03


同じ教室で同じ授業を受けてきたのに、俺は白石さんのことを何も知らない。こんな大きい声出るんだなとか、部活入ってたんだなぁとか、俺のこと好きだったんだなとか。

あまりに急で予想外の告白だったのでその場で断った俺は、それ以降変な気持ちを抱えることになった。誰かが白石さんを呼ぶ声に反応して振り向いてしまったり、授業で白石さんが当たった時になぜか俺が緊張したり。それだけでもじゅうぶん困るんだけど、問題なのは姿を見るたびに白石さんが可愛く見えてしまうこと。あんなに可愛かったっけ? あんな顔だったっけ? 記憶の中の彼女と全く同じ姿をしているのに、目の前の本人が魅力的に見える。大いに大変な事態に陥っていた。


「……げ」


日曜日の夕方、残していた宿題に取り掛かろうとするとルーズリーフが残り少ないことに気づいた。宿題は問題なさそうだけど、これでは明日の英語の予習には足りない。
無理やり小さな字で書いておさめるか適当な紙を代用するか迷った結果、新品を買い足しに行くことにした。ちょうど他の筆記用具も切れそうだし、どうせいつか買わなくちゃいけないし。学校の購買で売られているのは使いにくくて俺の好みじゃない。よく驚かれるけれど、俺は意外と几帳面なのだ。

仕方なく着替えを済ませ、談話室を通り過ぎようとするとリラックスしている様子の先輩方の姿が。その中のひとり、天童さんが出かけようとする俺に食いついた。


「どこ行くの?」
「ちょっと買い物です」
「え!」
「ひとりで行きますから!」


掴まったら長くなりそうだと思って無理やりそう告げると、天童さんは「まだ何も言ってないのに」と口を尖らせていた。
申し訳ないけど経験上こうするしかない。天童さんに付き合って長話をしているうちにバスや電車を逃したり、門限を過ぎたことだってあるのだから。あの日は読みたい雑誌の発売日だったのに。

今日は無事に寮を出発できたので、ちょうどよくバスに乗ることができた。なかなか学校の敷地を出て遠出する機会がないので、毎回新鮮な気持ちになる。中学の時も家と学校の往復だったから、たまに知らない土地に行くのが楽しかったっけ。今は勉強道具を買いに行くためだけの旅だけれども。


「今回やばいのになぁ……」


来月行われる二学期の期末テスト、正直言ってあまり勉強できてない。春高予選があったから勉強時間が削られたのもあるけど、決勝で負けた以上それを言い訳にするのは格好悪い。単純に俺は勉強が苦手なのである。
目的地に到着するとまずはお気に入りのボールペンやルーズリーフを手に取って、レジに行く前に立ち読みでもしようかと店内を歩いた。ここは本屋と文房具屋が併設されていて、同じレジで会計できるのだ。


「あっ」


しかし、雑誌のコーナーに行く足が止まった。見覚えのある後ろ姿を発見したからだ。制服姿ではないけどあの身長にあの髪型、間違いない。白石さんだ。俺を好きだと言ってくれた女の子。
白石さんは立ち読みするかどうか迷っているらしく、気になる本に手を伸ばしたり引っ込めたりしていた。俺が読みたい雑誌もたぶん近くにあるんだけど、非常に近寄りがたい。普通のクラスメートなら全然構わないけれど、なにせ俺は白石さんを振っているのだ。


「……」


偶然だね、なんて話しかけて目当ての本を読むのもアリかなと思った。でも俺が話しかけることで白石さんに変な期待を持たせたり、意識させることになるのは良くない。立ち読みは諦めて、必要なものだけ買って帰ろう。

そのままUターンして会計を終えるまではほんの数分だった。その間白石さんの存在は気になったけど、やはり話しかけるほどの仲でもなく、遠目に彼女の姿を追うだけに留めた。そのうち俺が店を出る前に白石さんが出て行ったので立ち読みしに行こうかと思ったが、会計の直後に堂々と立ち読みは気が引ける。今日は帰ろう、帰って宿題やらなくちゃ。
なるべく白石さんに追いつかないようにゆっくり歩いて店を出たつもりだけど、なんと自動ドアのすぐ近くに白石さんが居た。


「すみませーん」


そして、知らない男性に声をかけられていた。白石さんは自販機の前に居たので何か買おうとしていたようだけど、呼ばれた声に振り向いた。
彼女に声をかけたのが男ってだけで引きつりそうになったけど、もしかしたら白石さんの知り合いかもしれない。知り合いだとしてもモヤモヤするけど。モヤモヤする資格なんて無いんだけども。俺は不自然じゃない程度に近づいてスマホを取り出し、待ち合わせの時間つぶしみたいな演技をした。


