04
フラクタルな日常


先日助けたあのこの名前は白石すみれさん、というらしい。その日の夜にすぐメッセージが来て、お礼の文章とともに俺の住所を問う内容が書かれていた。
お礼ってそういうことか。何かを贈ってくるということか。わざわざ自分のために何かを贈られるなんて未経験なので戸惑ったが、ここまできて断るのも変だと思い、俺は素直に住所を伝えた。

そして、それから一週間も経たない日の夕方。部活が終わって家に帰ると、いつもは「おかえり」と親の声が聞こえてくるのだが今日は違った。俺が帰宅したとたん玄関まで出てきた母親が、手に何かを持っている。それを俺に向けながら、不思議そうに言った。


「堅治、なにか届いてるんだけど」


母親の持つそれが今日、家に届いた「なにか」らしい。この時俺は白石さんのことなんて頭から抜けていたので(あの日以降連絡も取っていなかったし)、なぜ俺に聞くのかと首を傾げた。が、荷物の宛名にはしっかりと俺の名前が書かれていたのだ。


「これ何? 誰から?」
「どれ……、……あー……」


俺は宅急便の伝票を見て思い出した。二口堅治宛のそれは、差出人名が白石すみれとなっている。白石さんの言っていた「お礼」が届いたのだと確信した。しかしうちの親は、突然のことに全く理解が追いつていない。


「あんた宛に何か贈られてくるって何事? 贈り主に心当たりある?」
「無くはないけど」
「無くはないって何よ」
「いいから貸して、俺ので合ってるからっ」


女の子から届いた荷物の詮索なんてまっぴら御免だ。俺は母親から荷物を引ったくり、自分の手を洗うのも忘れて部屋へ駆け込んだ。
綺麗な包装紙が巻かれたその荷物は、伝票に「洋菓子」と書かれている。食べものだ。できるだけ綺麗に開こうとゆっくり包装紙を剥いでいく。と、中身の箱に以下の手紙が貼り付けられていた。


二口堅治さん
先日はありがとうございました。つまらないものですが、どうぞ受け取ってください。よろしければご家族の皆さんと召し上がってくださいね。
白石すみれ


ここでも白石さんは俺にお礼の言葉を添えており、さすがに有り難がりすぎじゃないかとさえ感じる。しかも触ったことのない感触の便せんに、本当に手書きなのか疑わしいほどきれいな文字が並んでいるのだった。
俺はひととおりその手紙を読んでから机に置き、いざ届いた箱の蓋を開けようと手を伸ばした……が。


「ちょっとー……」
「うわっ!」


ちょうどその時部屋のドアが開き、母親がずかずかと足を踏み入れてきたのである。慌てた俺は何故か手紙を下に伏せて、箱を両手でがっちりとホールドした。


「勝手に入って来んなよっ」
「だってそれ明らかに怪しいじゃない」
「怪しくねーし! 失礼な」


まさか俺が親に向かって失礼だのなんだのと礼節を説く日が来るとは思わなかったが。母親はますます怪しそうに目を細め、俺の持つ箱をじっと睨みつけた。そして、あることに気付くと、今度は両目をぱちりと見開いた。


「……なにこれ。すっごい高いお店のお菓子!」
「えっ。そうなの」
「あんた本当にどうしたの? 誰から!? 毒とか盛られてないでしょうね」
「あのなあ……」


息子宛に、いきなり縁のなさそうなものが届いてさぞ心配なのだろう。それは分かるけれども。贈り主の顔を知っている手前、そこまで非難されるのは少し気分が悪い。なるべく母親を刺激しないように気を付けながら、順序だてて説明することにした。


「知り合いの女の子だよ。たまたまオッサンに絡まれてるのを助けたの。それだけ」
「それだけ?」
「育ちの良さそうな人だったから。お礼するって言われて住所教えた」
「本当に?」
「うっせーな! 心配なら俺が全部食いますけど!」
「それは駄目! 半分ちょうだい!」


