20
ちぐはぐだらけのカトラリー
約束の日が近づくにつれて、白石さんは一層気合いが入っているように見えた。
体育館の裏に一人で練習に来る事も少なくなり、全体での練習を長く行なっているのだと思える。
以前のように白石さんは、吹奏楽部の誰にも見られない・聞こえない場所でこそこそと練習する必要が無くなったのだ。コンクールでホルンを吹くメンバーに選ばれ、今度の演奏会にも選ばれて、堂々と全員の前で楽器を吹いてみせる自信と力を身に付けた。
それは俺にとって嬉しくて誇らしく、同時に少し寂しくもあるけれど。白石さんの成功を喜べなくてどうする、と自分に言い聞かせながら過ごしていた。来週の土曜日には、白石さんの演奏を聞きに行く事ができるんだから。
「白布くん!おはよう」
演奏会が近付いてきたある日の事(と言っても最近では毎日のように挨拶を交わしているが)、白石さんは俺の姿を見つけるや否や、飛び付いてきそうな勢いで寄ってきた。
その時の彼女の声が大きかったのと、もしや抱きつかれるのでは?というドキドキでビクッとしてしまった。もちろん白石さんは俺に抱きつこうとはしていなかったので、俺にぶつかる数歩手前で立ち止まっていたが。
「びっくりした……おはよう」
「来週だよね。来週だからね。覚えてる?」
俺の挨拶に食い気味に返してきたのは、来週行われる演奏会についてだと思われる。俺の机に両手を付いて身を乗り出してくるので、俺はちょっぴり仰け反ってしまった。
「演奏会の事?覚えてるよ」
「よかった。絶対来てね、絶対だから!」
「行くよ。もちろん」
なぜ彼女が、まるで強迫じみた誘いをしてくるのかは不明だが特に気にはならない。俺は白石さんの演奏を聞きたいし、長々と感想を述べたいし、その時に白石さんが嬉しそうに聞いてくれるのを楽しみにしているから。自分の私利私欲のために演奏会に行くようなもんだ。
こんな歪んだ気持ちで客席に座る予定だなんて、白石さんが知ったら幻滅するだろうか。
「集合ー」
その日、バレー部の練習は少し早めに切り上げられた。明日・明後日の土日に組まれている大学生との練習試合に備えているのだと思う。集められた部員に土日のスケジュールが簡単に告げられて、それから解散し自主練習の時間になる。と、思っていたが。
「急だが来週の土曜、山形県の高校と練習試合を組む事になった」
コーチの口からは新たな知らせが告げられた。
山形には監督とコーチの知り合いが居て、強豪として名を馳せる高校があるのを俺たちは知っている。去年も確かその高校と練習試合があった。春高予選を勝ち抜くために、お互い勝ち進んだ後に当たった時のシミュレーションのために。
だけど来週の土曜日という言葉は、俺の頭をひどくくらくらさせた。その日は俺と、ついでに太一も一緒に演奏会に行く予定なのだ。
「主力は代わりに翌日の日曜日をオフにするからな。それ以外は土曜はオフ、日曜は通常練習」
淡々と来週の週末の予定を続けていくコーチが、とても冷徹に見えてしまった。
土曜日の代わりに日曜日を休みにされたって意味は無い。練習試合の日程は決して覆す事は出来ないのだろうか?時間をずらす事は?せめて練習試合を午後、それも三時以降に行ってくれるなら。
しかし解散後にホワイトボードの予定表には、九月二十二日のところに「十時から」と書かれてしまった。
それじゃあ困る。演奏会は十一時からだ。額からものすごい冷や汗が流れるのを感じた。
「あの……」
解散後、震える声でコーチに話しかけた。自分の声があまりにも弱々しかったので俺自身も驚いたが、コーチはもっと驚いて振り向いた。
「どうした?」
「……二十二日の事なんですが」
「ああ……」
言いにくそうにする俺を見て「何か予定があったか?」と聞いてくれ、俺は頷いた。大事な大事な予定が既にある。
「その日は吹奏楽部の演奏会を聞きに行く予定で、川西と。もう予約をしてしまってるんです」
本当はチケットの予約なんて必要の無い演奏会だけど、白石さんに「行く」という約束をしている。これはもう予約みたいなもんだよな。
コーチは俺の言葉を聞いて目を丸くした。俺が音楽に、それも吹奏楽に興味があるなんて意外だったのだろう。
それからやや申し訳なさそうにはしたものの、「じゃあ試合の予定を変えようか」とは言わない。当然だ。今さら変えられない事くらい分かっている。
「……けど、試合の予定はもう変えられませんよね」
だけど万に一つの可能性を信じて聞いてみた。もしかしたら大丈夫かも。もしかしたら予定はまだ調整中かも。俺の目は相当熱心に燃えていたに違いない。
「変えられないな。残念だけど」
それでもやっぱり覆らなくて、コーチは短くそう言った。
そのコーチの目も色んな意味を含ませて燃えていた。「お前はせっかくレギュラーを与えられているのに、まさか練習試合を休むだなんて言い出さないよな?」と。
「……そうですよね。すみません」
「いや。吹部の顧問の先生には俺から謝罪しておくから」
「あ、はい……」
顧問に謝罪をされたところで何にもならないのだが、俺は頷く事しかできなかった。今や、白石さんに何と言えば良いのだろうという思いで頭がいっぱいなのだ。何度も約束したし、何度も「楽しみにしてる」と伝えたのに。
「どーする?」
気まずそうに声を掛けてきたのは、同じく演奏会に行く予定だった太一である。俺が虚ろな目をしているのでギョッとしていたが、それでも太一はこのように続けた。
「俺は悪いけどコッチを取るよ」
悪いけど、なんて思う必要も言う必要も無い。太一は何も悪くないのだから。俺も悪くない、仕方の無い事なのだ。ここに入学した時から何もかもの都合を捨てて、バレー部として活動すると決めている。だから俺だって練習試合を取るつもりだ。けど、果たして白石さんにどんな顔をされてしまうんだろう。