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万有運命あるいは引力


『初詣いかね?』


バレー部三年のグループメッセージにこんな書き込みがあったのは、大みそかの事。
初詣に誘うのはいいが、いくらなんでも突然すぎやしないだろうか。メッセージを送った本人である隼人くんは学園祭で捕まえた彼女が居るくせに、なにが楽しくて男を誘ってくるのだろう?…と思ったが、彼女は地元の友人と一緒に初詣に行ってしまうようだ。ざまあみろである。『代わりにクリスマスを一緒に過ごした』なんてのは既読スルーをしておいた。

何度かグループにメッセージを送り合いはしたものの、結局初詣に行くのはほんの数名になったらしい。大みそかに突然誘われたって、元日が暇な人間はあまり居ないだろうし。
ちなみに俺は明日、一月一日は実家で過ごす予定だが何の予定も入っていない。だけど初詣の誘いは断った。一瞬だけ行こうかなとも思ったけれど、他の場所に行きたくて。白鳥沢学園からほど近い、大きな鳥居が特徴的な神社である。

年が明けた直後には布団に入り、朝は早めに目が覚めて(勝手に目覚めてしまうのだ)、毎年恒例の正月特番なんかをぼんやりと眺める。親戚がくれたとかいうみかんをコタツで食べながら。スマートフォンには新年のお祝いメッセージが何通が届いていたが、目を通すだけに留めた。

やがて時計の針が正午を指すと知り合いからのメッセージは落ち着いてきて、テレビ番組にも飽きはじめ、本当にやる事がなくなった。部活に明け暮れていた時には喉から手が出るほど欲しかったこんな時間も、あっという間に飽き飽きしてしまうのだから不思議である。暇なら勉強しろよ受験生、って思われるかもしれないけど。正月なんだから見逃してほしい。一応、志望校は合格圏内なんだし。それに、そろそろ行きたい場所がある。


「あれ。覚、どこいくの」


いそいそと出かける準備を始めた俺に、母親が言った。今日は何の予定も無いよと伝えていたので、ひとりで外出しようとする俺が気になったようだ。


「初詣いってくる」
「そうなの?友だちと?」
「うん」


友人と初詣に行く予定なんか無いけれど、面倒なのでそういう事にしておいた。俺には予定なんか無い。しかし午後一時にどうしても、鳥居の前に居なければならない理由があるのだった。


「さむ…」


外に出ると家の周りには誰も居ない。皆親戚の家や初詣に行ったり、せっかくの正月だからと家の中に篭っているのだろうか。誰も居ない静かな道を歩くのは久しぶりで新鮮な気分だった。

駅前まで来ればさすがにちらほら人が居て、電車に乗るとそれなりに乗客が居たので少し安心した。世の中に俺一人だけが取り残されて、残りは全員パラレルワールドに飛ばされたのかなぁと思い始めていたから。
やがて白鳥沢学園の最寄り駅に着くと、近くに神社があるおかげで沢山の人が歩いていた。今日は俺も学校ではなく神社へ向かう。バレー部の皆は別の神社に初詣に行くと言っていたので、会う心配は無さそうだ。
だって会ってしまったら、見られてしまったら何と説明すればいいか分からない。誰とも待ち合わせをしていない俺が神社に居て、その大きな鳥居の下で突っ立って、一時ちょうどにその場所に現れた女性に声を掛けている姿なんて。


「来てくれると思った」


俺がそう言った時、白石先生は手袋へ息を吹きかけていた。その仕草の示すとおり今日はとても寒いのだ。今日が一月一日でなければ絶対に家からは出なかっただろう。先生は俺の鼻のあたりに目をやると(寒さで赤くなっていたのかも)、今度は目を合わせて言った。


「来なかったらどうするつもりだったの」
「来るよ。先生は真面目な人だから」


白石先生とは最後に顔を合わせた日、つまりクリスマス以降会っていない。プレゼントも直接は渡す事ができなかった。しかし俺は先生の靴箱の中に、それを入れて帰ったのだ。そしてその袋には手書きでメッセージを追記していた。一月一日の午後一時、この神社の鳥居の下で待っているつもりであると。


「まさかきっちり時間通りに現れてくれるとは思わなかったけど」


来てくれるかどうかは正直、半信半疑であった。だけど恐らく白石先生は現れるだろうとも思っていた。その目的は俺を殴り飛ばすためかも知れないし、怒鳴り散らすためかも知れないけれども、とにかくこういう機会であれば俺の前に出て来てくれると何の根拠もなく予想していたのだ。