なんとこの親、中身を半分よこせと言うではないか。よく見ると大量のお菓子の詰め合わせになっているが、半分も渡す気はさらさら起きず。仕方なく、本当に仕方なくいくつか好きなものを取っていかせた。
どうせ俺は甘いものばかりこんなにたくさん要らないのだ。気持ちだけありがたく受け取って、残りは喜んで食べてくれる人間に分けるのがいい。



「……っつー感じで、ひとりじゃ食べ切れねえから。持ってきた」
「なんだそりゃ!?」


翌日の朝、部室に行ってその旨を話すと当然だけど驚かれた。デパ地下で売られているような品物と俺との組み合わせが珍しいのだと思われる。特に、去年から俺を知っている先輩たちは目の色を変えていた。


「助けたお礼に高級菓子が贈られてくるってどういうことだよ」
「俺だって知りたいっすよ」
「コレ待てよ、こんなにたくさん入ってるってことは」


ぶつぶつ言いながら箱やら中身の個包装やらを調べる笹谷さんが、突然スマホを取り出した。一生懸命文字を打って何かを調べている様子。なんだか嫌な予感がしてきた。


「……ほら。やべえよこれ、一万超えてる」
「これだけで!?」
「値段調べないでくださいよ」
「二口お前、普通じゃねーぞこんなの。贈り主って何者?」


笹谷さんだけでなく、その場のほぼ全員が俺を見た。そんなに俺には似合わないか、これが。似合わないけど。
しかし好奇の目っていうわけでもなく、茂庭さんの心配そうな表情も伺えるので無視するわけにもいかない。俺は溜息とともに話をした。


「鈴が丘の子ですよ。本当にたまたま、駅で助けただけで」
「それだけで?」
「……あとまぁ大荷物だったから色々手伝っただけです」
「荷物って?」


この人、普段が家と学校の往復だからって俺に起きた事件に興味を持ちすぎじゃないか? しかしここまで話した以上、続けなければ納得されない。べつに隠すようなことでもないし。


「バイオリンとか……」


ぼそりと答えた瞬間、部室内は静まり返った。まさか俺の言葉が理解できなかったとか?バイオリンという単語を知らないとか?と思ったが、そうではなく。俺の口から楽器の名前が出てくることが違和感だったらしい。そして、恐らく俺と同じくらい楽器に縁のない鎌先さんが口を突っ込んできた。


「バイオリンってお前、知ってるか? 楽器の中でも弦楽器が一番金かかるんだぞ」
「何でそんなに詳しいんすか」
「テレビで見た」


それが本当かどうかはさておき、楽器を嗜む時点である程度裕福な家に育っているのだろうとは思う。話し方も表情も、手書きの文字にさえ品が感じられたのだ。バイオリンってテレビでしか見たことがないけど、あの子、楽器を片手で支える腕力があるのかな? なんて余計な心配か。


「二口、ちゃんとお礼したのか?」


そんな中、茂庭さんが少々真面目なトーンで言った。お礼とは、白石さんに? 何についてのお礼だろうか。


「……お礼? 俺がっすか?」
「一応、届いたことくらい報告するのが礼儀だと思うぞ」


俺はそういうことについて疎いもんだから、届いたお礼に対して更なるお礼が必要だとは微塵も考えつかなった。果てしなく続くお礼のキャッチボールに意味があるのかと思ったが、確かに到着確認はしたいだろう。

そんなわけで、朝練が終わり教室へ移動するあいだにメッセージを送ることにした。この時間に長々と打つのは相手にとっても邪魔だろうから、要件のみを簡潔に。


『昨日届きました。ありがとうございます』


それだけ送るとスマホをオフにした。優秀な生徒である俺は学業に専念しなきゃならないし、白石さんとのやり取りは、これで完全に終わりだろうと思っていたから。