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ここでは息しかできないみたい


時間というものは勝手に進んでいく。インターハイやコンクールの結果に落ち込む暇はあまり無く、二学期が始まった。
始業式では色々な部活動の夏大会の結果を表彰する時間が設けられ、インターハイに出場したバレー部からは主将の牛島さんが壇上に上がっていた。
その他にもいくつかの生徒や部活が各々結果を残しているらしく、改めて白鳥沢学園の生徒数の多さ、バレー部の他にも優秀な部活がある事を思い知る。そしてそれぞれの部活が成績を読み上げられ、全員が舞台を降りる前に、司会をしていた放送部の生徒が言った。


『皆さんの健闘をたたえまして、吹奏楽部より演奏が贈られます』


そんな演出があるとは知らなかった。ほとんどの生徒も同じ気持ちだったと思う。
ただ吹奏楽部が体育館内のどこで演奏を始めるのかまでは、誰も気にはならなかったようだ。俺だけが吹奏楽部と白石さんの居る場所を探そうと首を動かしていた。そして全校生徒が並ぶ体育館の上手前方にスタンバイする彼らを発見し、その中に白石さんも居るのを見つけた時、素晴らしい二学期の幕開けだなぁと思えた。

始業式の日は午前中で終了し、各々帰宅をしたり部活動に励む時間となった。俺はもちろん午後から練習だ。そして、白石さんも同じであった。


「なんか、夏休みのあいだも結構会ってたから久しぶりって感じじゃないね」


休み明けも彼女の個人練習の場所は変わらない。バレー部の体育館近くに居る白石さんを見つけるのは、そうそう難しい事では無かった。ここに来れば俺が居るのを期待しているのでは?と勘ぐってしまうほどだ。


「始業式の演奏すごかった」
「え。そう?」
「うん。なんか感動した」


感想を率直に伝えると、白石さんはくすぐったそうに「ありがとう」と言った。
しかし感動したのは本当だ。俺はいつだって白石さんの奏でる音に感動している。ホルンの音だけ聞こえればいいのにと思った事だってある。本当にそんな事になったら、皆で演奏する意味が無くなってしまうけど。
白石さんはそばに置いたペットボトルを一口飲んで、またその場に戻した。いつも彼女が飲んでいるお気に入りの味だ。俺と間接キスをした時に飲んでいた味。
ラベルを見るだけであの時の事を思い出してしまうので、俺はなんとなく白石さんの顔から目を逸らした。


「白布くんはすぐ秋の大会か」
「そうだね」
「今回もバレー部の応援行けるように頑張るね」
「……うん」


絶対頑張って、期待してるから。と言いたいけれど、プライドとかはずかしさとかその他妙なものが邪魔をして言えなかった。


「俺も白石さんに負けないように頑張るよ」


と、結果として当たり障りのない言葉を返してしまった。白石さんは満足そうに頷いていたが。

聞くところによると吹奏楽部では、わりと頻繁に演奏パートのメンバーが入れ替わるらしい。理由は様々だけど、恐らく上手い下手の順序なのだろうと思えた。特にバレー部の応援を望む部員は多いらしく、白石さんは幸いにもインターハイの応援に選ばれた。次もその次も来年も、なんとしても白石さんにホルンを吹いてもらいたいところだが。


「吹いてみる?」


白石さんはそんな俺の気持ちをしってか知らずか、そのような提案をした。


「……え?」
「どのくらい難しいのか」
「え!? でも」


俺は楽器を始め芸術関係はてんで駄目だ。それに、それって間接キスになってしまうんじゃないか。しかし白石さんは慌てる俺に気付いていないのか、足元のホルンを拾い上げた。


「あ。もしかして間接キス、嫌?」


そんな事を聞きながらも、吹き口を俺の方に向けてくる。
間接キスは嫌じゃない。相手が白石さんならば願ったり叶ったりというか、変態みたいだからそんな事言えないけど。
とにかく嫌だから戸惑っているわけじゃなくて、むしろその逆だ。


「嫌……とか……じゃ、ない」
「よかった!」


ところが彼女は、俺のややこしい胸中をあまり理解していない。理解されていても困りものだけど。


「私たちって、みんなで楽器使い回すからさ。一年の時とかは特に」
「へえ……」
「だから間接キスとか慣れちゃうっていうか、全然気にしないんだよねえ」
「……」


そんな事を言いながら、持ち方や指の押さえ方などを丁寧に教えてくれた。まるで初めてバレーボールに触った日、レシーブの構え方を教えてくれたコーチのようだ。

……と懐かしい気分に浸る暇はない。やっぱり吹奏楽部の面々は、間接キスというものについてハードルが低いらしかった。という事は、俺がいつか見た野球部と白石さんとの間接キスも、大した事とは思っていないのだろう。野球部の男はそうは思っていないだろうけど。それだけが複雑だ。


「はい。吹いてみて」
「ん」


結局されるがままに楽器を持たされて、似合わない楽器を構える事となった。息の吹き込み方をなんとなく教えてもらい、見よう見まねで吹いてみる。と、お世辞にも「良い音色」とは言えない奇妙な音がその場に響いた。


「あれ……」
「はははっ! 変な音でた」
「難しい」
「でしょ?」


でしょ? って、俺が吹けない事はお見通しだったのか。
しかし俺を馬鹿にしている風でもなく、白石さんはにこやかに両手を差し出した。


「練習したらちゃんと出るようになるよ。貸して」


俺は素直に楽器を渡した。白石さんが手本を見せてくれるらしい。ずっとここで彼女が吹くのを聞いていたから今更だけど、いくらでも聞いていられるので断りはしなかった。

「吹くよ」と一言言い、俺が頷くと白石さんはホルンを構えた。
聞きなれた音だけど、曲自体は初めて耳にするものだ。音色は春に初めて聞いた時よりも柔らかく耳に入ってくるように思う。白石さんの吹き方が変わったのか、俺の聞く姿勢のせいかは分からない。とにかく俺の耳にはとても心地よく聞こえてきて、音が鳴り終わるのを惜しいと感じてしまった。


「明るい曲だね」
「うん」
「なんて曲?」


単純になんと言う曲名なのか気になったので聞いてみると、白石さんは目を丸くした。なんと即興で吹いた曲なのだと言う。楽譜を見ずにああいうのが吹けるものなのかと感心した。そして白石さんはたった今吹いた曲の名前をうんうんと唸りながら考えていたが、やがて何かを思いついたように顔を上げた。


「白布くんへの応援歌。にしようかな」


何気なく、適当にそんな言葉が出たのだとしたら尊敬する。俺は彼女のこんなふとした思い付きの言葉にすら、全身の力が抜けそうになるほど翻弄されるのだ。言葉どおり、骨抜きというやつである。