炎天下での体育は地獄である。だけど唯一嬉しいのは男女ともグラウンドを使用していて、遠くのほうで走っている男子の姿を見られる事だ。
何も男子を盗み見していやらしい事を考えているわけじゃない。集団の中に片想いの相手が居るのだから、目がいってしまうのは自然な事ではないだろうか。


「……かっこいいなあ」


同じクラスの赤葦くんは目立つタイプでは無いが、かんかん照りの空の下でしっかりと目立っていた。派手でも騒がしくもないのに目立つ理由はその身長と、梟谷で大活躍中のバレー部員という事実からである。
私はそんな赤葦くんにあっさりと恋をした。毎日挨拶をしてみるだけで、特別な話なんてした事はないけれど。それでも見ているだけで幸せだった。だから体育の時、私は授業でサッカーのゴールキーパーになっていたのに、ついよそ見をしてしまったのだ。


「イダっ!」
「わっ? 大丈夫?」


ゲームのはじまりの音を聞き逃してしまい案の定、突然飛んできたボールに対応しきれず転んでしまった。咄嗟に両手を出したので顔は防御できたけど、ドシンと着いたお尻が痛い。


「ごめん、ちゃんと見てなくて」
「突き指とかしてない?」


友だちに言われてハッとした。さっき顔を守るために出した両手のうち、左のほうがジリジリ痛む。やってしまったかもしれない。小学校でのドッヂボール以来の突き指を。
体育の先生に許可を得て、私は保健室へ行く事にした。途中で抜けられてラッキー、と思ったのは秘密である。ただ赤葦くんの体育姿を見られなくなるのは残念だけど。と、グラウンドを後にしようとした時だ。


「あれ。怪我?」


校舎との間にある水道のところで、赤葦くんがちょうど手を洗っているではないか。男子は走り幅跳びをしていたので、砂場でついた砂を洗い落としているようだ。


「ちょっと突き指して……」


私はゆっくりと左手を上げた。赤葦くんに怪我を気にしてもらえるなんて、これまたラッキーだ。意図的に負った怪我ではないのでバチは当たらないはず。


「ほんとだ。保健室行かなきゃ」
「うん、今から行くとこ」
「実は俺も捻っちゃって」
「え! 大変」
「そうそう。大変」


全く大変そうな顔ではないけど、赤葦くんも走り幅跳びでどこかを捻ったのだと言う。運動部の彼が捻挫なんて大事だ。
二人とも怪我という不幸に見舞われたものの、私にとっては幸せでしかない。赤葦くんと肩を並べて歩けるなんて、しかも授業を途中で抜けて。今日は珍しくラッキーの続く日だ、怪我をした赤葦くんには悪いけど。
しかし歩きながら話す事と言えば限られている。共通の話題は特に無い。なので、彼の指先に巻かれた白いテープについて話してみる事にした。


「……赤葦くんも突き指? それ」
「これ? あー、うん。突き指だったり予防だったり」
「バレー部だもんね」
「まあね」


そんな事を話しながら、ようやく保健室のある後者に到着した。痛めたのが脚じゃなくて良かったと思う。そういえば赤葦くんはどこを捻ったのだろう? 歩く速度は普通に見えたけど。
とはいえ今は自分の指が痛くて、赤葦くんの怪我の事までは気が回らなかった。


「……あれ、先生いない」
「テーピングとか借りよう」
「え。いいの勝手に」
「俺たちいつも貰いに来てるから」


保健室には先生も生徒も誰も居なかった。赤葦くんは慣れた様子で備品の棚を漁っている。どこに何があるのか把握しているようなので、本当にいつも救急道具等を貰いに来ているのだろう。


「手、貸して」


するとテーピングを手に取った赤葦くんが片手を差し出しながら言った。私の左手を、自分の手に乗せろという仕草。「手、貸して」の意味が分からずぽかんとしてしまったが、理解した時には大声が出た。


「……え!?」
「え? じゃなくて、早くしなきゃ」
「いや、え、赤葦くんがしてくれるの?」
「自分でできるの?」
「無理ですけど……」
「じゃあ早く」


赤葦くんは半ば強引に私の手を取ると、驚くほどスムーズにテーピングを始めた。突き指した私の指に極力触れないよう丁寧に、だけどスピーディに。好きな人の手が触れているって事も相まって、私は何も言えずにそれを見ているだけだった。


「……女の子ってさ。指、細いね」
「えっ」
「すぐ折れそう」
「お、折らないでよ」
「どうかな」


などというブラックジョークをまじえながら、赤葦くんは私の指に綺麗にテーピングを施した。お医者さんが手当してくれたみたい。
「ありがとう」とお礼を言って今度は赤葦くんの手当をしなければ。と、私は手を引っ込めようとした。しかしそれは適わなかった。赤葦くんが、突き指した箇所以外にしっかりと指を巻き付けて、私の左手をぎゅうぎゅうに掴んでいるのだ。


「……赤葦くん? もう終わっ、た?」
「うん」
「じゃあ……赤葦くんの、捻ったところ……湿布かなにか貼らないと、」


全くおかしな光景であった。私は左手を引こうとするが、何故か赤葦くんが私の手首を鷲掴みにしている。まるで私の掌にある宝石か何かを、奪い取ろうとしているような。だけどそんな悠長な事は言っていられない、赤葦くんだって怪我してるんだから。


「俺、どこも怪我してない」


元々静かだった保健室が、一段とシンと静まり返った。


「……は」
「捻ったりとかしてない」
「ど、どういう」
「ついて来たかっただけだから」


赤葦くんはようやく私の手を離した。掴まれていたところが少し赤くなっていて、どれだけ強く触られていたのだろうと想像してドキドキする。だけど怪我してないのにただ保健室に来たかっただけって、この人何を考えてるんだろう。「捻った」なんて嘘までついて。


「……ごめん。突き指してるの見て、ラッキーって思った」


でも赤葦くんのこの言葉で、全てが繋がってしまった。私もさっき、数々の不幸について「ラッキー」と思ってしまったからだ。


「……私も。赤葦くんも怪我で保健室なんて、ラッキーって思った」


他人の怪我をこんな風に思うなんて罰当たりにも程があるけど、互いに同じ事を感じていたんだからイーブンだと思いたい。「俺の怪我は嘘だけどね」と笑う赤葦くんのほうが、ちょっぴり悪質ではあるけれど。

甘やかにフェイク