「ちょっと道を教えてほしいんですけど」


男の声と、白石さんの「はあ……」という少し戸惑った声がする。どうやら知人じゃないらしい。
でもこのあたりは宮城県内じゃ栄えているほうだし、迷う人が居てもおかしくない。まだ俺があの人を敵対視するのは早いはず。白石さんもスマホの地図を見ながら普通に道案内をしているようだ。


「いま暇? 俺待ち合わせまで時間があるんだ」


ところが次の誘い文句で思わず顔を上げた。白石さんもスマホの地図から顔を上げて「え?」と男の顔を見る。本屋の前でナンパするなよって言ってやりたいけど俺は白石さんにとっての何でもないので、本人が嫌がらない限り余計なことはできない。どうか嫌がってほしい。拒否した時に男が大人しく引き下がってくれるのが一番いいのだが。


「……暇ではないです」
「嘘だー。ずっと本屋うろうろしてたもんね? あ、もしかして万引きでもしてた」
「してません!」
「じゃあよくない? ちょっとだけ」


残念ながらこの手の男がなかなか手を引かないのは本当らしい。「道を教えてほしい」なんて文句は警戒心を解くための嘘だったのだ。まんまと乗った白石さんは素直に話を聞いてくれる子だと認識されてしまい、こうしてしつこく誘われている。冗談っぽく「万引きしてた?」と疑われたことにも腹を立てているようで、それも相手にとっては可愛い抵抗だとしか見られてなさそう。
こんな近くに突っ立ってないで、クラスメートとしてひと声かけるのが良いに決まってる。決まってるのに、「助けたら変に気を持たせることになるかも」という感情が邪魔をした。振られた男子に助けられるのってどんな気持ちになるんだろう? と。
でもついに相手が白石さんの逃げ去ろうとする道を塞いだので、俺はいよいよ一歩を踏み出した。


「あの!」


思えばもう少し良い手があったかもしれないが、突然大声で話しかけてしまった。白石さんと男が同時に振り返る。当然ながら二人ともかなり驚いていたが、男のほうは怪訝そうに眉を寄せた。


「誰?」
「友だちです。こっちも待ち合わせしてたので!」


正直、俺が間に入るのは正解とは言えないかもしれない。ずっと近くで見ていたのに今さら待ち合わせしていたなんておかしな話だ。見張っていた俺の姿が彼らの視界に入っていたかどうかは別として。


「なんでここに……」


男は俺が本当に白石さんと待ち合わせていたのか怪しんでいたが、少なくとも顔見知りであるというのは分かったらしい。「最初からそう言ってよ」とかなんとか言いながらふらふらと歩いて行った。それならそっちも道を聞くフリなんかせずに最初から本題に入ればいいものを。
ひとまず追い払ったはいいが、白石さんにとっては俺の登場も予想外だったはずだ。どう説明しようかと彼女を見ると、口を半開きにしたまま固まっているではないか。


「だ、大丈夫?」
「うん。ごめんびっくりして」
「さっきの知らない人?」
「知らない……ぜんぜん知らない」


小刻みに首を振る白石さんは泣いてはいなかったけど、驚きと戸惑いのせいかぎこちない。知らない男にあんなにしつこくされたのは初めてだろうし(俺もあんな人は初めて見た)、気の弱そうな白石さんのことだから、俺が居なかったら無理やり連絡先交換とかさせられていたかも。さすがに人通りのある場所だから、力ずくで連れ去られたりはしないだろうけど。


「ありがと……」


少し落ち着いたらしく、白石さんが肩を落としながら言った。


「俺はたまたま、ノートとか買いに来ただけだから……」


今日ここに来たのは本当に偶然だった。白石さんを助けるために近くで見張っていたわけじゃない。もしかしたら良くないことが起きるかも、と思ったからこっそり見ていただけで。少なからず白石さんを意識している俺だけど、軽々しく彼女の事情に手を出す行為は避けたいのだ。何度も言うけど俺はこの子を一度振ってるんだから。
それでも今の出来事を目の前にして、このまますんなり解散するのは気が引けた。それじゃまるで血も涙もない人間みたいだし。


「家、遠いの?」


俺がこう聞いた理由は、まだ近くにさっきの人が居るかもしれないと思ったから。俺と別れて一人になった時、また話しかけられたら嫌だろうなと。だから近くの駅ぐらいまでは送っていくのが良いのかな、と。


「大丈夫。電車ですぐだから」


白石さんはあっさりと答えた。思いのほかさっきの件を怖がる様子はない。安心したような残念なような、妙な気分だ。


「そっか。じゃあ……」
「うん。ほんとにありがとう」


最後にそう言うと、白石さんが先に背を向けた。うっすら笑っていたように見えるから、本当にもう大丈夫なのだろう。
でも俺は大丈夫じゃない。無理な理由を付けてでももう少し一緒に居ればよかったと後悔した。初めて見た私服姿の白石さんが、制服の時よりも可愛く見えてしまったから。