01


三年生が引退して、新しい環境での部活動が始まった。
と言っても先輩たちは予定がなければ部活に参加してくれるので、体育館内の顔ぶれはいつもと変わらない。だけど間もなく中等部の三年生が練習に参加してくると聞き、気が気じゃない状態だ。「牛島さんを継いだのがあいつかよ」って思われるのが嫌で、毎日毎日練習に明け暮れていた。


「あち……」


もう十一月だというのに汗がだらだらと流れ出す。考えごとをしながらロードワークをしていたら知らないうちにペースが上がり、知らないうちに曲がるべき道を通り過ぎ、戻るのが遅くなってしまった。今が自主練で良かった、点呼に遅れでもしたら大目玉だ。くたくたになるまで走ったことも怒られるだろう。
体育館に戻るのは後にして、汗が引くまで歩くことにした。疲れた姿を部員に見られたくないというのも理由のひとつ。むしろそっちのほうが大きいかもしれない。

初めて来た時にも驚いたけど、白鳥沢はとても広い。二つの体育館と柔道場に剣道場、弓道場まである。その他にバレー部とバドミントン部は専用の体育館を与えられ、我ながら凄いところに来たもんだ。身体を落ち着けるために深呼吸しながら歩いていると、同じように肩を上下させている女の子を発見した。顔も名前も知っているクラスメートだ。


「白石さん。何してんの?」


白石さんという子は単に同じクラスなだけで、仲は良くも悪くもない。でも人気のない場所で偶然出会った時に無視するほどの相手ではない。だから声をかけてみたのだが彼女はびくっと反応して、アニメみたいなブルブルした動きで振り向いた。


「ご……五色くん! 何でここに」
「ちょっと走りすぎちゃって、長めにクールダウンしようかと」
「ああ……」
「白石さんてチア部だったっけ?」


足元にある黄色いポンポンを見て訊ねると、白石さんは目を泳がせた。もしかして違うのかなとも思ったけど、チアリーディング部ではない人がこれを持つ理由はないはずだ。


「……うん。一応ね。一応」


簡単な質問内容にしては長い沈黙の末、白石さんが答えた。
今、答えを溜められた原因はなんとなく分かった。聞かないほうが良かったかな、ということも。俺は白石さんがチアリーディングをやっているのを知らなかった、つまり第一線で活躍するほどの部員じゃないってことだ。

それぞれの部活に力を入れている白鳥沢は、吹奏楽部やチアリーディング部の人数も多い。当然そこでもコンクールに出られるとかなんとかの競争がある。俺が言うのもなんだけど白石さんは機敏じゃなさそうなので、胸を張ってチア部であるとは言えないのだろうと思う。
そんなわけで余計な声掛けをしてしまったと後悔し、居るべき場所に戻ることにした。


「じゃあ俺、邪魔しちゃ悪いから」
「あ、ま……待って」


しかし来た道を戻ろうとした時、白石さんが俺を呼び止めた。
隠れて練習していたのを口止めされるのかな、そりゃあ知られたくはないだろうな。もちろん口外するつもりなんてない。
でも彼女の口からは、口止めとは全く関係のない言葉が出てきた。


「五色くんの、あの……バレー部の試合見に行ったの。チアだから……あ、私は衣装とかは着てなかったんだけど」


白石さんはクラス内でもあまりハキハキと発言するほうではない。けど、今は普段にも増しておどおどしながら喋っている。先日行われた春高予選の話をされていることは分かったので、聞き逃さないように耳を澄ませた。


「試合ほんと、お疲れ様……でした」


最後に白石さんは、ちょっぴり頭を下げたように見えた。そもそも彼女は下を向いて話していたので、表情はあまり分からなかったが。
まだ完全に吹っ切れたとは言えない試合だけど、あれから色んな人に同じような声をかけられた。親にも友人にも中学の時のチームメイトにも。だから傷を抉られるってことはない。でも三週間ほど経過した今になって改まって言われる意味が分からなくて、少し困惑した。


「……ありがと……?」


首を傾げながら答えると、白石さんは「あっ」と我に返ったように見えた。


「……ごめん。私が言いたかっただけなんだ」
「え、うん……?」
「じゃ!」
「えっ」


それから練習用のポンポンを拾って、足早に去ってしまったのだった。
俺が練習の邪魔をしたというのに申し訳ない。もっと申し訳ないのは、「お疲れ様」と言われて困った顔を見せてしまったことだ。俺が変な反応をしたせいで失言したと思ってしまったのかも。

白石さんのことは少し気がかりだったけど、練習に戻ればすっかり頭から消えていた。クラスでもあまり話さないし、練習以外にも勉強だって怠れない。親しくない子のことを考える余裕はなく、その日の夜は宿題と復習を終わらせて熟睡した。



