恋が実ったことのない女の子にとっては、気持ちを成就させるためなら藁にもすがる思いだ。根拠のない占いを読みふけったり、好きなひとの好みのタイプを探ったり、そうでなくても気を引くためにイメチェンしてみたり。私は行動に移すのが苦手なタイプだからあまり何もしていないんだけど、唯一やってみたのがコレだ。

よし、うまく書けた。

そう思ってケースに戻した消しゴムをペンケースに仕舞い、意味もなく咳払いをした。今のを誰かに見られていないかと、こっそりあたりを見渡してみる。でも大丈夫そうだった。私が西谷くんの名前を消しゴムに書いているところなんて、誰も見ていない。

この消しゴムは誰にも見られないように最後まで使い切ってみよう。そうすることが出来たなら、そのころには西谷くんとの距離もちょっぴり縮まっているかもしれない。私はいつか来るその日を楽しみに、その消しゴムを丁寧に使う努力をした。わざと落書きや誤字をして消す時もあった。「西谷夕」と書かれたものを手にするだけで、心の中は幸せで溢れかえっていた。が。


「……ない」


血の気が引く出来事は唐突に、そしてすぐにやってきた。名前入りの消しゴムを使い始めて数週間が経過したころ、大事にしていたはずのそれがペンケースから忽然と姿を消したのだ。


「うそ……ないないない」


何度見返しても、漁り返しても見当たらない。私は消しゴムをアレしか持っていないから授業に差し支えるのも勿論だけど、誰かに見られたりしたら最悪だ。私の消しゴムに西谷くんの名前が書いてあるなんて、みんなに気持ちが知られてしまう。下手をしたら本人に。

その後も消しゴムは見つからなくて、授業中なるべく気を付けていたものの誤字をした時には、隣の席の子に「ごめん、消しゴム無くしちゃって」と借りる羽目になった。無くした事実は変わらないのに、それからも机の中を引っくり返したり鞄の中を何度も何度もチェックしてみたけれど。西谷くんへの想いが詰まった消しゴムは、一向に見つからなかった。

その日の午後、ちょうど昼休憩の半ば。このままでは隣の子に消しゴムを借り続けることになるので、せめて迷惑をかけないように購買へ買いに行くことにした。しかし、お弁当を食べ終えてから財布を持って立ち上がった時、前方から嬉々とした女の子の声が。


「白石さん! 消しゴム見つけたよ」


一瞬、何を言われたのか全く分からなかった。とりあえず名前を呼ばれたので私に用があるのか理解した。けど、その後の言葉が理解できない。何を見つけたって?


「……へ?」
「落ちてたよーあそこに」
「え、なにが」
「消しゴム」


全身にゾワッと寒気が走った。
私の消しゴムが落ちていた。西谷くんの名前を書いたあの消しゴムが。少なくともこの子にはバレた。私の恋する気持ちが。いつか勇気が持てたら告白したいって思っていたのに。他の誰かには見られてないだろうか?
恐る恐る目を向けた彼女の手のひらには、新品にほど近い消しゴムが乗っていた。大きさは私が無くしたものと同じくらい。だけど、おかしい。色が違う。私の消しゴムはケースがピンク色なのに対し、これは青だ。


「それ、私のじゃない……」
「えっ? あれ……でもここに名前が」


その子は目を丸くして、消しゴムのケースをスライドし始めた。私は何故かドキドキしながらそれを見守った。まさかそこに自分の名前が書かれているなんて、予想もしなかったというのに。ハッキリと太いネームペンで「白石すみれ」と記されていた。


「……」


冷静に考えれば、私が消しゴムに西谷くんの名前を書いたなんて誰も知らない。だから「西谷夕」と書かれた消しゴムを「白石さんの」と持ってくるクラスメートは誰一人居ない。でもそこに私の名前が書いてあったなら、私のものだと誤解するのも無理はない。
……けど、残念ながらこれは違う。私のじゃない。誰かが消しゴムに私の名前を書いているのだ。固まる私を見て、これを発見した子は声のトーンを上げた。


