07
調子っぱずれのマエストロ


白鳥沢に入る前はいつも頭に浮かべていた。自分が牛島さんと同じコートに入りプレーしている場面を。
しかし入学後には全くそれが見えなくなった。自分より上手い人が多すぎる。むしろ全員が自分より上手く見える。スポーツ推薦で入ったメンバーよりも遅れて部活に合流したし、そこには見えない溝が確かにあった。幸い推薦組は俺が一般入試だなんて関係なく接してくれたけど。
俺にはそれが、まるで俺のことなんて眼中に無いかのように思えてしまったものだ。

そんな壁を乗り越えて今日、俺は白鳥沢のユニフォームを着てここに居る。
インターハイ予選、シードから参戦している白鳥沢の一戦目が行われるのだ。ようやく俺は番号の付いたユニフォームを着用し、シューズを履いて体育館の床を鳴らすことが許された。ベンチメンバーに選ばれることが出来たのである。


「瀬見、トス頼む」
「はいよ」


しかし試合前、俺を練習相手に選ぶ選手は未だ居ない。正セッターの座には先輩の瀬見さんが君臨しているのだった。
当然先輩たちは瀬見さんに声をかける。きっと俺だって同じ立場なら、俺ではなく瀬見さんを選ぶだろう。それがまた悔しくて、堂々とユニフォームを着ている自分が馬鹿馬鹿しくて、一度外の空気を吸おうと会場の体育館を出た。


「あっ!白布くんだ」


と、そこへ吹奏楽部の面々が現れた。その中にはもちろん白石さんの姿が。
俺が控えのセッターのままで居たくない理由のひとつが彼女であった。せっかく応援に来てくれたと言うのに俺は、スターティングメンバーでは無いのだ。


「白石さん…もう来てたんだ」
「来るよ、そりゃあ!調子はどう?」
「悪くはないよ」


もしかしたら今日は一度もコートに入る機会が無いかもしれない。そう思うと白石さんと顔を合わせるのは気乗りしなかった。そんな俺とは対照的に生き生きとしているので、余計に心が痛くなる。


「緊張すると思うけど、頑張って」


ホルンのケースを担いだ白石さんは、片手でガッツポーズを作ってみせた。そんな仕草にも心から感謝できないのが申し訳ない。あれから練習に練習を重ねてようやく勝ち取った座だというのに、試合に出られる確証が無いのだから。


「…俺は今日は、出ないと思うから…」


だからそんなに期待しないほうがいいし、俺にばかり応援を送る必要も無い。という意味で伝えると、白石さんは予想どおりに眉を吊り上げた。何故彼女の表情がこうなるのを予測出来ていながらネガティブな発言をしてしまうのか。俺は筋金入りの捻くれ者らしい。


「後ろ向きダメ!せっかくレギュラーになったんだから胸張っていこっ」
「…うん」
「応援するからね。上から見てるから」


そのように言うと白石さんは吹奏楽部の団体に続き、二階席へ登る階段を進んで行った。
今日は白石さんがホルンを吹いて応援してくれる。それをどんなに待ち侘びて楽しみにしていたか分からないのに、自分が試合に出ないのでは興ざめだ。どうしても出してもらいたい。だけどそれを自らアピール出来るほど、俺の実力は高くない。もやもやしたまま仲間の元へ戻り、なるべく吹奏楽部の席を見ないようにして試合に臨むしか無かった。



試合は驚くほどあっという間に終わった。言わずもがな白鳥沢のストレート勝ち。誰もが分かっていた展開であった。
これだけ気持ちよく勝っていれば、応援に来ている人は清々しいだろう。白石さんはどうだか分からないけれど。
何故なら今日の試合、俺の出番はほんの少ししか無かった。こんなことなら一切試合に出ないほうがマシだった。瀬見さんの代わりに最後の最後、少しだけ出場して終わりだなんて。家族を呼ばなくて心底良かったと思う。無理言って白鳥沢を受けた挙句に寮生活をしているので、来たがっていたけれども。


「ありがとうございました!」
「お疲れ様でしたー」


荷物を撤収して外に出ると、今日応援に来ていた学校関係者がバスの近くで待ち構えていた。「待ち構えていた」と言うと聞こえが悪いけど、俺にとっては居て欲しくない人達であった。大々的に拍手をされたり見送りされても、それは俺に向けてのものじゃない。俺はお世辞にも「活躍した」とは言えないのだから。

そんな中、どうしても俺にひと声掛けたいと思ってくれている人が居る。喜ぶべきか悲しむべきか。白石さんが吹奏楽部の中で唯一俺に手を振って、名指しをしてきたのだ。


「白布くんっ!お疲れ様!ちゃんと出られたじゃん試合っ」


まるで俺のおかげでチームが勝利したと言わんばかりの笑顔である。そんなに褒められたことじゃないし、この程度のことでそこまで言われるのは悪い意味で恥ずかしい。だから俺の返事は自然に小さくなっていた。


「……うん。ありがと…」
「白布くんが出てきた時、興奮して演奏忘れちゃうところだったよ」


そんな大袈裟なことがあるもんか、と言ってしまうのは我慢した。白石さんなら有り得ると思ってしまったから。だけど、やっぱりそれを他の生徒に聞かれるのは嫌だ。特に俺の前後を歩くバレー部のメンバーには。時すでに遅し、だが。

「次も頑張ってね!」と笑う白石さんに俺も大きく手を振れれば良かったけれど、それは出来なかった。白鳥沢バレー部としての俺のデビュー戦は、入学前に思い描いたものとは全く異なる内容だった。今日の勝利に俺は貢献していない。俺が居なくても難なく勝てた試合であった。