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始まらなくともワンダーランド


小さな頃から、芸術鑑賞にはそれなりに興味があった。社会見学で行った美術館は楽しめたし、映画だって見るのは好きだ。
だけど音楽に関してのみ、あまり熱心に聞いた事はなかった。特にボーカルの居ないオーケストラや吹奏楽なんて、わざわざ見に行ったり聴いたりしようとは思えなかったのだ。

しかしそれを変えてくれたのは白石さんで、俺はホルンの音色に聞き惚れるまでになった。まあ、それも「白石さんの奏でる音色」に限定されるわけなのだけど。


「すごい迫力だったなあ」


劇場を出て、感心したように言ったのは大平さんだ。彼の事だから真剣に聴き入っていたのだろう。
俺ももちろん集中した。白鳥沢の吹奏楽部が入場した時・演奏し終えた時にはバレー部全員が拍手を送ったし、特に演奏中は「白石さんの事しか見ないだろうな」と思っていたのに、全体の迫力に魅了されたのだ。
だけど残念ながら吹奏楽部はコンクールの予選を落ちてしまい、別の高校が表彰される事になったのである。

音楽鑑賞を終えてからバスで学校に戻り、少しの間だけバレー部は練習を行った。当然だが吹奏楽部の事なんて話題に挙がらない。今日は体育館にホルンの音も響いてこない。白石さんたちは反省会でも行っているのだろうか。それとももう帰宅してしまったとか。
気になるけれど会うのを諦めた俺は大人しくシャワーを浴びて、学校から一番近いコンビニへ行く事にした。部屋に常備している勉強のお供(簡単に言えば間食用の菓子類)が無くなったので買い足しに行こうと思って。


「……あれ」


裏の出入口からコンビニに向かおうとすると、必ず正門の近くを通る事になるのだが。なんとそこに白石さんが現れた。俺は足を止め、白石さんもその場に立ち止まった。


「白石さん? ……どうしたの、こんな時間まで」
「あ、うん……さっきまで打ち上げをしてまして」
「打ち上げ?」
「ほら、三年の先輩が今日で引退になったから」


白石さんは音楽室のほうを指さした。ぎりぎりこの道から見える音楽室の窓は明るくて、まだ生徒が残っているのが分かる。
そうか。今日のコンクールで予選を落ちてしまったから、三年生はこれで部活を引退なのだ。今日の演奏を聞く前にそれを知っていれば、もっと違う聞き方も出来ただろうか。


「白布くん、どこか行くの??」
「……ちょっとコンビニ」
「へえ。寮生って、コンビニとか行ったりするんだ」


私服の俺が珍しいのか、白石さんはちらちらと俺の姿に目をやっていた。適当な服を選んできたのだが、白石さんに会うのならもっとましな格好をしておけばよかった。


「途中まで一緒に行こうよ」


しかし白石さんは、俺の服装がただのティーシャツとスウェットで居る事については特に気にしていない様子。それどころか一緒に歩く権利を与えてくれた。
確かにあのコンビニは駅までの道のりにあるけれど。一緒に行くって、なんだか男女交際みたいでは? そこまで考えていないのか?


「そういえば、今日は来てくれてありがとう」


歩きながら白石さんが言った。今日俺達がコンクールを見に行った事について。


「ううん。皆感動してたよ」
「そう?」
「うちの部、たぶん音楽には疎い人ばっかりだけど。疎いなりにちゃんと聞いてたと思う」
「そうなんだ。もしかして皆嫌々だったかな、見に来るの」
「な……全然!」


思わず大きな声を出してしまった。白石さんのびっくりした顔と、静かな道に響いた自分の声のおかげで我に返る。今のは喉の調節が上手くいかなかっただけ、というのを装うために俺は何度か咳払いした。


「……と、思う。俺は全然そんな事ないけど、他のやつは分からないけど」


苦しい台詞だなぁと自分でも思った。白々しい。これなら一言「そんな事ないよ」で終わらせたほうが良かったな。白石さんは俺を怪しんでいるだろうか。と彼女のほうを見れば何の事はない、「そっかー」とにこにこしていた。


「今日さ、結局コンクールは駄目だったけどさ。やり切ったなーって思うんだよね」
「……そう」
「吹いてて気持ちよかった」


俺も聞いてて気持ちよかったよ、なんて言うのは我慢した。「ふうん」と相槌を打つだけに留めた自分に感謝する。


「あ……でも全国大会に行った白布くんからしたら、こんなので満足するなんて甘いだろうけど」


白石さんは自分の言葉を恥ずかしがるように、顔の前で手を振った。
そんな事考えた事もなかった。バレー部が全国に行くのと、吹奏楽部が予選で終わってしまったのは別の問題だ。今日一日で彼女たちのコンクールが終わったのだとしても、頑張りを否定する理由にはならない。現に俺は今日、白鳥沢の演奏をとても素晴らしいと感じたのだから。


「そんな事ない。凄くよかったよ」


これは俺の本音だし、他の部員もそう言うと思うけど。白石さんはくすぐったそうにしていた。


「優しいなあ〜もう白布くんは」
「そうかな……普通だよ」
「普通じゃないって!」
「じゃあひとつだけ、あえて言うならだけど」


俺は白石さんをはじめとする吹奏楽部の演奏を見られて、聞く事が出来て満足だ。でも今日のコンクールがゴールなのではなく、他にも目標や約束があったはず。


「いつか白石さんがソロで吹いてるとこ、見てみたいな」


いつかと言わず近いうちに。
と、言おうとしたところでコンビニに到着してしまい、続きを話す事はできなかったけど。白石さんは先輩たちの引退で少し寂しそうではあったものの、「そうだよね」と意気込んでいた。