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救済のしるべ


高校生になったらインターハイに出場してみたい、と言うのは昔から漠然と持っていた夢だった。バレーボールを始めるよりも前から、テレビで騒がれる「インターハイ」というものは大掛かりで華やかな舞台であると認識していたのだ。
だからいつかは俺も何かのスポーツでインターハイに出てみたい、と思ったのが小学生の頃。ようやく念願叶って実際に出場出来たのが今年、高校二年の夏である。


「荷物まとめたか?」


荷物置き場では大平さんが部員たちへ声掛けしているのが聞こえた。
まとめて置いていたスポーツバッグをそれぞれ肩から下げて立ち上がり、まだ騒がしい通路をあまり軽いとは言えない足取りで歩く。俺も周りと同じく一歩一歩を踏み出すのは重かった。まだ帰りたくない、と思えてしまったのだ。

せっかく出られたインターハイの本戦は初戦負けはしなかったものの、三回戦で敗れてしまった。その三回戦ともにセッターとして選ばれ出場していたのが、俺。先輩である瀬見さんの出番はほぼほぼ無いに等しかった。


「あの……」


俺よりも少し前を歩くその人に話し掛けると、瀬見さんは肩越しにこちらを見た。何の他意も無く「呼ばれたから振り向いただけ」という彼の目は、敗戦を受けて多少なりとも残念そうではあった。その様子を見ると俺は、何を差し置いてでも謝らなければならないような気がして。


「……すみません」


理由は語るまでもないが、俺は瀬見さんに軽く頭を下げた。というか、どうにか瀬見さんの目を見ないようにした。


「謝んなよなぁ」
「すみません……」


もう一度謝ると今度は困ったような溜息が聞こえてきた。謝る必要が無い事は分かっているけど、謝る以外の選択肢が見つからないのである。


「あのさ。もし俺が出て負けたとして、お前は俺を責めるのか?」


瀬見さんは諭すようにゆっくりと言った。答えが決まり切っている事を。


「責めません」
「だよな。俺もだよ」


だからそんな顔すんなって!と、俺の肩をやや強めに叩いたところでこの話は終わった。
会場となった体育館の外に出て、駐車場に停ったバスに乗り込むべく列に並ぶ。部員が多いからバスは一台では足りていないが、試合に出た者・出なかった者が乗車するのを拍手で見送っている団体が居た。


「バレー部の皆さん、お疲れ様でした!」


彼らは白鳥沢の制服を着ており、盛大な拍手を送ってくれていた。今日までの試合を応援してくれた吹奏楽部だ。バレー部がインターハイに出るからと、何名かの吹奏楽部が応援に駆け付けてくれたのである。そしてその中には、白石さんも居た。


(お つ か れ さ ま)


彼女はバレー部に向けて拍手をしながらも俺と目を合わせて、ゆっくりと口パクをした。
今はそれだけで心が安らぐとまでは行かないけれど、白石さんが観に来てくれた事への嬉しさや感謝はしっかりと感じた。
三回戦で負けたという事実は受け止めなければならないけど、チームの誰かが他の誰かを責める事も無かったし、皆そこまで敗戦を引きずっているわけではなさそうだ。夏の大会は終わってしまったが、あっという間に次の大会の予選が始まるのだから。

とはいえ負けは負けなので学校に戻ってからはすぐに寮で休む暇もなく、試合の総括が行われた。その後はもちろん恒例の百本サーブである。一年生の時に初めて「百本サーブ」の単語を聞いた時には肝が冷えたが、良く考えればこんなに強い白鳥沢が普通の練習をしているわけがない。

というわけでかなりの時間をかけて、途中で水分補給をしながらも百本サーブをやり切った。百本ものサーブを毎度本番どおりの緊張感で続けて打たなければならないのは、体力だけでなく精神的にもくたくただ。だからようやく最後の一本を終えた時は、その場に座り込んでしまった。


