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乱反射の行き着くところ


何だかんだあったけど、今月は大学の学園祭だ。それぞれのサークルや部活が出し物をしたり、芸人を呼んでのトークショーがあったりと結構盛り上がるイベントになっている。

バレー部としても実はきちんと飲食のテントを用意していたが、ありがたい事に人数が多いので一年・二年が率先して売り子をしてくれている。だから俺は暇と言ったら悪いけど、「回って来ていいですよ」と言われたのでウロウロする事にした。黒尾はいつの間にか別の女子を誘っているし、夜久は地元の友人を案内しているとか言うし。

こんな時に誘える女の子の一人や二人、居ないわけではないけれど。誰を誘う気にもなれない。一緒に歩きたい人物には彼氏が居るし、それ以前に今日は一番忙しい日のはずなのだ。彼女は学園祭の実行委員なのだから。


「……実行委員がそんなカッコしてていいのかよ」


呆れた俺の声に振り向いたのは、奇妙な格好をした白石すみれである。
俺は自然に実行委員会のテントに足を運んでいた。行きたいところが特に無いからだ。と言うか、会いたい人間はひとりしか居なかったので。ただそいつは今日多忙でゆっくりと話す事は出来ないだろうと思っていたが、まさかメイド服を着て全力で楽しんでいるとは予想外。


「似合うでしょ。ただの私服じゃつまんないかと思ってさ」
「それにしてもだな」
「なーに?興奮した?」
「な、」


くるりと一回転しながら言うすみれに言葉を失った。最後に会った時、半ば無理やり行為に及んでしまった俺への態度とは思えない。あの日の事なんて全く気にしていないのだろうか?

いや、そう言えば最初の時からそうだった。旅館でこっそりセックスをした時も、初めて学校内でした時も。その後は何事も無かったかのように接してくるのだ。ただ先日だけは、これまで乗り気だったすみれが俺を受け入れまいとする素振りがあった。

俺は馬鹿だから途中で止められなかったけど、今日もしタイミングがあるなら謝罪するべきかと考えていたのだが。「興奮した?」なんてケロッと言われるなんて思わなくて、動揺を隠せなかった。


「……って、これじゃあ誘ってる事になるよね。ごめん忘れて」


しかしすみれは我に返ったように態度が一変した。これまで機会さえあれば、兆しさえあればもつれ込むように交わっていた俺たちなのに。俺はまた動揺してしまい、テントの奥に引っこもうとするすみれの腕を慌てて掴んだ。


「待てって」
「無理。やる事あるし」
「お前あれだけ俺の事好き勝手しといて……」


すみれをテントの外まで引っ張り出して、実行委員の連中の目の届かないところへ連れ去りながら訴えた。
あの日も、あの時も、戸惑う俺を誘い込んでいたくせに。それに乗った自分も同罪だとは思うけれど。だからっていきなり忘れろなんて都合のいい話があるのか。
ようやく学園祭の喧騒から少し離れた場所に来た時、すみれが静かに言った。


「もうやめよ。セフレみたいなの」


俺の事を諭すみたいな台詞だったけど、全く頭に入って来なかった。そもそも俺はすみれと「セフレ」という関係になった覚えは無く、単に片想いしているつもりだつたのだ。その俺の気持ちをすみれが受け入れるのか、受け入れないのかが微妙だっただけで。


「……俺は……すみれの事……、そういう風に思った事は無いけど」
「セフレじゃん。どう考えても」
「いやいや、」
「やっぱりこういうの良くないって思ったから」


こういうのってどういうの、と聞き返すのはやめにした。また聞きたくない単語が返ってくると思ったからだ。
しかしどうして急にそんな事、と思ったけれど思い返してみれば先日からすみれの様子は違っていた。今までなら合意の上で行われていた行為が、先日は俺の希望と勢いだけで襲いかかってしまったのだ。それが何故だったのかは分からなかった。けど、今なんとなく分かってしまった。


「彼氏のこと、好きだし」


すみれは当たり前の事を当たり前の顔で言ったが、俺にとっては違う次元の言葉のように聞こえた。


「……彼氏に知られた?」
「ううん」
「じゃあなんで」
「何でって? そもそも今までがおかしかったでしょ」
「そうだけど!」


すみれに恋人が居るのは百も承知で、いつかは奪い取ってやりたいと考えていた。だから恋人の存在を知っても気持ちを伝え続けたし、すみれが俺を拒否しようとしないから、ひょっとして間もなく希望が叶うのではと思っていたけれど。
どうやら違う。すみれは恋人と別れて俺を受け入れるのではなく、俺との関係を清算しようと言うのだ。


