18
ノスタルジアにはまだはやい


目の前のことに集中するのは、思ったよりも大変だ。先輩たちも同じ道を通ってきたのだと思うとますます尊敬する。勉強、進路、ついでに俺は好きな女の子で頭がいっぱいだと言うのに試合は待ってくれない。

だけどもう、白石さんに会うことは無いのかもしれないと思えた。メッセージを送って以降返事が来ないし、既読かどうかを確認するのも嫌になってトーク履歴をすべて削除してしまった。ブロックする度胸は出てこないけど、もしかしたら既に俺のほうがブロックされているかもしれない。

最初のうちは理不尽とも言える引き裂かれ方にショックを受けていたけれど、部活に頭を切り替えてからは少し楽になった。
元はと言えば、白石さんと会ったのも偶然のことだ。あの日、白石さんがサラリーマンに絡まれていなければ俺たちが会うこともなかった。俺がわざわざ助けに入らなければ。

つまり俺の人生は白石さんが居なくても滞りなく進んでいくし、彼女の人生も俺が居ないほうがスムーズなのだ。俺が助言をしなくたって、自分でいつか「バイオリンはしたくない」と言えたはず。むしろ俺が居ないほうがよほど両親にも受け取れてもらえるのではないだろうか。きっと彼女の親は、「娘が他所の男にそそのかされた」と感じているだろうから。

そう思い込むようにして迎えた十月二十六日、「絶対全国まで行くぞ」と息巻いていた大会の幕が下りる。
と言っても勝ち進んでいれば明日も試合が行われたし年明けの全国大会に出られる予定だったので、単純に伊達工は敗退したのだった。


「青城つえーな、ちくしょう」


部員の誰かがそう呟くのを、もっともだと思いながら無言で頷く。当然楽勝できるなんて思ってないが、もしかしたらという希望はあった。だけど自分たちはまだその器じゃなかったと思うことにする。宮城県を背負って日本中の目にさらされる舞台に立つには早いのだ。
そりゃあもちろん悔しいけど、でも、同時に奇妙な解放感と清々しさも感じられた。


「あっ、俺! 烏野の試合ちょっと見たいんですけど」


試合が終わり、学校に戻って次に向けての練習を始めようかという時。黄金川が突然立ち止まり、残って試合を見たいと言い出した。確かに烏野も、その相手の青城もセッターの存在感が素晴らしい。黄金川がそれを見ておくのは良いかもしれない。


「おう、いんじゃね。俺も見ようかな」
「でも先輩たちに練習付き合ってもらうんじゃ?」
「誘ったら一緒に見るだろ。連絡してみる」


三年生の先輩には、このあと練習相手になってもらう予定だ。学校で待たせるのは申し訳ないので電話をしてみると、茂庭さんはすぐに応答してくれた。


「あ、もしもし。まだ出発してないです?」
『おー、まだだよ』


よかった。移動中だったら戻ってきてもらわなければいけなかったので、手間をかけさせずに済む。


「えっと、実は」


次の試合を見てから戻りたい。
と言いたかったのだが会場から大きな歓声が響き、俺の声がかき消された。別コートでの試合が終わり、勝ったほうの応援団が熱狂しているのだろう。仕方が無いので会場を背にして通路を歩くことにした。


「すみません、聞こえます?」
『だいじょーぶ』
「あの、次の試合をちょっと見たくて」
『ああ、青城と烏野だっけ』
「そう……」


そして、歩いていると前方に誰かが立っているのが見えた。誰なのかは分からないしまだ顔も見えないが、このまま進むと俺は通路を塞がれることになる。通路中央をウロウロしているその人が何をしているのか、俺は気にも留めずに歩き続けた。誰かを待っているのかもしれないし、単に道に迷っているだけかもしれないし。
が、近づくにつれてその姿には見覚えがあるように感じた。


「……」


俺は思わず足を止めた。誰かを探すようにきょろきょろしている、その姿に見覚えがあったからだ。だけどそんなはずはない、こんな場所に来ているはずはない。見間違いかも?


『もしもし?』


何も喋らなくなった俺を不審に思ったのか、茂庭さんが呼びかけてきた。すっかり電話中であることを忘れていた俺は、慌てて何を話していたのか思い出す。


「……あ、えー……だから、練習もうちょい後からでもいいすか」
『いいよ。じゃあ俺らも見てこうかな』


茂庭さんがそう言ったあと、一緒に居るらしい鎌先さん・笹谷さんに『次の試合見てから行くってー』と声をかけるのが聞こえた。
だけどそんなのは電話の向こうの話だったし、俺の耳にはあまり届いていない。今はもっと重要なことがあるように思えた。前方に居る女の子が、会うのを諦めかけていたとある人物に似ているのだ。


「……」
『二口? 切っていい?』


また、無言になった俺に向かって茂庭さんが言った。


「……すんません。またあとで」


うまく言葉が出てこなくて、取り憑かれたように前だけを見つめながら、茂庭さんの返事を待たずに俺は電話を切った。

スマホを耳に当てていた右手がぶらんと垂れ下がる。確信のなかった立ち姿に、再び一歩一歩近づいていく。相手は壁にかけられた館内図を見ている様子だったが、俺がそばまで近寄った時にようやくこちらを向いた。
その距離はわずか二メートルといったところだろうか。一度は手を握りあった俺たちが、互いを認識するのにはじゅうぶんな距離であった。


「見つけた……」


白石さんは俺の姿を確認するとそう呟いたけれど、その声はハッキリとした音声にはなっていなかった。