01
宵闇ストレンジャー


最近、進路についての話が増えた。そんなのは三年になってから考えればいいと思っていたが、どうやらそうでもないらしく。夏休み前に担任から配られた進路希望についてのプリントを見て、もうそんな岐路に立たされているのかと実感した。
今は何をどうやったって一番優先したいのは部活だし、授業は授業で楽しいけど、いざ自分が何に重きを置いて勉強すればいいのかなんて分からない。いつか授業で取った資格を役立てる日が来るのかどうかさえ。そもそも英語やら数学なんか必修じゃなければやりたくない。高校生活において俺は部活以外の明確な目標を持たず、のらりくらりと一年半が経過していた。


「へー。茂庭さんの妹さん、鈴が丘受けたんすか」


ある夏の日、部室に顔を出していた茂庭さんの何気ない言葉に、同級生の小原が反応した。
三年生は既に引退済みだけど、受験対策とか進路相談なんかで夏休みも頻繁に登校しているらしく、そのたびにバレー部に顔を出してくる。有難いっちゃ有難いし、恥ずかしいっちゃ恥ずかしい。まだまだ手探りでチームを引っ張っている俺は(そもそも引っ張れているのか疑問だが)、あまり頑張っている姿を他人に見られたくないのだ。
話は戻って今は大学受験の話に関連して、茂庭さんの妹の高校受験エピソードが繰り広げられているところ。


「受けただけだよ。あいつ全然勉強してなかったもん。結局普通に公立行ってる」
「やっぱ難しいんだー」


俺はスマホゲームをしているふりをしながら、その話に耳を傾けていた。今は勉強とか受験の話を耳にしたくない、というか現実を受け入れたくなくて。でも、いつか訪れる自分の将来のために、内容はしっかりと聞いていた。


「でも鈴が丘なんて学費高いんじゃね?」
「いや知らん」
「ミッション系ってやつだろ。お嬢の通う学校」
「鎌先さん何で女子校に詳しいんすか」


受かってもいない学校の話で盛り上がる部室はとても平和だ。しかも鈴が丘といえば誰かの言うとおり女子校で、俺でも聞いたことがあるくらいには有名な名前。鎌先さん曰くミッション系と呼ばれるそこは、絵に描いたようなお嬢様学校なのだそうだ。ていうかミッション系ってどういう意味だ、と思ったがどうでもいいので突っ込まないことにした。


「お前らそろそろ考えなきゃじゃねーの、進路。なあ二口」


突然話が自分に振られて、俺はスマホから目を離した。一年先に生まれただけの鎌先さんが、ニヤニヤしながらこちらを見ている。腹が立つほど得意気だ。


「……余計なお世話です。つか鎌先さんもまだ次決まってないでしょ」
「うるせんだよ! そうだよ」
「俺らまだまだ時間ありますしー」


俺は適度に鎌先さんを煽って、また余裕のあるふりを見せながらスマホに視線を落とした。
そう、俺にはまだ一年ある。将来のことを考えるのに時間を割く余裕なんかない。今を生きるのにいっぱいいっぱいだ。だから、鎌先さんが「余裕ぶっこけるのも今のうちだぞ」と言うのも聞き流していた。

とは言え、俺だってある程度の不安は持っている。このまま何も考えずに高校生活を終えるのは良くないってことくらい分かっているのだ。その不安を誰かに悟られるのは御免だから、口には出さないけれど。

その日は悶々としながら帰路に就き、だけどまっすぐ帰る気分にはならなくて寄り道をした。それが正解だったのか間違いだったのかは後々知ることになる。
ただ、この時は「寄り道なんかするんじゃなかった」と後悔していた。なんとなく降車した駅の周りを歩いていると、駅に戻る方向が分からなくなってしまったのだ。


「……ヤベ。ここ何処だ」


舌打ちしながら地図アプリを開いたそこは、いわゆる歓楽街みたいな、チカチカするネオンの輝く通りの入口であった。見知らぬ場所に出てしまったけど、地図を見るとどうやら駅からは遠くない。こんな場所を制服姿の高校生が歩くなんて場違いなので、さっさと帰ってテレビでも観よう。と、思ったその時だ。


「きみ、佐々木ユリコちゃん?」


なんとなく耳に入ったこの声に、なんとなく振り向いた俺は人生を変えることになる。
「佐々木ユリコ」と呼ばれた女の子はしばらく無視して立っていた。呼んだほうの男が「おーい」と顔の前で手を振ったので、ようやく彼女は自分が呼ばれたのだと気付いたらしく、伏せていた顔を上げた。


