10
なんちゃって悲劇


県予選決勝の日、疲れが溜まっているはずなのにここ最近で一番寝覚めがいい。もしも今日の試合で俺を使ってもらえれば、ホルンを吹く白石さんからの応援を受ける事が出来る。彼女もそれを望んでいた。
きっと白石さんは白鳥沢を、俺を応援してくれるはず。そう思っていたのだが。


「……居ない」


二階席をどんなに見渡しても、白石さんの姿がそこには無かった。もしかしてトイレに行っているのかも。または、吹奏楽部がいつもと違う並び方をしているだけかも。そう思って何度もその姿を探したけれど、一向に見当たらない。
そのうち試合が始まってしまい、あまり応援席に目を向ける余裕が無くなってしまった。幸い今日の俺は試合に集中できていたのだ。


「賢二郎」


第一セットを終える直前、俺は監督に呼ばれた。白鳥沢は相手の青葉城西に対しセットポイントで、間もなくこのセットは終わるだろう。チームや瀬見さんの調子は決して悪くない。むしろ良いくらいだ。だけど俺は呼ばれた。なんとなく呼ばれた意味は分かった。


「行けるか?」


監督はそばまで近付いた俺に言った。第二セットに出られるか、と問われているのではない。第二セットからお前が出ろと指示を出されているのだ。


「……はい」


良い意味で鳥肌がたつって、こういう感覚なのだろう。
次のセットを取れば白鳥沢はインターハイ出場が決まる。一年生の時のようにコートを一度も踏まないままではなく、はっきりと俺の力が関与した事により勝利を決める事ができる。この瞬間を世界中に配信してやりたいくらいだ。

ホイッスルが鳴りコートチェンジが行われ、第二セットの始まりとともにメンバーチェンジが告げられる。瀬見さんはひとつも悔しそうな顔をしない。むしろ喜んでいるかのようだった。後輩の俺に活躍の場が与えられるのを。


「このまま試合持っていけよ!」
「分かってます」


死ぬまで俺はこの人みたいな広い心を手に入れる事はできないだろうから、せめて勝つ事でそれに応えたい。
今日の俺は万全だ。なんの心の取っ掛かりも無く、体調も良く、身体は軽い。試合に勝つための要素だけを持つ、完璧な状態であった。


『優勝は、白鳥沢学園の皆さんです』


試合の結果は聞いてのとおりで、無事にチームは勝利した。常勝の学校とは言え県予選を制した今、会場の盛り上がりは最高潮だ。もちろん出場していたチームメイトも同じく、試合の緊張がほぐれた様子で笑みがこぼれていた。


「はー……勝った勝った」
「青城ちょっと手強くなってた?」
「だな。及川やっぱヤベーわ」


及川徹がヤバいやつなのは俺だって百も承知である。実際、個人技で彼に勝てるとは一ミリも思えないから。牛島さんをはじめとする先輩たちの力があれば、余裕で上回る事ができるけど。

と、試合を終えた俺は色んな事を考える余裕ができていた。及川徹の事ももちろんだけど、本選の日程はいつだったかなとか、もうすぐ期末テストの勉強も両立だなぁとか、そういえば白石さんはどこに居るんだろう?とか。


「どこ見てんの」
「わ!」


二階席を見上げた俺の目には、会場の風景ではなく川西太一の顔が飛び込んできた。


「っんだよ急に話し掛けんな」
「あの子探してる? 吹奏楽部の」
「な、」


バレている。どうやら知られている。俺が白石さんとちょっぴり仲がいい事を。俺が白石さんに相当心奪われている事も。
そして川西の様子からして、白石さんが今日この場に居ない理由まで知っているようだった。


「……賢二郎、調子崩すかもしんないから黙ってたんだけどさ。今日ってうちのグラウンドで野球部の試合あるんだよ」


川西はあくまで平然と話している。俺に刺激を与えないように配慮しているのだろうか。おかげで俺は、その話を最後まで聞く事ができた。


「吹奏楽の何人か、急にそっちに駆り出される事になったんだって」


だけど冷静にそれを聞き終えたからって、俺がショックを受けないはずはない。いくら探しても白石さんを見つけられなかったのは、彼女がトイレに行っているからでも整列順が変わったからでもない。そもそもこの会場に来ていないのだ。野球部の応援をしているから。



学校に戻るバスの中は、かなりのリラックスムードだった。「優勝」という結果を残したのだから当然だ。その中で俺だけが居てもたってもいられずにそわそわしていた。


「おー……打ってる打ってる」


校門にバスが到着し、降車してから体育館へ行くまでにはグラウンド横を通る事になる。一足先に全国出場を決めた俺たちは、歩きながら野球部の試合を横目に眺めていた。

甲子園の予選にはまだ早い。今日は練習試合だろうか。練習試合なのに決勝戦の俺を差し置いて、白石さんの演奏で応援されるとは何事だ。
無性に腹立たしくなったけど、今日の俺はそこまで取り乱す事はなかった。自分が試合に勝てた事で、心に余裕があるのかもしれない。


「野球部も好調だなー」
「アイツ同じクラスのやつだ!走れー!」
「いや明らかに無理でしょ」
「明らかに無理なんてない……やるか、やらないかだ」
「誰それ」


先輩たちは呑気なもので、野球部を応援しながら雑談している。俺も白石さんの事がなければ素直に応援しているのだろうけど。


「応援も気合い入ってるなあ」


その時、誰かがそう言った。
俺たちの歩くちょうど反対側に応援席があり、そこに並ぶ何人かの生徒が見える。制服を着て、手元には太陽光でキラリと光る楽器を手にしていた。吹奏楽部だ。俺は一気にそこへ焦点を定めた。白石さんが居る!そして、その隣には吹奏楽部ではない別の人間が立っていた。野球部の生徒だ。試合に出ていない大勢の野球部員が、吹奏楽部の真横に立って応援に励んでいた。


「……」


彼らはあそこに立っているのではなく、試合に出たくて仕方が無いのだろうけれど。俺にとってはグラウンドに立つ事より、白石さんの隣に立つほうが羨ましい。白石さんが俺以外の別の男子と隣合っているのはあまり見た事が無くて、俺はそこばかり凝視してしまった。

そしてそこからは、自分の視力の良さを恨む事となる。応援が一段落した吹奏楽部は楽器を置いて水分補給を始めた。炎天下だから当然だ。白石さんは最近気に入っている新作のペットボトルを手にしている。俺に二度、分けてくれたものだ。
あの時の間接キスは今でも心に残っている。思えば初めて間接キスをしたあの日から、俺は白石さんを想ってばかりだ。間接キスとは特別なもの。特別な人としかしないもの。
と、思っていた。白石さんが隣の野球部員に、自身のペットボトルを手渡すのを見るまでは。それをそいつが口にして、再び白石さんに返すのを見るまでは。


「……なんだよ」


俺はぽろりと口にした。だってあんなの見せられたら、なんだよって思うのは普通じゃないか?


「なんだよ……」


白石さんはその日、バレー部の応援には来なかった。それは仕方ない事だと理解出来る。そりゃあショックだったけど納得できる。彼女の意思でどうこうできる事じゃないから。
だけど今この目で見たものは到底受け入れ難い事であった。白石さんが、他の男子生徒と間接キス。俺は思い上がっていたのだろうか、白石さんと一番仲のいい男子は自分だと思い込んでいた。彼女の周りには他にも男子が居て、そいつが白石さんを好きになる可能性はゼロじゃなくて、白石さんがそいつに魅力を感じる可能性もゼロでは無いと、勝手に思い込んでいたのだ。