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美しい約束をひとつ


「本戦のスターティングは白布で行く」


監督から驚きの発表があったのは、終業式後の練習での事であった。
インターハイの本戦を目前に控えたバレー部はいよいよ休む間もなく練習が開始され、練習相手は近くの大学生チーム・時には社会人のチームにまで及んでいた。さすがに相手が大学生となると体格差はもちろんの事、プレーの全てに余裕があるように見え、練習量や経験値の差を思い知らされる。
そんな中でも練習に食らいついて行った結果、喉から手が出るほど欲していた椅子が自分のものになったのだった。


「欲しかったんだろ?」


その発表があってからも明るい表情を見せない俺に、川西太一が話しかけて来た。
俺の気持ちなんてすべてお見通しなのだろうし、俺もこいつの考えている事は手に取るように分かる。だからこんな当たり前の質問をされても俺は、声を荒らげる事はしない。


「ああ……」
「じゃあもっと嬉しそうにしなきゃ」


分かっていた。素直に喜んで、その気持ちを大声で叫んで、周りの理解と協力に感謝し今後の意気込みを語るべきである事は。
だけど俺が選ばれた代わりに選ばれなかった人物がひとり居るのを、誰よりも痛感してしまった。俺がこれまで何度か経験してきた屈辱を、今度はその人が味わう事になるのだ。しかも俺は彼より歳下で、恐らく技術だけで言うならば彼よりも劣っている。そんな人を押しのけて俺が、本当に試合に出ても良いものだろうか。
「レギュラーを奪ってやる」という決意は元々あったし、試合や練習で手を抜くつもりなんて無いけれど、そんな複雑な気持ちは確かに存在した。だから瀬見さんには、目が合っても軽く会釈をする事しか出来なかった。


「あ。白布くん」


練習の合間に風に当たろうと外に出ていた時、白石さんと鉢合わせた。手には財布を持っていて、自販機に飲み物を買いに行く様子である。
今日の吹奏楽部は隣の体育館の舞台を借りて練習しているらしく、演奏の音がバレー部にまで響いているのだった。


「休憩?」
「うん、まあ」
「私も。一緒に行こ」


そう言って、白石さんは真っ直ぐに自販機のほうへと歩き始めた。
俺は財布を持っていないし自販機に用事は無かったのだが、白石さんの誘いを断る理由などどこにも無いのでついて行く。
それに、白石さんには報告しなければならない事が出来たから。いち早く伝えたかったし、 絶好の機会だと思えた。


「……あのさ」


自販機の前に辿り着き足を止めた時、俺は口を開いた。財布から小銭を取り出しながら「ん?」と白石さんが反応する。どうしよう、タイミングが悪いかなと思ったが、もう俺の口は止まらなかった。


「俺、約束、守れた」


案の定、そう言った後に白石さんの動きは止まった。財布の中で小銭がチャリンと鳴り響く。手から小銭が滑り落ちたようだ。


「え……?」
「取ったんだ。レギュラー」


白石さんはゆっくりと顔を上げたが、その表情の変化は一瞬だった。驚いた顔が一気に歓喜の表情へと変わり、開きっぱなしの財布なんて気にしていないのか、ぶんぶんと大きな身振りをしながら言った。


「おめでとう!えっ、凄い!凄いよね!?」
「う、うん」
「うちのバレー部でレギュラーなんて……!」


動く度に財布の中の小銭がチャリチャリ鳴っているが、本人はどうやらお構い無しのようだ。


「やっぱり白布くんは凄い人だよ。やるって言ったらやるんだから」


ようやく落ち着いた白石さんは、財布のファスナーを閉めながら言った。飲み物を買うのを忘れてしまうほど感激してくれたらしい。尊敬するような羨むような、賞賛するような目で見つめられるものだから、俺はわざとらしく視線を泳がせた。


「……そうでもないよ。一人じゃ無理だった」
「そうかな? そりゃあチームの人にも感謝だろうけど……」


そういう意味じゃない。チームの人間にはもちろん感謝しているけれど、「白石さんが居てくれたから」という意味だったのだが伝わっていない。
白石さんは勿論そんな事には気付いていないようだが、両手で財布を弄りながら言った。


「……私もね。ほんと、白布くんみたいな凄いことじゃないんだけど報告があって」
「うん?」


何度か息を吸い、喋ろうとするが口を閉じる。そしてもう一度彼女の唇が動いた時、とても喜ばしい言葉が聞こえた。


「バレー部の全国の応援、選ばれた」


彼女の目は大きく開かれており、照れくさそうな、あるいは誇らしそうな様子で頬を染めている。思わず俺も鏡に映されたように両目を見開いた。


「って事は……」
「行けるの!インターハイの応援」
「や……野球部と間違ってない?」
「ないよ! 失礼な」
「だってこの間……」
「今回は正真正銘だからっ」


俺がなかなか信じないのがもどかしいのか、白石さんはその場でぴょんぴょん飛び跳ねて主張した。ここまで無邪気で嬉しそうな顔は見た事が無いかもしれない。
ようやく俺が「わかったわかった」と宥めると、白石さんはコホンと喉を鳴らした。まだ何か報告があるらしい。


「……あと。吹奏楽のコンクールがあるんだけどさ、そっちのほうも一応」
「コンクール?」
「地区予選のメンバーに選ばれまして」


先程と比べて控えめなその報告は、変な話だけど、俺にとっては一番衝撃だった。応援に来てもらえる喜びは当然大きいけれど吹奏楽部のコンクールのメンバーに選ばれたなんて、もっと大事な話じゃないか。


「そっちを先に言えよ!」
「いっ、いやでもソロじゃないしっ大勢の中の一人だし」
「それでも目標に近づいたって事になるだろ」
「そうだけど」


ずっとの目標だったはずなのに、白石さんは何故かあまり嬉しそうではない。願いが叶いつつあるのに心から喜べない理由なんてあるのかと不思議に思っていると、


「それに、私の代わりに一人外れた人が居て……」


……と、白石さんは申し訳なさそうに言った。
その感覚は俺がついさっき感じたのと同じものであった。言われてみれば俺も監督からスタメン発表を受けた時、単純に喜べるような気持ちでは無かったのだ。


「なんか、俺たちことごとく似てるんだな」
「……何が?」
「俺も先輩が代わりに外されたから」


白石さんは俺が瀬見さんと、と言うか先輩とポジション争いをしている事を知っている。それを思い出したのか、「ああ……」と納得したように頷いていた。


「頑張らなきゃなあ」


それから自分に気合を入れるように一言。ただ、充分な気合が入っているようには見えない。


「頑張るしかないよな」
「頑張れるかな……」
「約束だし、頑張るよ俺は」


インターハイまでにスタメンを取る、というのが約束ではあったけど。その状態で試合に出て勝つところまでが約束だ。


「今度こそ応援待ってる」


全国の大きな体育館で観客席を見上げた時、そこに白石さんが居ればどんなにやる気に満ち溢れるだろうか。それが全てではないけれど、俺のモチベーションを高めるための大切な条件のひとつである。そして、願わくば彼女にとってもそれが努力のモチベーションでありますように。