「……違います……」


女の子は戸惑いながら答えた。彼女は「佐々木ユリコ」ではないらしい。てっきりその後は会話が終わるかと思っていたが、なんと男は引き下がらなかった。


「でも鈴が丘の制服じゃないの、それ」
「そうですけど……」
「鈴が丘の制服でココで待ってますって書いてあるんだけど違う? これ、きみでしょ?」


会話の内容だけを聞くと何のことだか分からなかったが、男がスマホの画面を見せたので、俺はなんとなく理解した。
こんな世界が、こんなやり取りが自分の耳の届く範囲で繰り広げられるとは。出会い系というやつだろうか? この男の待ち合わせ相手が、この場所で「鈴が丘の制服を着て待っている」とメッセージを送っているようだ。

俺は鈴が丘の制服がどんなものかは知らないが、そこに立っている女の子の制服がそれなのだろう。半袖のブラウスに紺のリボン、紺のジャンパースカートは膝下の長さで、なるほど昼間に聞いた「お嬢様校」に相応しい姿であった。


「私じゃありません」


その鈴が丘の生徒は首を振った。男の待ち合わせ相手ではないようだ。見たところスクールバッグの他にも大きな荷物を持っているし、「今から援交します」というふうには見えない。
それなのにスーツを着た男は納得いかない様子で、その場を去ろうとはせず。


「そんなの困るよ……あ、ごめん声が大きかったかな」
「……はい?」
「ね、こっそり行こう。上着貸してあげる」
「え、」


女の子は男の言う意味が全く分からない様子だが、肩にスーツのジャケットを掛けられてようやく危機感を覚えたようだ。この場からどこかに連れて行かれようとしていることに気付いた。

これらの会話を聞きながら、また横目に見ながら俺は瞬時に色々なことを考え出す。助けるべきか? どうやって? 俺は彼女のことを全く知らないし。もしかしたら別の男と援助交際の待ち合わせをしていたりして。だとしたら助け損だ。いや、人を助けるのに損得勘定を持つなんて冷たすぎじゃないか。
と、うだうだ考えているうちに男の行動はエスカレートしていく。自分のジャケットを羽織らせた肩を抱き、歩きだそうとしたのである。


「や……離してください」
「静かにしてって。目立っちゃうよ」
「いや……」


恐らくこのサラリーマンにとって、この子が待ち合わせ相手かどうかなんてもう関係ないだろう。鈴が丘の制服を着た若い女とホテルの部屋にもつれ込み、楽しいことが出来ればそれでいい。大人しくて清楚な制服をぐちゃぐちゃに乱すのが楽しみで仕方ないのだ。
その場に留まろうとする女の子だったが、中年とはいえ男の力には逆らえない。踏ん張って踏ん張って堪えていたのも虚しく、とうとう足が一本動いてしまった。
しかし、動いたのは彼女の足だけではない。


「すみませーん」


この際なりふり構っていられるか。正義感を呼び起こすのに随分時間を割いてしまった。俺も彼らのそばに近づくために足を踏み出し、声が裏返りそうになりながらも、努めて陽気に声をかけた。


「おじさん、たぶん人違いですよ」
「は……?」
「この子、そういうんじゃないんで」


この子が「そういうの」つまり援助交際をするような女の子かは分からないし知りもしない、が、少なくともこのサラリーマンはお呼びでない。
しかし男は、当然だが突然現れた俺に気を悪くした。俺のほうがデカイので少々驚いてはいたが、着ているのが学生服であるのを確認すると、自分の立場のほうが上であると判断したらしい。


「きみ、ここらの学生さん? 僕らの話だから放っといてくれないかな」
「無理やり連れてくのは良くないんじゃないすか」
「ああ? 関係ないでしょ」
「ないですけどー」


その会話の最中も、肩を抱かれたままの女の子は黙っていた。というか声を発する余裕が無いように見えた。両目とも大きく見開かれて、鞄を強く掴み、ただただ地面を見つめている。そして俺の見間違いでなければ、ちいさく震えているようであった。


「違うんですよね?」


正誤回答の質問でなければ、彼女から返事をもらうのは難しい。そう判断しなるべく落ち着いた声で聞くと、女の子はゆっくりと頷いた。
そうと分かれば話は簡単。この子を助けても構わない、というか助けるべきだ。俺はスーツごと男の手を取り払い、彼女の腕を引いた。


「ほら違うっしょ。行きましょ」
「え」
「な……なんだお前勝手に入ってきて」
「うるせえな! ついてくんなよオッサン!」
「は!?」


全く諦めようとしない男に俺も苛々してきたもんで、思わず声を荒らげてしまった。男は勿論だが女の子のほうもビクッとさせてしまい、しかも男の形相は強ばっていく。早く離れたほうがいい。申し訳ないとは思いつつも、俺は女の子の腕を再び引っ張った。


「店ん中に逃げましょ」


彼女はまだ俺と目を合わせる余裕が無い。しかし、こくりと頷くのが見えたので、ひとまず近くのコンビニへ避難した。
この行動がなければ、俺が偶然寄り道をしていなければ、今後も俺は自分のことだけ考えて、卒業間際になってから慌てて進路を考えていたかもしれない。そんなことは、この時にはまだ知りもしないけど。