05
美談のための背のび


白状すると、女の子と連絡を取り合った経験は多くはない。去年付き合っていた彼女とは、返事が遅いだの電話に出ろだの言われて面倒になって別れたくらいだ。
だからたとえメッセージに返事が来ていたからって、更にそれに返事をする必要性なんて感じたことはなかった。以前の俺ならば。


『無事に届いたようで安心しました。男の人のお口に合うといいのですが』


一日を終えて帰る時、電車の中でそのメッセージは受信された。授業や練習に疲れていた俺はお礼の文章を送ったことをすっかり忘れていたので、白石さんからコレが届いた時には驚いた。そして同時に頭を悩ませた。このまま既読のみで終わらせるには、少々微妙な内容だったから。

こういう時、何を送るのが礼儀として正しいのだろう。全く分からないけどひとまず、届いたお菓子が俺の口に合うかどうかを心配している。
ということは俺は、無事に口に合いましたと伝えたほうがいい。色んな種類を少量ずつ食べた結果、それらはすべて美味しかった。チームメイトたちも疲れた身体に摂取する糖分はありがたかっただろうし、昨夜早々に食べていた母親も「ここのお菓子やっぱり美味しいわ」なんて言いながらテレビを見ていたし。


『うまかったです』


確かにそれらは「うまかった」のでこの文字を入力したが、送信ボタンを押すまでに至らなかった。文章を送る相手の顔を浮かべると、もう少しふさわしい言葉があるのではないかと思えてしまって。


「……」


しばらく指を動かさないまま、俺は画面を睨みつけた。正確には必死に考えていたのだが。やがて決心すると、指は「送信」ではなくバツ印を押しまくってすべての文字を消した。代わりに考え抜いた別の文を入力したのである。


『おいしかったです』


うまかった、でもおいしかった、でも意味は同じだ。分かっている。だけど白石さんは何かを食べて美味しいと感じた時に「うまい」なんて言わないだろうと思えたし、「うまい」と発する相手とは話したこともないんじゃ? なんて思ったのだ。
こんなところに気を遣うのは果たして正しいのか、そもそも意味があるのか不明だがようやく俺は送信ボタンを押すことに成功した。

しかしこの一言だけではあまりに無愛想というか、素っ気なく思われないだろうか。あのこ、すごく繊細な感じだったし。俺が仕方なく面倒臭そうに返事をしたと思われたらたまらない。なので、以下の文章を続けて送った。


『母親もおいしいって言ってました』


これは嘘じゃない。しつこいほど美味しい美味しいと言っていた。俺から勝手に奪ったお菓子たちを食べながら。そんなだから息子がこんなふうに育つんだぞ。
親の顔を浮かべながら肩を落とし、スマホをポケットに突っ込んだ。が、手を離す前にそれは震え始めた。


『よかった!』


なんと、リアルタイムで白石さんからの返信が来たのだ。確かに今は夕方で、一般的な高校生は下校時刻真っ只中だけれども。しかも、文字を打つ時に「!」を使う子だったとは驚きだ。句読点しか使わないのかな、絵文字とか使わないんだろうなと勝手に思っていたから。


『二口さんは、どこの学校に通っているんですか?』


さらに話題が切り替えられて、質問系のメッセージが来た。滑津以外の女子とのやり取りなんていつぶりだ。俺の学校なんて心底どうでもいいはずなのに、まさか気を遣って俺に興味を持つふりをしているのか。さすがに「私は名門鈴が丘の生徒ですけど、ところでアナタは?」などという嫌味ではないだろうし。もしそうだとしたら恐ろしい。


『知らないと思いますよ。伊達工業ってところです』


伊達工は、はっきり言って有名ではない。強いて言うなら男子バレー部はそこそこ知られているが、他校の生徒はバレー部じゃない限り知らないだろう。しかも女子。
すぐに既読が付いたので、さてどんな返事が来るのだろうとトーク画面を開いたまま待機した。


『工業高校はどんなことを学ぶんですか? 普通の学校とは違うんですか?』


これは素で感じていることを送ってきているのだろうと思う。そうでなきゃ、こんな答えづらい質問は送れないはずだ。自分で言うのもなんだけど、進学校のお嬢様は工業高校の存在なんて眼中にないだろうと思ってるから。勝手な先入観だけど。


『すみません。質問攻めですね』


俺からの返事が一瞬だけ途絶えたこと、そして自身の送信内容を見返したことで、恐らく白石さんは心配したらしい。謝罪の内容が送られてきたので、俺も慌てて『大丈夫です』と返信した。


『勉強もしてますけど、今は部活でいっぱいいっぱいなので』
『なんの部活ですか?』
『バレー部です』
『なるほど。背が高いですもんね』


バレー部だから背が高いのか、背が高いからバレー部なのか、そんな卵が先か鶏が先かという話は過去に何度か経験したっけな。
しかし、俺にばかり質問をされているので少し困ってしまった。興味を持たれることは全く不快じゃないけれど、俺も白石さんに何かを聞いたほうが良いのかな? と。


『白石さんは部活してますか』


というわけで、俺も質問を送ってみた。もし部活をしていたとしても運動部ではなさそうだ。バイオリンを持っていたし吹奏楽部とか? または放送部、美術部とかもそれっぽい。ここでバスケ部だとか言われたらギャップだな。


『私はバイオリンのレッスンがあるので、学校の部活動はしていないです』


しかし、俺の予想はすべて外れた。部活はやっていないのだと言う。あのバイオリンは学校で使うものじゃないのだ。しかも「レッスン」って何だ。俺は「レッスン」と呼ばれるものを受けた覚えはない。もしかして小学校の時に習った水泳も言い換えればレッスンになるのか? 分からないけど聞きなれない単語に無駄に反応してしまった。


「大変ですね……、と」


レッスンが大変なのかどうかは知らないが、少なくともバイオリンを抱えて歩くのは大変だろう。この前だって持ち歩きにくそうだったし。

それから俺の最寄り駅に着くまでの十分ほどのあいだ、白石さんからは返事が来なかった。まあ移動とか勉強とか色々あるんだろうなと思って、俺はまたスマホをポケットにしまい込む。むしろ、俺みたいなやつの移動時間の暇を潰してくれたことに感謝すら覚えた。そのまま今度こそやり取りはフェードアウトして、終了するだろうと思っていたけれど。


『すみません。そろそろ用事があるので、失礼します』


律儀だな。って、思わず口に出してしまった。別にいちいちこんな報告しなくてよくないか? 放っておくと俺に失礼だと思ったとか? 俺なんか、元カノの返事を忘れたまま放置したこと数知れずだ。だから振られたんだけど。


『わかりました』


律儀には律儀で返す。なんとなくそんな義務感を覚えたので、『おやすみなさい』の一言でも付け足そうかと考えた。でもまだ夕方だしな。『お気を付けて』のほうがいい? 我ながら似合わない言葉だ。


『もしお嫌でなければなんですけど』


白石さんは用事があると言っていたが、終わり際にこんなことを送ってきた。


『直接会ってお話しませんか?』


それを読み終えたあとは、しばらく瞬きも忘れていたかもしれない。俺とまた会って何がしたいのか目的が分からないし、彼女にとっての利益も全く無いというのに。でも、無視はだめだ。何か返さなくては。会うのはべつに嫌じゃないし。
かろうじて『いいですよ』と返し終えた時には、降りるはずの駅を過ぎてしまっていた。