Extra edition

親にカミングアウトする話


噂には聞いていたけれど、大学の入学式はとても賑やかだ。入学式そのものが賑やかなのではなく、入学式後にキャンパスのあちらこちらで行われる勧誘活動がすごかったのだが。わたしはバドミントンのサークルに入るかどうか迷っていたので、渡されたチラシをぼんやりと眺めていた。


「きみ、バドミントンは経験あるの?」
「はい。弱小でしたけど……」
「経験者大歓迎だよ! 友だち増えるし楽しいよ」


どうやら目をつけられてしまったらしい。待ち合わせのためにこの辺りをうろついていただけなんだけど、困った。これから学校で顔を合わせるかもしれない相手だし、あまり感じ悪く断るわけにはいかない。だからと言って今日サークルへの参加を決めるつもりもなかった。今はそれどころじゃないからだ。


「すみれ、見つけた」


対応に困っていると、後ろからやって来たのは国見先生……ではなくて、恋人の国見英さんだった。便宜上ここでは「国見先生」と呼ばせてもらう。私にとってはまだ先生という認識が抜けきっていないからだ。本人に言ったら顔をしかめるだろうから内緒だけれど。


「あ、英さん」
「なに捕まってんの? お前、コイツ誘うの禁止」
「げ。何、国見の知り合いかよ」
「彼女」


国見先生とバドミントンサークルの人は、顔見知りだったようだ。そして先生はわたしとその人の間に入り、サークルへの勧誘を控えるように言っていた。守られてるみたいでちょっぴり嬉しい。それに今、わたしのことを彼女だって紹介してくれた! 知らない誰かに「彼女」だと紹介されるのは初めてで、思わず顔がにやけてしまった。


「すみません、バドミントンだったんで見てました」
「あー、やってたんだよなそう言えば……でも今はダメだから」
「分かってます」
「言っとくけどすげえ緊張してるから俺」


ぶすっとした様子で、しかし言葉のとおり緊張の面持ちで先生が言った。
今日はせっかくの入学式でお祝いの日、同じ大学生になれた記念すべき日だというのに先生の顔色が浮かない理由。それは今日、わたしたちがひとつの決断をしているからだ。わたしのお母さんに、交際していることを伝えるという決断。


「セリフ考えてきました?」
「一応」
「でもお母さん、英さんのこと気に入ってるから大丈夫ですよ」
「それとこれとは別だろ。娘の家庭教師頼んでた男が娘に手ぇ出してたんだから。俺ならソイツを許さない」
「えええ」


それなのに自分はわたしと好き合っているのだから驚きだ。先生にもし娘が居たら意外と親馬鹿になりそうだな。その時はわたしがその子のお母さんになるのだろうか。ふふふ。
しかし未来の話は置いといて、まずはお母さんに言わなきゃならない。国見先生とわたしがどのような関係にあるのかを。

帰宅したわたしたちはエレベーターを降りて、家のドア前に到着した。ひとまずわたしだけが家に入り、後から先生を呼ぶ作戦だ。そこから先は先生に丸投げしてある。わたしじゃ上手く話せないだろうから。


「ただいまー」


まずはドアを開けていつもどおりに言った。「いつもどおり」と言っても今日は初めての大学からの帰宅なのだけど。先生を家の前に待機させておき、とりあえずわたしは靴を脱いだ。


「おかえり。入学式どうだった?」
「んー、まあ……想像どおりってかんじ」
「友だちできた?」
「そんなにすぐできないよ」


といったふうに、お母さんとは何の変哲もない会話を進めた。洗面所で手を洗ってうがいをして、リビングの椅子に腰掛ける。なんて言おう。早くしなきゃ先生が待ちくたびれちゃう。


「すみれ、スーツ疲れたでしょ。着替えたら?」
「あ、うん……そうなんだけど……その前にちょっと」


入学式で着用したスーツを着替えている暇はない。お母さんはリビングでそわそわするわたしを怪しんだ。


「どうしたの、かしこまって」
「いや……うん。あの、紹介したい人が」
「紹介?」
「と言っても紹介するまでもないかもなんだけど」
「何言ってんのアンタ?」


自分でも何を言っているのやら、だ。前説明はどうやら失敗に終わった。国見先生に後を任せるしかない。私は疑問符を浮かべるお母さんの前を横切り、玄関へ向かった。


「入ってきてくださいっ!」


そして、外に待機している先生に声をかけた。わけの分からないまま付いてきたお母さんも玄関に来て、一体誰が入ってくるのかと不振そうにしている。ドアはすぐにガチャリと開いた。


