06
愚かなほどの恋だよ


いよいよ来週にはインターハイ予選のメンバーが選ばれる。監督やコーチ、先輩に向けてアピール出来る時間はもう限られている。白石さんに励ましてもらってからの俺はいつになくやる気に溢れてしまい、それは初めて牛島さんの試合を見た時に匹敵するほど。
白石さんに俺を「励まそう」という気持ちや目的があったのかは分からないが、結果的に俺は励まされたのだった。練習中も集中できて心に余裕が生まれた。瀬見さんに「いいじゃん白布、その調子」と声を掛けられても、平常心で居られるくらいには。


「いよいよじゃない?」


朝練後にそう言ったのは川西太一だ。無駄な言葉を使わずして的確な台詞を吐く男。この時の俺にも川西が何を思っているのかはよく分かった。


「…まだ分からないだろ」
「でも、俺はいい感じだと思うよ」
「やめろって。気が抜ける」
「ある程度気を抜くほうがリラックスできるんだって」


川西は無責任なことを言って、「お先に」と部室を出て行った。
彼の言うとおり「もしかして」という気持ちはある。もしかして今度こそ自分はユニフォームを与えられるのでは?そのくらい白石さんに話をしてからの俺は成果を上げていた。監督からの怒声が飛んでくることも減ったし(残念ながらゼロでは無い)、河川敷で白石さんに会えることは無くてもランニングは続けている。徐々に距離を伸ばしたり、ペースを早くしてみたり、負荷をかけてみたりして。そのおかげか、最後まで練習に参加しても以前より苦しくなくなった。
それが自分ひとりの力ではなく、女の子からの助けがあったなんて誰にも言いたくはないけれど。


「白布くん白布くん!おはよう」


その日、教室に入ると心地よい声で名前を呼ばれた。クラス中に聞こえるほどの声量で。ちょっぴり恥ずかしかったけど、「どうだ、俺と彼女は親密なんだぞ」という自慢げな気持ちには勝てなかった。


「おはよう、白石さん」
「聞いて聞いてっ、さっき発表あったことなんだけどさ!げほっ」
「だ、大丈夫?」


白石さんはどうしても俺に何かを伝えたいらしいが、気持ちが先走っているのか呼吸が追いついてない。深呼吸するように促すと大袈裟に息を吸い、さらに大袈裟に吐いた。他の人間が同じ動作をすれば鬱陶しいだけなのだろうが、俺はそれをずっと眺めていた。


「あのね。うちの部、今度バレー部の応援に行くことになってるんだって!」


息を整えた白石さんは一気に言った。それもすごく目を輝かせて、まるで抽選で一等賞が当たったかのようだ。


「…本当に?」
「本当!もうすぐ大会始まるんだよね?」
「うん」
「いつも応援には行ってるんだけどさ…ふふ…ねえちょっと聞いてくれる?」
「ど…どうしたの」


まだまだ白石さんからの報告は続くらしい。むしろ彼女のもったいぶる様子からして、今から喋る内容のほうが重要かもしれない。


「私もそこでホルン吹きます!」


白石さんはホルンを演奏するポーズを取りながら言った。満面の笑みである。


「…そうなんだ」
「あれ。反応薄い」
「いや、そういうのじゃなくて…」


嬉しい。白石さんが来てくれるのは。同じ会場の中でバレー部の勝利を願い演奏してくれるのは。だけど、心から喜べない理由はいくつかある。


「嬉しいよ。嬉しいけど俺は、試合に出られるかどうかは分かんないから」


白石さんがいくら必死になって演奏し、例えば俺個人に向けての曲を吹いてくれたとしても、俺がコートに居なければ意味が無い。さっきは川西に「いよいよじゃない?」なんて言われたけれど、まだ絶対に選ばれるとは限らないのだ。
もしかしたら今日の午後からまたスランプみたいなのに陥るかも。または怪我を負ってしまったら?つまらないミスをして監督の目に留まってしまったら。たった一度のミスだって内容によっては致命的だ。
そんなことを悶々と考えていると、気付けば白石さんはむくれっ面で立っていた。


「…白布くん!」
「え。はい」
「何でそんなに控えめなの?」


その顔は怒っているように見えたし、声は悲しんでいるようにも聞こえた。
俺は生まれた時からこうである。自分の事を百パーセント信じ切れない。勉強ならばやればやるほど身に付いて、テストを受ければ点数が付いて、結果が出ているのが目に見えて分かるけど。バレーにおいてはそうじゃない。練習しているのは俺だけじゃないし、点数は付かない。仮に俺が百点を与えられたとしても二百点、三百点の人間がわんさか居る。
だから面白いんだけど、だからこそ苦悩する。百点の俺では二百点の選手に勝てないからだ。しかし白石さんは、その考えに納得いかないらしい。


「意地でも出てやるぞって思わなきゃ。私に見られてるんだから」


白石さんは言葉のとおり両眼とも俺に向け、逃がさないとでも言うように睨んでいた。


「……え…うん、え」
「白布くんのこと最初に探すからね私」
「え?」
「だから白布くんも見せつけてくれなきゃ困るよ、活躍するところ」


分かりやすいエールである。そして、簡単に俺をその気にさせるエールであった。
産まれてこのかた、ここまで容易く他人の言葉に乗せられたことは無い。だけど不思議と悔しくはない。白石さんの思い通りに前向きになった俺は、早く授業が終わって練習が始まらないかとうずうずした。
練習して練習して上手くなって、試合に出なくては。白石さんが俺を見ているというのだから。