「光太郎くんが私に本気なら、尚更良くない」
「今さら何?」
「だって私……」


続きを言う前にすみれは言葉に詰まった。一体何を言われるのか、もしかしたら「嫌いになった」「好みじゃない」なんてマイナスな事を言われてしまうのか。いや、いっそそれなら諦めがつく。


「このままじゃ好きになっちゃうから」


だけど、すみれは俺が最も聞きたくなかった事を口にした。


「だから駄目」


何が駄目? すみれを好きでいる事が? 駄目だと言われて止められるならとっくに止めている。
一瞬にして頭に血が昇ってしまい、いや元から昇りかけていたけれど、とにかく頂点に達したような気がして。すみれの腕を掴む手に一層力を込めた。


「ちょ、いた」
「うっせ! 言いたい事があんのはこっちなんだよ」
「そりゃそうだろうけどっ、」


振りほどこうとするすみれの力なんて幼児みたいなものだった。すみれが弱いのか俺が馬鹿力なのか分からないが。


「お前は何? もしかして彼氏と上手く行ってないの? だから俺で憂さ晴らししてたってか?」
「そういうわけじゃ」
「じゃあ何だよ!」


折れそうなほど強く握ってしまい、すみれの表情が大きく歪んだ。
正直そんな顔を見てもチクリとも心が傷む事は無かったが、すみれの指先が白くなり始めたのを見ると少しだけ冷静になる。自分の力がいかに強かったのかが分かり、ようやく俺は指の力を抜いた。そして、それと同時にすみれの身体からも力が抜けていく。


「……ごめん。彼氏とは、全然上手くいってなかった」


木に背中を預けたすみれが言った。声にも表情にも力が入っていない。そのままずりずりと地面に座り込んでしまうのでは、と心配になりそうなくらい。だけど俺も、驚いて力が出なかった。


「っていうか、もう終わりそうだし」


すみれはてっきり恋人と上手くいっていて、それを俺に見せつけて楽しんでいるとすら思っていたが。どうやら全く違うようだった。
生気が抜けたような白い顔、せっかくの仮装も木の汚れが付いてぼろぼろだ。だから余計にすみれの姿が哀れに見えた。つまり、嘘を言っているようには見えない。


「……それ俺に言ってどうするつもり」
「どうするんだろうね」
「慰めるつもりねえぞ」
「慰めなくていいよ」
「……」


俺の中には怒りとか、理不尽さに対するもやもやとか、そういうものが沢山あるはずなのにこれでは爆発しそうもない。どういうわけか、すみれが既に萎んでしまいそうなほど弱々しく見えるのだ。


「私みたいなの幻滅するでしょ」


だけど、こういう物言いには少なからずカチンと来るものがあった。


「しないって言ってもらいたいんだろ?」
「よく分かるね……」
「さすがに今は弱ってるの分かるから」
「分かるくせに結構キツいね」
「そりゃあな」


哀れだなとは思うけど、だからと言って俺がすみれの全てを受け入れて許しているわけじゃない。出来るならそうありたいけれど。だって俺はこいつの事を好きになってしまったんだから。


「光太郎くんが好きって言ってくれるの心地よくて、私たぶん調子乗ってたんだ。もうあの人の気持ちは私に無いから」


いつからそうだったんだろう。いつからすみれの彼氏は、彼女の事を好きではなくなったのだろう。もっと早くに俺たちが出会っていれば何かが違ったのだろうか。……そんなの今となっては分からないか。
でも確実に言えるのは、今、俺はすみれの恋人よりも優っている事がある。俺の方がすみれを好きでいるって事だ。


「……じゃあ俺の事好きになれば?」


この質問に「はい」「いいえ」で答えられるほど単純な心境ではないはずだ。でも俺が出来る最大限の提案はこれだった。


「……決めらんないよ……」
「なればいいだろ」


すみれは驚いて見えたが、俺の言葉を理解している様子ではあった。彼氏に捨てられそうだから俺と、なんて自分でもおかしいとは思うけど、俺ならすみれが他の誰かに目移りする余裕なんか与えない自信があった。根拠は無い。
しばらく目を合わせていたがすみれはゆっくりと俯いて、ごくりと唾を飲むのが聞こえた。


「……そんなに私の事が好きなの?」


それから聞こえてきた質問はハッキリ言うと、ずるい。この小悪魔め、この状況でなんて事言いやがるんだと悪態をつきそうになった。でもすみれの目がまるで俺にすがるような弱々しいものだったから、素直に頷くしかなかったのである。