「……お邪魔します」
「あらっ? 先生!」


お母さんはいい意味で予想外だったらしく、一気に表情が明るくなった。国見先生はわたしを四大に合格させた人なのだから当然である。ドアを閉めた先生はまずその場で頭を下げた。


「すみません、突然」
「いいんですよ! 今日からすみれの先輩なんですから。入学できたのは先生のおかげなんですし! 上がってください」
「あ、はい……」


先生は少しほっとした様子で返事をすると、靴を脱いで一緒にリビングまで向かった。さっきまで読んでいたらしい雑誌を隅っこへ押しのけて、お母さんがテーブルの上を拭いていく。その間に先生に座ってもらい、わたしはお茶を用意した。


「わざわざまたご挨拶来てくださるなんて、何も用意してなくてすみません」
「いいえ。こちらこそ急にお邪魔して」
「いいんですよぉ!」


お母さんの豪快な笑い声が響いた。いつになくテンションが高いのは急な来客だからか、国見先生がイケメンだからなのか。わたしと血の繋がった親なのだから、男性の好みはきっと似ているはず。


「実は今日、白石さんのお母さんに言わなければいけない事があります」


全ての用意が整って全員が着席すると、国見先生が早速本題に入ろうとした。こんな時でもわたしは先生の発する言葉に感心していた、親の前ではわたしを「白石さん」と呼び分けている事に。


「はい? なんでしょう」
「本当はお父さんも居てくださるほうがよかったんですけど」
「ああ。いいんです、あの人忙しいんで」
「そうなんですね……じゃあ……あの、早速なんですけど」


さすがの国見先生も言葉に詰まっている。頑張って、英さん。絶対大丈夫だから! と、わたしは念を送った。


「僕、白石さんとお付き合いしてるんです」


先生は一気にそこまで言った。
やった、言ってくれた。反応は? とテーブルの向かいに座るお母さんを見ると、魂が抜けきる直前みたいな顔になっていた。まあ魂が抜けたら実際どうなるのかは分からないんだけど、とにかくそれほど顔じゅうの穴という穴が開き切っている。もちろん口もあんぐりだ。


「……え?」
「事後報告になって申し訳ありません」
「え? えっ?」
「実は去年の秋ごろからなんですが、」
「え」
「生徒のすみれさんと、教師の自分がプライベートの関係を持ってしまって」


ここで先生はわたしを「すみれさん」と呼んだ。お母さんは未だに「え?」しか言わずに首を左へ右へと傾けまくり。いい加減にお母さんの首の骨が傷んでしまう。


「付き合ってるの。わたしたち」


親の首が折れるところなんて見たくないので、わたしは簡潔に伝えた。


「……えええええ!?」
「ちょっと! お母さん近所迷惑」
「いやっ、すみれ? ちょっと、それ、え? どういうこと?」
「落ち着いてよ」


そうは言っても無理な話のようで、お母さんはわたしと国見先生の顔を交互に見ては頭を抱え、また交互に見ては顔を覆ったりしていた。それを何度か繰り返しようやく落ち着いたところで深呼吸。


「あんた、国見先生と、お付き合い、してるの?」


極力声が上ずらないようにしながらお母さんが言った。胸に手を当てて必死に呼吸を整えているようだ。
これからお母さんの表情が怒りに変わるのか、それとも喜びに変わるのか全く予想できない。わたしはなるべくお母さんを刺激しないよう無言で頷くに留めた。


「……知らなかった……」
「そりゃ内緒にしてたから」
「内緒にって……よく黙ってたわね、こんな時期まで」
「それはすみれさんのせいじゃないんです。僕が自制すべき事だったのに」
「違うの! わたしが好きになったのが先だから! 先生のせいとかじゃないから! お母さん黙っててごめん、でもわたしたちずっと」


まずいかも知れない。わたしはそこまで重く考えていなかったけど、もしかして高校生だった娘が大人と付き合うなんてかなり大変な事? 国見先生の立場が悪くなるのは本意ではない。必死に先生ではなくわたしが悪いのだと伝えたけれど、響いているかどうか。やがてお母さんは額に手を当てて、大きな溜息をついた。


