09
行間は一人きり


その日の練習試合は二戦とも勝利した。とても有意義な時間だったし、自分やチームの新しい課題なんかも見えたりして、春高予選突破に向けてまた一歩近付いたような感じ。

だけど今ひとつ不完全燃焼のような感覚があるのはきっと、白石さんが途中で帰ってしまったことだ。それも突然、挨拶もそこそこに。家族からの着信に顔色を変えたのは何故だ。次に会った時にでも軽く聞いてみればいいか。

……と思ったが、俺たちにとっての「次」とはいつなのだろう。忙しそうな白石さんを簡単に誘い出していいのだろうか。別に俺が暇だってわけじゃないけれど、なんたって彼女は門限ありの女の子だ。会える時間は限られる。会って何をするのかと聞かれると困るけど、俺は勝手に「また会う機会がある」と思い込んでいた。


「……寝たのかな」


時計の針は夜の十時を回った。テレビがつまらなかったので部屋にこもっていた俺は、時計の針が動くのをしばらく見つめている。どうしてベッドに転がって時計を睨んでいるのかと言うと、答えはひとつ。白石さんからの連絡を待っているのだ。

今日の別れ際、白石さんは「また連絡するね」と言っていた。これまでのやり取りからして、その「また」とは今夜である可能性が高い。だからてっきり今夜、彼女から何らかのメッセージが届くと思っていたのだが。結局何も送られてこないまま一夜が明けてしまった。


『おはよう』


翌朝のこと、トーク画面に上記のメッセージが表示される。
しかし残念ながらこれを送信したのは俺だ。そしてもっと残念なことに、いつまで経っても既読の表示が付かなかった。白石さんは箱入り娘の印象があるものの、わりと頻繁にスマホをチェックしている女の子だったのに。普段は朝ならばすぐに返信があるというのに。


「おかしいな……」


おかしいな、って何がおかしいのか分かんないけど。こんなことを気にする俺がおかしいのかもしれないし、俺のスマホがおかしいのかもだし、俺んちの電波がおかしいのかも。


「昨日の子、何か言ってた?」


返信がないまま部室で着替えている時に、小原が話しかけてきた。まるで俺の状況を見透かしているかのようなタイミングだ。


「……あー、まあ」
「前に言ってた鈴が丘の子だろ」
「ん」


知り合いを一人呼ぶのだと話した時に、部員にはしつこく問われたので仕方なく伝えていたのだった。白石さんが来ることを。お前らも菓子折り食ったんだから礼のひとつくらい言ってこいと思ったが、俺にくれたものを家族以外の他人に分けただなんて、感じが悪いかなと思ってやめておいた。


「あの人、すっごく綺麗でしたね!」


その時、俺たちの横で話を聞いていた黄金川が急に入ってきた。そういえば昨日一番そわそわしていたのはこいつなのだった。しかし何故だろう、あんまり良い気がしないのは。


「……あ?」
「なっ、なんで怒るんですか」
「べつに怒ってないけど?」
「怒ってますよー……」
「なんていうか、所作がきれいでしたよね」
「ショサ」


そのまた向こうで着替えていた作並がぽろりと言ったが、黄金川はその「所作」の意味が分からないらしい。ぽかんとした様子で作並に説明を求めていた。


「所作ね……」


確かに、それはそれは綺麗というか品がいいというか。おしとやかな雰囲気だし、ぎゃあぎゃあとうるさくないし。話し方は聞き取りやすくて落ち着いていて、でも時々「あ、同級生なんだな」って思えるような明るい笑顔を浮かべてくれる。メッセージの返信が速いのもイマドキって感じで親近感が湧いた。
……そうだ、メッセージだ。俺はその返事がなくて悶々としているのだった。
今朝の『おはよう』に返事が来ず既読もついていなかったので、俺は夜にメッセージを送るのを諦めた。あまりしつこく送ってしまったら迷惑というか、引かれるんじゃないかと思ったから。

だけど月曜日になっても火曜日になっても反応がないので、俺はとうとう次の文章を送った。


『何かあった?』


送信してから頻繁に確認したものの、やっぱり返事は来なかった。期待していなかったけど。
もしかして嫌われたのかとも思ったが、最後に会った時のことを何度思い返しても俺に落ち度があったとは思えない。思い上がりかもしれないが、いくら考え直しても答えは同じだった。たぶん、俺が何かをしたわけじゃないと思う。俺の何かが彼女の勘に障ったとか、そういうのじゃない。
となれば、次に考えられるのはこれだ。


「……事故にでも遭ったんじゃ……」


その可能性が頭を過ぎった時、俺は心底ひやっとした。初めて会ったのは白石さんがしつこい男に誘われている時だった。あのようなことが二度起こらないとは限らない。または、もっと酷い何かに巻き込まれているのかも? 交通事故とか、想像したくもないような危ないことに。

いてもたっても居られなくなり、咄嗟に俺はスマホの検索欄に『白石すみれ』と打ち込んだ。何かの被害に遭ったなら、ニュースに名前が表示されると考えたのだ。しかし白石さんに関する最近のニュースはひとつも出て来なかった。

ただ、全く彼女の情報が入らなかったわけじゃない。検索履歴にはバイオリンのコンクールの動画とか、受賞者の名前として白石さんの名前と写真が載せられていた。しかも小学六年生の頃で、場所はヨーロッパの国名。
さすがに大人ではなくジュニアの大会だったが、こんな時から白石さんは海外で受賞するほどの腕を持っているのだ。それなのにバイオリニストになりたいわけじゃないと言う。そのことだってもっと聞きたい。俺も今、まさに将来の自分について考えているところなのだから。

こうなれば鈴が丘学院に直接乗り込んでやるしかないのか。そんなことをしたらストーカーだ。だけどもうこれしか手段が無いのでは? そう考えてしまうほど、俺の頭は白石さんでいっぱいだったのである。


「あー疲れた。帰ろ帰ろ」


金曜日、つまり白石さんと連絡が取れなくなってから一週間が経ったところ。練習を終えて校門まで歩いている時も、俺は「鈴が丘に乗り込むかどうか」で頭を悩ませていた。
「なんか食ってく?」「アリ!」と盛り上がる周りの部員たち。普段なら俺もその話に乗るところだが今はそれどころじゃない。だけど、ある一人の声にふと引き戻された。


「……誰か立ってる」


呟くように言った声の主は、誰なのかは分からなかった。誰が喋ったのかよりも、内容に耳が反応したのだ。


「誰?」
「さあ。たぶんうちの制服じゃない……」


俺以外の部員も、立っている「誰か」を探し始めた。最初に見つけたのはどうやら女川で、校門を指さしている。つられて俺もそちらを向いた。


「アレって、こないだ見に来てた人」


俺はごくりと息を呑んだ。校門の前に、ここらじゃ見かけない姿の女の子が立っている。半袖ブラウス、紺のリボンとジャンパースカート。鈴が丘の制服だ。そして、それを着て立っているのは白石さんだった。