春高の県予選決勝戦。
正直うちの学校が負けるなんて思ってなかったし、家に着いたいまだに夢を見ているのかなと感じる。
その証拠に私は負けた瞬間も、学校に戻るバスの中でも戻ってからの体育館でも、涙を一滴も流していない。出てこないのだ。
本当に終わったのかなあ。
◇
決勝戦の翌日も、バレー部はいつもと同じ時間に朝練が開始された。
チームを分けて試合形式の練習をするため、ビブスを渡そうと体育館内をうろうろしていると。
「…どこ見てんだよ」
賢二郎が眉をしかめて立っていた。
そして、片手を私に差し出している。
「ビブス貸して」という意味だ。
「うん、あとで…」
「後?」
「3年が先」
「……3年生は昨日で引退したけど」
そこで、はっと我に返った。
私はまだ夢を見ていたのか。
白鳥沢は負けて3年生は引退して、今日から2年生と1年生しか居ないんだ。
賢二郎は最初、いぶかしげに私の様子を見ていた。
けれど今の私の感情に身に覚えがあるのか、他の人には聞こえないように言った。
「1年の前では駄目。」
彼はどうしてこんなに強くいられるんだろう。賢二郎もまた私と同じように夢を見ているような感覚なんだろうか?
あんな事、到底信じられるものでは無いのに。
「ごめん…」
「ちょっと外出て」
「え」
「そんな顔で居られるのは困る」
「………」
「嫌味で言ってんじゃ無いからな」
「………うん。」
賢二郎は私の手からビブスの束をそっと取り上げると、体育館の出口を顎で指した。
白鳥沢が負けるところを見た事が無いわけではない。去年だって全国制覇は成し得ていない。
けれどこんなにも早く、県予選で敗れるなんて誰が予想できただろうか?
当然勝ち進んで今も体育館には全員揃っているものと思っていた。
監督の怒号を聞きながら天童さんの苦笑いや、牛島さんの無表情、大平さんの呆れ顔、瀬見さんが後輩の世話を焼く姿などが今も続いているものだと。
「………泣きそ」
ああついに泣いちゃう、と危機感を覚えて私は体育館から少し離れた場所に移動した。
部室棟の手前にある水道に向かい、その横に腰を下ろす事にした。すぐに泣き顔を水で流せるように。
でもそこにたどり着く前に、私の目からは大量の涙が流れてしまった。悔しいのは、実際に試合をしていた本人たちのほうなのに。
「そんな事だろうと思った」
突然、頭の上から賢二郎の声がした。
私は座り込んで顔を膝に埋めていたので、しかも泣いていたので、静かに近づいてきた彼に気づかなかった。
「…うわ」
「うわって何だよ」
「戻りなよ…ていうか戻ってください」
「いま俺、する事ないから」
すると賢二郎は問答無用で私の横に座り、自分の首にかけたタオルを押し付けてきた。
「…なんか…湿ってる」
「俺の汗。」
「ええ…」
「それで拭くかブサイクな顔見られるかどっちか選べよ」
そう言われれば大人しく涙を拭くしかない。
賢二郎に限らず部員の汗がついたタオルやユニフォームを触るなんて今や慣れっこだし、顔を思い切り拭いてやった。
「拭きました…」
「拭いたら拭いたでブサイクだな」
「はあ!?ひどくないそれ」
「ブースブスブス」
「嫌いもう賢二郎嫌い馬鹿嫌い嫌い」
幼稚園児のような言い合いに終止符を打ったのは賢二郎のほうで、私が「賢二郎嫌いコール」をしている最中に頭をぐしゃりと掴んできた。
「嘘だよ。下らないこと考えてないで元気出せって意味だよ分かれよブス」
「最後に何か聞こえたんだけど」
「聞け」
賢二郎は頭を掴んだ手をそのまま顔に持ってきて、結構な強さで両手で頬を挟まれた。
さっきより確実にブサイクになっていると思うんだけど彼の顔が思いのほか真剣で、されるがままに話を聞く。
「自分より俺や太一のほうが悔しいんだからみんなの前で泣いちゃ駄目だーとか思ってたんだろ」
「…多少……」
「くだらね」
「くッ!?」
「陰で泣かれる方がよっぽど嫌だよ」
「…けんじろ」
「ブス。」
「なっ」
抗議しようと口を開く前に、賢二郎が私の頬をばしん!と叩いた。両手で、つまり両頬を。
彼が気合いを入れるときに行う、あれを。
「………いッたい!」
「あ、わり。クセで」
「さっきからブスとかブスとか殴るとかひどくない?」
「可愛いと思ってんの?」
「ぬぅ…」
「分かったらさっさと体育館。」
「ちょっと!」
悪びれもせず立ち上がり体育館へと戻る賢二郎を慌てて追いかける。乙女の顔を両ビンタした罪は重いはずなのに、こいつは無罪を主張するらしい。
やっと横まで追いついて文句を言おうとすると、賢二郎が私の顔をちらりと見た。
「さっよりマシだな」
「……はい?」
「…暗い顔は似合わねえって言ってんだよ言わせんなクソ鈍感ブス」
「!?」
もう、どこから突っ込めばいいのか分からないけど賢二郎は彼なりに私を励まそうとしているらしかった。
そこに気付くにはかなりの時間を要したし、必要以上に罵られた感が否めない。が、それは賢二郎が私の肩をぽんと叩いた事で吹き飛んだ。
「みんな前向いてる。置いてかれるぞ」
「………」
その言葉を、まるで自分自身にも言い聞かせているような顔。
3年生が抜けた大きな穴を埋めるには、まだまだ1・2年だけでは心もとない。
でもコートに立つ自分がそれを気にしてチームが乱れてはいけない。
そういうものを背負ってなお、私がそこから引き離されないように気を配っている…の、かな?
「もしかして元気付けてくれたの」
「うるせーブス」
「ぐう……」
まだ私はバレー部ナンバーワンの天邪鬼である賢二郎の気持ちを汲み取ることは難しいが、ひとまずブスブス言われている時は励まされている時だと思っておく事とした。
口の悪さと比例するものが何かなんて分からないけれど、彼に罵られるのはそんなに気分の悪いことでは無い。