そして次の日も早く起きて朝練をして、朝食のあとは授業に出て、クラスで白石さんを見かけても昨日のことは全く頭に浮かばなかった。白石さんが特別落ち込んでいたり暗く見えたら気になったかもしれないけど、普通だったから。……まあ彼女の「普通」がどんな感じなのか、それすら知らないほど俺と白石さんは関わりを持っていないのだけど。
だから、そんな彼女がわざわざ俺を探して走ってくるなんて思いもしなかった。


「五色くん!」
「はいっ」


あまり聞きなれない声に呼ばれ、反射的に敬語で返事をした。女の先生とか先輩かもしれないと思ったので。でも振り返ると全然目上の人ではなくて、つい昨日話し女の子だった。


「あれ。今日も練習してるの?」


練習着姿の白石さんに聞くと、彼女はこくりと頷いた。チアリーディングの練習中にしては身軽というか手ぶらだ。というか俺に話しかけるために走ってきたように見える。息を切らしているからだ。


「でも今は練習とは違くて、えっと」
「へ」
「ほんとは昨日言えばよかったんだけど」


白石さんは俺に用があるらしかった。昨日に関連すること、だとしたら俺も変な空気を作ったことを謝りたい。でもまずは白石さんの用事を聞いてから、と耳を傾けると。


「五色くんのこと、好き。……って」


ありったけの力を振り絞って口にした言葉、にしてはちいさな声だった。
だけどじゅうぶん俺の耳には届いたし、インパクトを与えられた。「好き」その一言を家族以外から言われたのは初めてだったから。でもまさか今、しかも白石さんに言われるとは予想もしておらず。


「……えっと……」


誰かに告白されたらどうしよう、自分ならどんな反応をするだろう、そんな妄想を繰り広げたことは何度もある。それなのに何を言えばいいのか分からなくなった。何を隠そう白石さんをそういう対象として見たことがないのだ。
高校に入学してからというもの生活の中心はバレーボールだった。女の子を好きとか嫌いとか思う暇がなかったのである。決して白石さんを可愛くないとか思ってるわけじゃない。女の子として見られないわけでもない。単に今は、誰かのことを恋愛対象として考えていないだけだ。

俺が言葉に詰まるのを見て、白石さんからはみるみる生気が失われていった。このままだと倒れてしまうかもしれない。せめてちゃんと応えなくては。


「……ごめん!」


とにかくその場で頭を下げた。よもや俺が女の子からの告白を断る日が来るなんて思いもしなったが。
白石さんは倒れ込むことはなかったものの、当然元気な様子ではない。だけど俺に謝られるのは居心地が悪かったのだろう、必死に首を振っていた。


「だ……大丈夫。大丈夫、分かってたから」
「ほんとごめん、俺あんまり白石さんのこと知らないし適当なこと言えないなって」
「わかってる! わかってるから」


せっかく好きだと言ってくれた子を振るのって、こんなに辛いもんなのか。白石さんは「わかってる」と口では言うが、見るからに動揺している。俺も俺で動揺していた。どうすれば傷つけずに断れるのか? そして、どうすれば自分は悪役だと思われないのか。こんな時でも相手にどう思われるのかを気にしてしまうのだ。だってクラスメートだし、俺が白石さんを振ったことで変な噂が立ったらどうしよう? ……でも、その心配はなさそうだ。


「私が言いたかっただけだから。決勝戦すごく感動して感激して、五色くん凄いなって思って」


この子が俺を悪者にして言いふらす人には見えない。それに今、恐らく告白に至ったきっかけを話してくれている姿がすごく必死に見えて、一瞬でも疑ったことを後悔した。例えチア部の活動の一環としてだろうと試合を見に来てくれて、その時の俺を見て言ってくれている。
ちゃんと受け止めたいけど今はとにかく急である。しかも俺が頭の中を整理する前に、白石さんはどんどん話を進めていくのだった。


「言わずにいようと思ってたけど無理で! ……でも困らせるつもりないから、ほんと聞き流してくれていいから」
「え、いやそれは」
「ごめんなさいっ」


とうとう俺がまともなフォローをする間もなく自分の中で話を終わらせてしまい、白石さんが居なくなってしまった。
あまりに突然だったのでまったく実感がわかないけれど、人生で初めて女の子に告白された。それして咄嗟に振った。振った理由なんて些細なことだ。むしろ告白を受ける理由もないし、交際に発展されられるほど彼女のことを知らないし。「ちょっと惜しいことをしたんじゃ?」って思う自分には、気付かないふりをした。