「はーっ……」
「終わった?」
「終わった」
「げ。俺あと五本」


太一は額から汗を流しながら言った。体育館の中は蒸し暑くて大変だ。そして、結構な量の水を飲んだのに全く尿意がわかないのが恐ろしい。それだけ汗を流しているって事だ。


「……飲み物買ってくる」


バテバテの太一に声を掛け、一度俺は外に出た。風があるぶん体育館内よりも涼しく感じられるが、夕方になった今でも充分に暑い。何もかものやる気を削がれるようなムワッとした空気に包まれながら、自販機が二つ並んだ所へ到着した。

俺が今欲しいのは冷たい水、または炭酸。カフェインはちょっと違う。しかし自販機のラインナップを見てみると、残念な光景が広がっていた。


「売り切れかよ……」


この気温だから仕方がないと思うが、自販機にあるほとんどの冷たい飲み物が売り切れになっていた。夏休みで生徒数は少ないはずなのに、やはり部活で汗をかく運動部の利用が多いのかもしれない。
諦めて戻ろうか。戻れば体育館にはスポーツドリンクが用意されているはずだ。でも今はしっかり冷えたものが飲みたくて迷っていると、ひとつだけ冷たい飲み物が残っている事に気付いた。


「……」


それはレモン果汁の入った水で、自分ではあまり選ばない味。しかしラベルに見覚えがあるのは何故だろう。と、思い返してみるとすぐに気付いた。白石さんが一度、俺に飲ませてくれた事がある。
その時俺は初めて女の子との関節キスというものを経験した。あの時の飲み物がコレだ。

気付けば俺はそのボタンを押しており、ラベルにレモンのイラストが描かれたペットボトルが落ちてきた。拾い上げて汚れの有無を簡単に確認し、蓋を開けて口へと運ぶ。しっかり冷えているようだ。ごくり、ごくりと何口か口に含んで飲み込むと、あの時の味が蘇ってきた。


「……うま」


俺が白石さんとの関節キスをした時、口の中には確かにレモンの味が広がった。このペットボトル飲料の味だ。
あの事を思い出す度にくすぐったくて、なんだか口元が緩んでしまいそうになるけれど。体育館に戻るまでに、その顔を引き締めるのに苦労した。

戻った頃には太一の百本サーブも終わっていたので俺は続けて休憩をしたが、全員が百本を終える頃は既に日が暮れていた。インターハイ帰りでそのまま百本サーブだから無理もない。さすがに監督もコーチも疲れているだろう。その証拠に、今日はいつもよりも早く終了の号令がかかった。


「じゃあ……解散の前にひとつ周知事項。大会とは関係ないっちゃないんだけど」


いつもより少しだけ覇気に欠けた顧問が言った。俺は出来るだけその話に耳をすませた。正直疲れ切っていたけれど、大事な内容かもしれないから。


「月末、吹奏楽部の地区予選があるらしい」


そして、その予感は当たったかもしれない。顧問の口から吹奏楽部の名前が挙がったのだ。俺は少しだけ姿勢を正した。


「そこで、いつも応援を盛り上げてくれる皆さんにお返しをしたいと思ってる」


だんだんと速くなる鼓動を抑えながら話を聞き続ける。確かに吹奏楽部の人は毎度、白石さんに限らず、試合があれば応援に来てくれていた。チアリーディング部ももちろんだし、その他の生徒の中にも毎回来てくれる人は居るけれども。俺の中で吹奏楽部は特別だ。


「行けるメンバーなるべく集めて、吹奏楽部の演奏を聞きに行こう。特にいつも力を貰っているであろうレギュラー陣」


俺は心が良い意味でざわついて、すぐに返事をする事が出来ず。牛島さんの「はい」という大きな声が聞こえてから、半テンポ遅れて返事をした。
吹奏楽部の演奏とはつまり、コンクールの予選か何かを観に行くという事だろうか。何にしても嬉しい知らせだ。インターハイで敗れた事をほんの一瞬忘れてしまったくらいには。