「あー……これ、そういうアレか」
「……え、ど、どういうアレ」


私は不自然に戸惑った。私だってこれが「そういうアレ」だって瞬時に理解してしまったけど、自分も同じことをしているものだから。
「誰だろうねぇ」と目を細めながら教室内を見渡す彼女は、まるで新しいスマホを手にしたようにウキウキしている。本当に誰だろう。私の名前を書いたのは。と言うか、私の消しゴムはどこに消えたの。まだそっちが解決していないから気が気じゃない。


「だぁーーくそ! 消しゴムどっかいった!」


その時、教室内を一瞬にして静まらせる大きな声が響いた。全員がビクッとしてそちらを見たけど、私が一番びっくりしたと思う。叫び声を上げたのが西谷くんだったから。


「購買で買えば?」
「そういう問題じゃねんだよ!」


西谷くんは近くの席の男の子とそんな会話をしていた。クラスメートたちは一瞬だけ彼に注目したものの、消しゴムを無くしただけだと分かると、またそれぞれの会話に戻っていく。私たちもゆっくりと西谷くんから目を離したが、話題は全く変わらなかった。


「西谷くんも消しゴム落としたんだね」
「……だね」
「消しゴム紛失流行ってんのかな」


なんて、けらけらと笑う彼女はとっても楽しそうだ。クラス内に私のことを好きな人が居る(たぶん)というのがわくわくして仕方ないらしい。しかも今時、消しゴムに名前を書くなどという小学生みたいなおまじない……ああ自分で言ってて心が痛くなってきた。


「ノヤー!」


続いてその声が響き渡るまでは、数十秒ほどのことだった。私たちはまたまた顔をそちらに向けて、西谷くんに駆け寄る男の子の声に耳をすませた。


「見っけたぞ! 後ろのほうに落ちてた」
「あ?」
「お前の消しゴム」


どうやら彼の消しゴムは難なく見つかったらしい。クラスメートたちは再び彼に注目したけれど、消しゴムが見つかったという平和な話には興味が無いのか、それぞれの会話に戻っていった。さっきと同じ光景だ。
私もそろそろ消しゴムを買いに行かねばと改めて席を立とうとしたけど、男の子の見つけた消しゴムを見て驚愕した。


「……!」


私のだ。白い消しゴムにピンクのケース。購買に売っているようなシンプルなものじゃなくて、私が駅前の文具店で色々吟味した結果ようやく選んだデザインの。それが男の子の手から西谷くんに渡り、西谷くんは不思議そうに眺めている。


「これ……俺のじゃねえけど」
「え。でも名前書いてんじゃん」
「名前?」


やだ、やめて、それはヤバい。がたがたと震えるのを堪えつつ西谷くんたちの声に耳を傾けて、気付かれないように横目で見守る。ピンクのケースがスライドされて、現れたのは紛れもなく「西谷夕」の文字。やっぱり私のだ。


「……あれ? いやでも……俺、消しゴムに自分の名前なんか」
「あ。じゃあアレだ! もしかして」


消しゴムを届けた男の子はニヤニヤしながら西谷くんに耳打ちを始めた。
恥ずかしくて死にそう。西谷くんの名前が書いてあるだけだから、それだけで私のだって特定するのは難しいだろうけど。少なくともクラスの誰かが西谷くんを好きだってことがバレてしまう。
男の子は西谷くんから顔を離し、どうやらおまじないの説明を聞き終えた西谷くんは全身を使って驚いた。


「……なんだそれ!? やべえ」
「やべえよな。西谷モテモテ」
「じゃあ俺のも本人のトコに行っちまってるかも知れねーじゃねーか!」
「え」


その「え」は男の子だけじゃなく私も発した言葉であった。私の隣の席の子も、それ以外のクラスメートも皆が「え」と感じたに違いない。私は頭がこんがらがってしまい、考えるのに時間を要した。
整理しよう。整理したい。だめだ考えられない。私はこんなに動揺しているのに対し、隣の女の子は心底嬉しそう。


「……ははーん」
「な、何! まだ分かんないじゃんっ」
「分かんないけどぉ」


分からない。この消しゴムが西谷くんのものだとは断定できない。彼は他の子の名前を書いているかもしれないし。だけどもしかして、私たちが同じおまじないをしてるとしたら?
結局新しい消しゴムを買いに行く時間は無くなってしまい、仕方なく「白石すみれ」の消しゴムを使うことになってしまった。


希望的反則