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タップダンスで星が散る


俺には既に、白石さんが吹くホルンの音ならば聞き分ける事が出来るはずだという根拠の無い自信がある。それだけ彼女の練習をそばで見て来たし、聞いてきたから。
しかし大きな会場で、大きな舞台で聞くのは初めてだ。バレー部の応援のために来てくれた彼らの演奏ではなく、吹奏楽部のために用意された舞台での演奏を聞くのは。
白石さんがどんな様子で舞台に上がり、楽器を構え、それに息を吹き込むのか。今すぐ見たくてたまらない。心臓が変にばくばくと波打っている。何の症状だこれは?胸元をぐしゃりと握り潰しても一向に治まらなかった。


「吹部の演奏かあ。途中で眠くなっちゃいそう」


聞き捨てならない台詞を吐いたのは川西太一である。一瞥してやると彼はぎょっとして「もちろん努力はするよ」と弁解していた。俺の隣で居眠りでもしてみろ、裏拳を使って叩き起してやるからな。

そんな薄情な友人の事はさておき、俺はどうしても白石さんに伝えておきたかった。先日インターハイの応援に来てくれたお礼と、次は自分たちが吹奏楽部を応援に行く事を。
さすがに仙台へ帰ってきたばかりの日には早々に解散したらしく、白石さんのホルンの音色は聞こえなかった。
だから翌日、また翌日、と体育館のそばで音が聞こえるのを待っていたけれど。なかなか白石さんが来る事は無く、痺れを切らした俺は自ら吹奏楽部の部室、つまり音楽室に出向く事にした。こんなに行動力のある男だっただろうか。

音楽室に近づくにつれ、だんだんと大きな音が聞こえてきた。演奏の練習をしているらしい。それもかなり大勢で。音楽室の前まで来た時には、大太鼓が鳴るたびに心臓が大きく振動するほどであった。


「すげえ音……」


そう呟いた自分の声すらも聞こえない。テンポのいい金管楽器の音が響いたかと思えば、今度はやわらかな笛の値が。用事を忘れてその場に立ち尽くしてしまうほど、吹奏楽部の演奏は予想以上に素晴らしいものであった。
実際俺は白石さんに会いたいというのを一瞬忘れてしまったし、覚えていたとしても音楽室に入れるような雰囲気では無い。だからその場に立ち尽くしていたのだが、程なくして音が止むと、音楽室の扉がいきなり開いた。


「あれっ?」
「!」


はじめに出てきたのは恐らく三年生の女の人で、休憩時間になったらしく他にも何名かの生徒がトイレに向かって行った。しかし、その三年生だけは俺の前に立ったまま用件を聞こうとしている。なんとなく、この人が部長なのだろうと思えた。


「何か用ですか?」
「あ……白石さん居ますか。二年の」
「え?」


部長らしき先輩は目を丸くした。
その顔を見て俺はようやく冷静になった。確かに部外者の俺が、しかもバレー部の練習着姿の俺が突然訪ねてきて「白石さん居ますか」なんて訳が分からない。白石さんに会いさえすればと思っていたが、音楽室まで押しかけてしまった今、こういう可能性がある事をすっかり失念していた。


「えっと、夏休みの課題の事で……」


今更Uターンするわけにもいかず、俺は苦しい嘘を述べながら身振り手振りをした。絶対怪しまれてるだろうけど、白石さんとクラスが同じなのは本当だ。課題について会話のひとつやふたつ、おかしな事じゃないだろう。


「白石さーん。呼ばれてる」


やっと先輩が音楽室の中へ声を掛けてくれたが、予想よりも大きな声で呼ぶもんだから冷や冷やした。同じクラスには吹奏楽部があと何人か居るはずだし、その中でも俺が白石さんだけを呼ぶなんて変だから。俺は中から自分の姿が見えないように、少しだけ後ろに下がった。


