそのとき初めて直面したのだ。
これが、「運動音痴」という存在。


「すみません。アイシング借りていいですか」
「ん?おー。どうした怪我?」
「いえ、外でチアの子が足捻ったみたいで」
「マジか。いいよいいよ」


先輩に許可を得てタオルとアイシングを借り、再び白石さんのいる場所へと戻る。

すると何という事か、すでに立ち上がって練習を始めようとしている様子。


「ちょっと何してんの座って」
「あれっ、赤葦くん戻ったんじゃ…」
「……これ。」


アイシングを顔の高さまで上げて提示すると、白石さんは目を丸くした。
そして、自分のために持ってこられたものだと気付いたらしく慌てて拒否の反応を見せた。


「え…い、いい!悪いから!」
「悪くない。て言うか、続ける気?」
「あとちょっとだけ…」
「絶対やめたほうがいい。やめるまで戻らないよ」
「………」
「座って」
「……はい」


彼女は大人しく腰を下ろすが、その時の微妙な動きですら足首の痛みを顔から消す事は出来ないようだった。

怪我の処置としてはこれで正しいんだろうけど、果たしてそんなに仲良くもない男の同級生にこんな世話を焼かれるのは鬱陶しいと思われないだろうか。

別に今のちょっとの間だし、俺もこの間はあの体育館から逃れる言い訳ができるから何と思われても良いけれど。


「……白石さん。だよね」
「うん」
「部活は午前中で終わりじゃないの?」
「………」


靴を脱いでもらいながら質問するが、返事が来ない。

怪我をした女の子に説教じみたことを言って、気持ち悪いと思われたか。確かに第三者目線だとやりすぎな感じも否めない。

少し後悔しながら足首にアイシングを当てていると、白石さんの手がアイシングをそっと奪った。


「私、こうしなきゃ追いつけないから」


その言葉に顔を上げると目が合ったかに思えたが、彼女の目には目の前の俺なんかひとつも映っていない。

ずっとずっと先にあるもの、もしかして手の届かないものを必死で目で追っているような焦点の合っていない瞳。
余計な声をかける事で曇ってしまいそうなほどに澄んでいた。

俺が言葉に迷っていると白石さんはいつの間にか笑顔になっていて、「はあ〜痛い」なんて言いながら自分でアイシングを当てていた。


「赤葦くん来て助かった!ありがとう」
「…うん。」
「これ、どうしたらいいかな?」
「あー…適当に返しに来て。明後日まで合宿だからバレー部の誰かに渡してくれたら」


そう伝えると、白石さんはもう一度「ありがとう」と頷いた。

さきほどの一瞬痛みで大いに歪んでいた顔は、真夏の太陽に反射してとても輝いて見えた。





翌日も相変わらずバレー部の使用する体育館内はひどい有様で、とめどなく流れ落ちる汗で視界が悪くなるほどだった。


俺はというと、昨日よりもいささかやる気を出していた。
自分でも理由は良く分かっていないが、白石さんの姿を見て「がむしゃらって良いな」と少なからず感じたのかも知れない。


俺はインターハイ予選のとき、チアリーディング部が二階席でパフォーマンスするのを近くで見ていた。


女の子があのような格好をして黄色い声援を送るのは、それはそれは華やかな光景だった。
その声援を受けながらコートに立ち、自分の力で点を入れ、会場の視線を独り占めにしてやりたい。
思わずそういう欲が出て身震いした記憶は新しい。


「赤葦くん」


体育館の入り口で呼ぶ声が聞こえて振り向くと、白石さんが顔を出していた。
ちょうど休憩中だったのもありすぐにそこまで駆け寄ると、昨日渡したアイシングを手にしていた。


「昨日はありがとう」
「あ、うん。もう大丈夫なの」
「ちょっと捻っただけでひどくは無いみたい。もうそんなに痛くないよ」
「良かったね」
「うん!赤葦くんのおかげ」


俺のおかげというよりはアイシングのおかげだと思うが、その世話を焼いたのは俺なんだから合っているのか。
ひとまず、余計な事をして鬱陶しいと思われている訳では無さそうで胸を撫で下ろした。


「…バレー部すごいねぇ」


中を覗きながら白石さんが呟いた。


「うん。一応全国区だから」
「赤葦くんもそのメンバー!?」
「いや俺は……まだ…1年だしね」


ああ、1年生であることを理由にしてしまった。1年だって、力があればスタメンに入ることは出来るのに。


「私も、1年だから難しいなって思ってたんだけどさ。1組に青山さやかって友達が居るんだけど、その子はもう夏の大会のメンバー入ってるの」


だから年齢なんて関係ないよね。と、白石さんはため息まじりに言った。


「…って暗い事ばっかり考えてたら上手くいかないから、もうこの話やめよう!」
「あ…うん」


そして体育館を覗くのを辞め、昨日足を捻った場所、つまり自主練に使っている体育館の裏へ戻ろうとしている。

今日いきなり過度な練習はやめたほうが良いんじゃないか、という考えが頭を過ぎった。


「あの、あんまり無理しないほうが」
「えっ?」
「足、捻ってるんだし」
「…ありがと。でも私、皆より練習しなきゃ追いつけないから」


そう言って、白石さんは若干足をかばいながら歩いて行った。

皆より練習しなきゃ追いつけないのは誰だって、俺だって同じなんじゃないか?

スタート地点も元々のステータスも何もかも違うのに、ただ「強豪のバレー部に入部した」と言うところがゴールではないのだと分かっていたのに、周りの凄さに圧倒されてばかりの1年生。





その夏を越え、秋を経て、年が明け、梟谷学園は春高バレー全国大会に出場した。

その時俺は5番という数字だけでなく、梟谷の名前を背負い、初めて日本全国の選手を目の当たりにした。自分よりも大きくて、強くて、上手くて、鋭く、圧倒的。

梟谷の小さな体育館で「大きな先輩たち」を見た時よりもはるかに緊張したけれど、それを凌ぐ身の毛のよだつような快感を感じた。


そうして俺がやって来れたのは、あそこであの日白石さんが足を捻っていたから。

いつかそれを言いたいな、でも心の中に仕舞っておくべきかと思いながら半年以上の時が流れ、2年生になった春。

どうか、どうかあの子と今年も同じクラスにしてくれませんかと、生まれて初めて自分ではどうしようもない事を強く願った。

そして張り出された新しいクラスの書かれた掲示板を見て心の中で踊り狂い、最初の席替えで隣の席になった時、この世で一番の幸運な男になれたと神に感謝したのだ。
20.きみに恋した夏の日のこと