「……はあ。ビックリしましたけど……まあ、いいんじゃないですか」
「え?」
「だって悪い人じゃないでしょ」


てっきり一悶着あるかと思ったけれど、予想よりもお母さんは冷静だった。拍子抜けだ。


「そうだけど……え? 反対しないの?」
「なんで反対するの」
「だって……先生、仕事で来てたのにわたしと」
「すみれの部屋で勉強以外の事をしていたんですか?」
「それはしてません。絶対に」
「してないよ! 本当だから」


先生は家庭教師として来ている時間、働いている時間だけは先生として振舞っていた。わたしも生徒として勉強を頑張った。決して部屋の中でやましい事はしていない。連絡先の交換をしただけで。


「それなら別にいいです。もともと先生は仙台駅でも財布を取り返してくれた恩人なんだし」
「……すみません」
「ただ、とおぉーーっても驚きました」
「はは……」


そりゃそうだ。わたしが逆の立場なら怒りや祝福よりも先に驚きが来る。とにかくお母さんはわたしたちの交際に反対ではなく、受け入れてくれるらしかった。


「ちゃんと報告してくださってありがとうございます」


それに、国見先生に向けてこんなお礼まで言っていた。先生も少し面食らった様子だ。


「……とんでもないです」
「合格発表の時に言ってくだされば良かったのに」
「いや……はい。すみません、まだすみれさんが卒業前だったので控えようかと」
「あら。そんなの気にしてくれてたんですか? アンタほんとに幸せ者ね」
「うるさいなあ。もう先生お見送りしていい?」


いけない、お母さんの野次馬根性が炸裂する前に先生を避難させなければ。どうせ「どうやって付き合ったの?」「何があったの?」なんてのは先生が帰ってから嫌というほど聞かれるんだろうし。今日はこれを報告したいだけだったから、任務は完了だ。


「お邪魔しました」
「はーい」
「わたし、下まで送ってくから」
「はいはい」


先生がお母さんにお辞儀をし、わたしがバタンとドアを閉めて、エレベーターの前まで歩く。降りるボタンを押すとすぐにエレベーターが来て扉が開き、わたしたちは中に入った。そしてようやく二人きりになった時、国見先生は「ふう」と肩の荷が降りたようであった。


「お疲れ様でした」
「マジで疲れた。よかったほんとに」
「だから言ったでしょ、お母さんは先生のこと気に入ってるって」
「とは言ってもだよ……」


先生はブツブツ言っていたけど、今さら考えてももう遅いという事に気付いたのかふるふると首を振っていた。本当に緊張していたんだなあ。


「わたしもう、これで堂々と彼女ですって名乗れるんですね」


エレベーターを出てマンションのロビーに出ると、そこにも誰も居なかった。だからなのか、わたしはついついこんな事を言った。高校生のうちはどうしても言えなかったから。ユリコ以外の友だちに「彼氏居るの?」と聞かれても濁すだけ。本当はこんなに素敵な人と付き合ってますって自慢したかったけれど。


「つらかった?」
「うーん……いや、そんなに……」
「正直に言えば」
「……ちょっと寂しかったです」


わたしの考えている事なんて全部分かっているらしい。寂しかった、と伝えると先生はほんの少し微笑んで、わたしの頭をゆっくり撫でた。そのまま手のひらは耳へ頬へと滑らされ、先生の親指がわたしの口元をふにふにと押さえてくる。その時のわたしの顔がおかしかったのか先生はまたクスリと笑って(失礼だなあ)、その笑った顔のまま顔を寄せてきた。


「まだ寂しい?」


唇が離れてすぐに先生が言った。もう寂しくなんかないけれど、大丈夫ですと伝えたら「あっそう」と離れられてしまうかも。それはちょっぴり嫌だなあ。だからわたしは嘘をついた。


「……もうちょっと寂しいです」
「嘘つけ」
「え。バレた」
「何がしたい?」


今度は国見先生が、こんなずるい聞き方を。背伸びをすればすぐ唇が触れるくらいの距離まで近づいてるのに、答えなんて分かっているくせに。先生はいつでもわたしより優位に立って物事を進めたいようだ。とても有難くて助かるけれど。いつかこういう時くらいは、わたしにも隙を見せてくれる日が来るのだろうか? そんな事を思いながらも今回は素直に伝えた、まだキスが足りないという事を。