「……え。白布くん?」
「急にごめん」
「いや、大丈夫だけど……」


出てきた白石さんはやっぱり少し驚いていたけれど、音楽室の扉を閉めてくれた。


「今、ちょっと話せる?」


ちょうど休憩中のようだし、バレー部も今は昼休憩で少し余裕がある。それに気持ちが薄れないうちに言っておかなくては意味が無いのだ、特にインターハイのお礼については。
音楽室の周りには吹奏楽部の生徒が多いので、白石さんはわざわざ校舎の下まで付いてきてくれた。


「応援、来てくれてありがとう」


何故だか面と向かって言うのが照れくさくて(直接言いたくて来たというのに)、俺は歩きながら背中を向けたままで言った。


「いいよそんなの。ずっと行きたかったんだから」
「そっか」
「それにさ、あんな凄いところで演奏できたの初めて!いい経験になった」


俺が自分の不甲斐ない姿を見せた試合だと言うのに、白石さんは生き生きとしていた。
確かにインターハイの会場となった体育館はとても広くて、あのような場所で演奏する機会なんて滅多にないように思える。せっかくならば決勝まで行って、もっと白石さんが演奏する機会を与えてあげたかったけれど。


「……せっかく来てくれたのに、勝てなくてごめん」
「え!? そんなの謝る事じゃ」
「やっぱ優勝って遠いなって思ったよ」


普段は近隣県の学校との練習試合がほとんどで、全国各地の強豪と当たるなんて珍しい。しかも自分がその試合に出るのは初めてだった。出来る事なら優勝したかったけど。
……と負けてしまった事について悔やんでいると、白石さんが気まずそうにしているのが見えた。何してるんだ俺、呼び出したくせに。


「……いや。その話をしに来たわけじゃないんだけど……ごめん、つい」
「ううん」
「今日は別の話もしたくて」


本題はここからである。バレー部が負けたのはもう終わった事だ。反省しても引きずるような事じゃない。


「吹奏楽部、もうすぐコンクールなんだって?」


話題をそちらに変えると、白石さんはうさぎみたいにピクンと耳が動いたかに見えた。もちろん瞳も大きくなって、頬は興奮して赤くなり始めた。


「……うん!なんで知ってるの?」
「顧問が言ってて」
「そう!コンクールなのっ」
「それで俺たち、」
「今すーっごく練習頑張っててさ!」
「俺たち今度、そっちの予選を見に行く事になった」


相当意気込んでいるらしい彼女は色んな事を話したくて話したくて仕方がないようだ。俺も負けないくらい話したくて仕方なかったので、悪いけど先に言わせてもらった。すると、無事に聞こえたらしい白石さんの動きが止まった。


「……え……?」
「吹奏楽部の演奏、バレー部の皆で聞きに行く事になったんだ」


もしかして理解出来ていなかったのかなと思うほど硬直しているので、俺はもう一度同じ事を言った。ゆっくりと、より分かりやすく言い方を変えて。それでも白石さんは固まっていたけれど、やがて爆発したように大きな口を開けた。


「え、それって……白布くんも?」
「そりゃそうだよ」
「嘘!」
「嘘ついてどうする」
「え、だってそれ……え!? 嘘っ」


未だに信じられないのか、白石さんは両頬を覆って「嘘」を繰り返していた。俺も最初は驚いたけど、今の彼女は驚きと言うよりも嬉しさで頭がいっぱいのようだ。口が絵に書いたような三角形に開かれて笑っている。


「白石さんが吹いてるところ、今度は俺が応援に行くよ」


改めてそう言うと、白石さんは「嘘じゃないの!?」と俺の両手を握ってくるほどであった。
やっぱりこの子は今日、うさぎの魂でも取り込んでいるのかもしれない。ぴょんぴょん跳ねながら興奮を全身で表現しているのを、俺は直視できなかった。スカートの中が見えてしまいそうだったし、何よりその様子が可愛くて仕方が無かったのだ。