23
ダイヤモンド・プロセス


今回の事は仕方がないよと不本意ながら太一に慰められて、俺たちは練習を開始した。
そう。仕方がない。何度も言うがわざと演奏会の日に予定を入れたわけじゃない、白石さんもそれは分かっているはず。だから今朝もいつも通り挨拶をしてくれたわけだし。
と、もう何度考えただろう。少しでも罪悪感を和らげるための理由を、いくつ思い浮かべただろう。もう一度謝らなくては。白石さんを裏切った事に変わりはないのだから。


「あの、まだ練習してますか」


バレー部の練習が終わり、急いで向かったのは音楽室だ。今日はまだ体育館にホルンの音は聞こえていない。白石さんは音楽室に居る可能性が高いのだった。
しかし扉を開けると見知らぬ生徒ばかりが居て、練習のために並べた椅子を元の位置に戻しているようだった。


「もう終わりましたけど……」


突然現れた俺に戸惑いつつ、近くの生徒が答えてくれた。片付けの最中という事はそうなのだろう。
白石さんはもう帰った? どこに行きましたか? それを今ここで聞いてもいいものかどうか。判断しかねて立ち尽くしていた俺は、俺が開けっ放した扉から人が入って来るのに気付けなかった。


「白布くん……?」


そして、それが白石さんである事に気付くのも遅れた。ゆっくり振り向くと、白石さんが目を点にしてこちらを見上げているではないか。


「今、いい?」
「えっ」
「宿題の話で。来て」


俺は全くの嘘をでっちあげて白石さんを呼び出した。嘘をついたのは彼女を騙して連れ出そうという悪意ではない。人目のある場所で俺なんかが急に呼び出したら不自然だと思ったからだ。あとから吹奏楽部の部員に、白石さんが変な質問をされてしまうかもしれないし。


「どうしたの急に、私まだ片付けが」


音楽室から離れ、階段を降りきったところで白石さんが俺を止めた。宿題の話をするにはあまりにも不自然だったのだと思う。俺は手ぶらだったし、それに神妙な面持ちをしている。だから周りに人が居ないのを確認すると、思い切って本題に入った。


「一昨日の話なんだけど」


その話を出すと、白石さんはぎゅっと口を閉じた。俺がわざわざ呼び出すという事は何の話なのか、なんとなく分かっていた様子。しかし具体的に何を言いたいのかは察しがついていないようだった。


「白石さんがソロで吹いたって聞いた」
「え……」


結ばれていた唇がゆるく開かれて、間の抜けた声が出た。俺が何故それを知っているのか、誰に聞いたのか考えを巡らせている。きっと俺には黙っておくつもりだったんだ。


「どうして言ってくれなかったんだよ」


謝罪を述べる身にしては、我ながら強気な発言だと思う。でも白石さんがようやく掴み取った舞台なのに、知らされないなんて悲しいじゃないか。観に行けなかった事実は変わらないけれど、大事な事に気付くか気付かないかでは大きな違いがあるのだ。


「……言ってくれなきゃ俺、どれだけひどい事したか気付けないだろ」


白石さんがどれほど一昨日の事を楽しみにして気合いを入れていたか、想像するだけで気が遠くなる。次回の演奏会で白石さんが同じくソロのパートを任されたとしても、その日と一昨日とでは格段に違う。聞きに行く俺の気持ちだって違う。初めてみんなの前でひとりで吹く姿を見届けたかったのに。


「ごめん。本当に」


謝ったところで過去は変わらない。何より意図的に約束をキャンセルしたわけじゃないのだから、俺に謝られても困るだろうけど。もう一度謝らずにはいられなくて、俺はただただ地面を睨んだ。


「……いいって言ったじゃん、それは。白布くんのせいじゃない」


そして、予想はできていたが、白石さんはちっとも俺を責めずに居てくれた。分かっているけど、じゃあ白石さんの感じた悲しみはどこに逃がせばいいんだろう。


「誰も悪くないから、謝らなくていいよ」


そこまで言われて俺はようやく顔を上げたが、目に入ったのは白石さんのどうしようもなく寂しそうな顔だった。


「私が、どうしても白布くんに見て欲しかっただけで……特別なコンクールとかじゃないのに、おかしいって思うだろうけど」


ずっと我慢していたらしき涙があふれて、声はところどころが震えている。俺に向かって「嘘つき!ドタキャンしやがって!」と罵る事ができるなら、もっと楽なはずなのに。
練習試合は休めない。休みたくなかった。仕方のない事だ。レギュラーを勝ち取って全国大会に出るのが、白石さんとの約束だから。でも白石さんが「どうしても見て欲しかった」と言うのと同じく、俺だってどうしても見たかった。今回はもう遅いけど、白石さんが約束をずっと守っていてくれるなら、次回きっと叶うだろう。


「次は絶対に行く。それまで誰にもその席譲るなよ」
「……」
「俺も譲らない」


白石さんは指で涙をすくいとりながら、こくりと頷いた。俺がいきなり連れ出したおかげでハンカチも何も持っていないらしい。しばらく白石さんのすすり泣く声が響き、俺はそれを止めることなく見守った。


「……前に白石さん、俺への応援歌吹いてくれたの覚えてる?」


まだ残っている涙を拭きながら、白石さんは再び頷いた。
あの時俺は特に落ち込んでいるわけではなかったのに、白石さんの演奏を聞いただけで、この世の嫌な事をすべて吹き飛ばされたような気がした。俺を思って吹いてくれたのかと思うと胸がいっぱいになって、白石さんの感じる苦しみも悲しみも俺に全部押し付けてくれよとさえ思う。


「あれ、また聞かせてよ」


俺が言うと、白石さんは何度かまばたきをして、涙の残った目で俺を見上げた。


「でもあれは……」
「俺、あのおかげで頑張れてるんだから」


即席で吹いたてきとうな曲だって構わない。白石さんの吐いた息で奏でられるからこそ意味がある。白石さんの頭に俺が居るというだけで力になる。血のにじむような苦しい練習も耐えられるのだ。


「何だってできるよ。白石さんが応援してくれるなら」


俺には白石さんが必要だ。こんな女々しい事を言うのは生まれて初めてだけど、白石さんと二人で高めあってきたこの期間は、俺にとっての宝物だった。今のメンバーで迎える最後の大会を白石さんの演奏で応援して欲しい。そうして俺も全国に行く約束を果たす事が出来たなら、胸を張って気持ちを伝えられるような気がした。