06
知られざるラビアンローズ


学校帰りに待ち合わせをして女の子と会う。青春を謳歌するさわやかアイドル系男子みたいなことを、まさか自分が体験する日が来るとは思わなかった。しかも、進展なんかまったく無いだろうと思っていた女の子と。困っている様子だったから助けただけで、下心も何もなかったのだ。

会いませんかと誘われたものの、放課後は基本的に部活があるのですぐに実行するのは難しい。しかし体育館で何かの行事が行われるとかで、偶然一週間後には予定を合わせることができた。練習が無くなった俺にはたいした予定なんかないのである。親や先生は、暇になったなら勉強しろよって言うかもしれないけど。


「あっ」


待ち合わせ場所となった仙台駅に到着すると、先日見かけた制服の女の子が立っていた。白石さんと俺はほぼ同時に互いの姿を見つけ、ほぼ同時に会釈をした。彼女のほうが腰を曲げる角度は深かったように思える。


「急にごめんなさい」
「こっちもすみません。今日しか部活が休みじゃなくて」


軽い挨拶を交わして彼女を見下ろすと、今日も白石さんはバイオリンのケースを持っていた。学校指定のスクールバッグ以外にこんなものを持ち歩くなんて、やっぱり大変そうだ。合流してからの計画をまったく練っていなかったので、ひとまず荷物を置いて落ち着ける場所に移動するのを提案した。


「あの、どっか入りますか」
「そうですね。どこか丁度いいところ、知ってますか?」
「え。えっと……」


白石さんは喜んで頷いてくれたけど、話すのに丁度いいところって一体どんな場所を言うのだろう。部員とだらだら喋ったり宿題をし合ったりする時はファストフードを利用するが、彼女の言う「丁度いいところ」と俺の考えるそれがイコールだとは限らない。
でも、他にいい場所なんて浮かばない。白石さんに任せるのも違う気がする。

その結果、やはり近くのファストフード店に移動することになった。ここならアタリはしなくとも、ハズレではないだろうと思えたから。


「わあ……美味しそう」


ボックス席に俺の鞄を置いて場所を取り、列に並ぶと白石さんが感嘆の声をあげた。注文カウンターの上に表示されるメニュー写真を見て、うきうきした様子で視線を動かしている。もしかして、まさかそんなことがあるのかとは思うが、そういうことなのか?


「こういうところ来ないんですか?」
「来たことないです! テレビで見るくらいで」


嘘だろ、という驚きを声に出すのは我慢した。普通の中高生が学校帰りに喋り散らす場所といえばフードコートかファストフードだって相場が決まっているのだが。白石さんが人生で初めてファストフードを口にする日を、一緒に迎えることになってしまったらしい。

とはいえメニューが沢山ありすぎて、また何を頼めばどのくらいの量が出されるのかも不明確らしく。俺は「お腹すいてますか?」「あぶらっこいの得意ですか?」などと細かく色々聞いて、最終的に二人で期間限定のフロートみたいなものを頼むだけになった。俺はいい具合に空腹なのだけど、目の前で俺だけガッツリ食べるのも良くないだろうし。


「急に呼び出してしまってすみません」


フロートを一口飲む前に、改めて白石さんが切り出した。


「いいっすよそんなの。ついでに敬語じゃなくてもいいんで……」
「でも」
「白石さん、高二でしょ? 俺もだから」


礼儀正しいのは素晴らしいことだし、俺も見習うべきだろうとは思う。けど、同級生にまで細かく気を遣うのはうざったいし、遣われるのも居心地が悪い。事前のメッセージのやり取りで同学年だと判明していたので、俺は敬語を辞めるように提案した。が。


「わかりました」


白石さんは肯定の言葉を、敬語を使って発してくれた。恐らく本人は気付いていないので、俺も気付かないふりをするように努めた。気を遣いたくないからタメ口でいいと言ったのに、別の意味で気を遣ってしまうとは。
そんな俺の悩みなんて知るはずもない白石さんは、フロートを口にしてから今日の目的を語り始めた。


「私、男の子の友だちが居なくて。二口くんともっと話してみたくなりました」


ひと昔前のドラマとかで聞きそうな台詞である。が、彼女の通う学校のことを考えれば、それは普通かもしれない。伊達工の女子は反対に女友だちが増えにくいのかなと思えるので。


「……そっか。鈴が丘は女子校だから?」
「はい。あっ、うん、そうです」
「無理してタメ口にしなくても」
「でも……」


話しづらくなるくらいなら敬語でいい、というのすら難しい注文なのだろうか。もう敬語だタメ口だという話には触れないでおこう。せっかく時間を取って会っているのだから、なんとなく疑問だったことを聞いてみよう。


「バイオリンって、いつからやってるんすか?」


バイオリンを習うのは、結構お金がいる。鎌先さんも言ってたし、念のためネットでも調べてみたけど本当だった。鎌先さんを疑ったわけじゃないけれど。
だからバイオリンを始めた年齢を聞けば家庭環境も分かるかもしれないと思った。最近始めたのであれば、それは自分の意思だろうし。小さな頃からだとすれば、親の教えなのだろう。
白石さんはこの質問に、あまり考える時間をかけずに答えてくれた。


「四歳のころから」
「よん!?」
「あっ、でも親に言われて始めただけで。母がチェリストだから」
「ちぇりすと」


俺の考えをいくつも上回るというか、想像もしなかったことが色々と出てくる。四歳のころって、俺なんか何も習わせてもらってないぞ。習いごとをしたいとも考えなかったし、この世に「習いごと」という概念が存在するのすら知らなかった。
ついでに親がチェリストって、ちぇりすとって何? 話の流れからして何かの楽器を演奏する人だとは理解した。かろうじて。
だけど「チェリスト」が初耳だなんて言うのも恥ずかしいので(当たり前のように口にするってことは俺が無知なだけなのだろうし)、適当に話を進めることにした。


「じゃあ音大とか受けたりするんですね」
「音大は……まあ。東京の音大に行く予定で」
「すごいじゃないすか。将来はバイオリニストってやつ」


これは正直な感想だった。四歳からずっとバイオリンを習い続けて音大に入る、ということはバイオリニスト以外の道はない。楽器を演奏する仕事なんて、努力を重ねるだけでなく才能に恵まれなければ不可能だ。と、思う。テレビのドキュメンタリーとか見てる感じだと、たぶんそう。


「……うん。そうなると思う」


けれども白石さんは、まったく浮かない顔でそう答えた。自分がずっと続けている楽器なのだからもう少し誇りを、というか堂々と答えればいいものを。


「二口くんは、バレーボールはいつから?」


そのうえ話題は自分のことではなく、俺の話にすり替えられた。もしかして深く聞かれたくないのかな。だったら俺はまた、それに気付かないふりをしてぺらぺら喋るしかない。


「小学校の部活で初めてやったんだけど、そっからずーっと。他にやりたいこともなくて」
「でも、そんなに続くなんて好きじゃないと難しいでしょう?」
「んー……まあ、好き……なのかな。だと思いますけど」
「試合とかは頻繁にあるんですか?」


先ほどは歯切れの悪かった白石さんが、別人のように興味を示して反応してくる。試合の有無まで聞いてくるのは、もし俺の出る試合があるなら見てみたいという意味? さすがにそれは自意識過剰だろうか。


「あるっすよ。見に来ます?」
「えっ」
「あの、男バレなんでマジでむさ苦しいですけど」
「行ってもいいならぜひ……!」


白石さんは今日初めてテーブルに体重を乗せて前のめりになった。興味があるふり、というわけではないらしい。本心からそう思ってくれるなら悪い気はしないので、俺はスマホを取り出して直近の予定を確認することにした。


「……確か練習試合が今度……、」
「あっ」


しかし、俺が予定を見る前に白石さんが緊張感のある声を出した。ふと彼女を見るとスマホ画面を確認していて、どうやらアラームが鳴っている様子。


「……ごめんなさい。そろそろ門限が」
「も……門限?」


俺は思わず声が裏返った。今はまだ夕方の五時半だ。夏も終わりがけだが外は明るい。何より俺たちは十六、七歳で、門限を設けられるとするなら夜の九時ごろが目安なんじゃないか? いや、一般的にどうなのかは知らないけども。白石さんの家庭がどうなのかは全然分からないけども。


「レッスンがない日は、六時までに帰らなきゃいけなくて」


申し訳なさそうに教えてくれた白石さんの眉は、八の字に垂れ下がってはいたけれど口元は笑っていた。門限、それも六時までに帰宅するというのは彼女の中でそこまで重要なことじゃなさそうだ。
結局、この日はくそ甘いフロートを飲みきることなく解散してしまった。