「天童くん」
「何?」


人が行き交う鳥居の下で先生が言った。先生の声で「天童くん」と呼ばれたのは久しぶりの事である。


「このあいだ、叩いてごめんなさい」


先生は俺の事を怒るだろうかと思ったが、静かに謝った。びっくりして動きが止まっていると、さらに一言。


「天童くんの事、ちゃんと受け止めなくてごめんなさい」


頭を下げる事はせず、先生は真っ直ぐに俺を見上げていた。
謝られるなんて思ってもみなかった。そんな事を言われてしまっては、俺のほうが言うべき事は沢山ある。気持ちを押し付けてごめんなさい、身体に触れてごめんなさい、無理やりキスしてごめんなさい。


「謝んの、俺のほうじゃない?」
「天童くんはもう謝ってくれたでしょう」
「そうだけど…」


謝っても謝りきれないほどの事を俺はした。許されるわけもないと思っている。けど、どうしてもちゃんと話を聞いてもらいたくて今日呼び出したのだが。


「私、なかなか信じられなくて。天童くんの気持ち」


先生のほうからこんなにも自然に話してくれるとは思わなかった。俺が伝えた本音について話してくれるとは。ずっと拒否されていた、と言うよりは聞かないふりをされていたけれど、やっとそれが嘘ではない事を分かってくれたようだ。もう一生無理かもしれないと思っていた。だから今日は俺が言葉を失うばっかりで、白石先生が話を続けた。


「天童くんて本当に不思議な人だよね」
「…よく言われる」
「だってさ、よく考えてみてよ」


そこで先生の声は大きく、明るくなった。


「今でさえこんなに色気がないんだよ私。百年も経っちゃったら、きっとしわくちゃで全然魅力ないよ」


白石先生は笑っていた。少し困ったように、だけどどこか楽しそうに。俺がこの間言った言葉を覚えていたようだ。百年経っても五歳上の白石先生を好きで居ると。
しかしこれが何年先だろうとどうでもよくて、関係の無い話であった。


「いいよ。どうせ百年後の俺だって同じくらいしわくちゃなんだから」


それだけ生きていられるのかは置いといて、白石先生が二十三歳の女性だから好きなわけじゃない。もし先生が俺と同い年だったとしても好きになっただろうし、三十歳でも惹かれたと思う。四十はちょっと分かんない。でもそれほど年齢なんて関係ないのだ。


「それに俺は、先生の見た目を好きになったんじゃないから」


俺みたいなコドモに言われたって嬉しくはないだろうか? 高校生の男に褒められたって何の自慢にもならないだろう。でも、白石先生はちょっぴり嬉しそうであった。


「…ありがとう」


久しく聞いていなかった先生の柔らかい声と心地よい話し方、新年の始まりにぴったりだ。だけど俺は「どういたしまして」と言った。いざ白石先生がこんなに普通に接してくれると、なんだか緊張してしまうのだ。だって俺は先生の事を好きなんだから。


「ねえ。もうお参りした?」


先生は黙っている俺に話し掛けた。お参りはまだしていない。白石先生に会うためだけにここに来たのだ。もう目的は終えている。


「合格祈願しよっか」


俺が首を縦にも横にも降る前に、先生が提案をした。受験生である俺に合格祈願。それはとても有難くて嬉しい。だけど気になる事がひとつある。


「いいの?俺だけにそんな事して」


白石先生は白鳥沢学園の教師である。担任でもなんでもない俺と一緒に初詣に行き合格祈願をするなんて、おかしい話ではないか。前の白石先生なら俺が頼んだとしても断られていただろう。それなのに今日は先生のほうから提案をしてきた。あれほど俺との接触を嫌がっていたのに。
素直に誘いに乗っていいものか分からなくて、俺は返事をできずに居たけれど。


「今日はね、先生の仕事はお休みなの」
「…うん?」
「だから今の私は先生じゃないの」


俺が聞いてもめちゃくちゃな理論であった。だけど先生もこれ以外にどう言えばいいのか分からなかったのだろうと思う。突っ立っている俺の上着をちょんちょんと掴んで、人が流れていく方向を指さした。


「行こう」


その日は寒かったけど、一年の始まりに相応しく晴れていた。
白石先生と俺はちょっぴり変な距離を空けてはいたが一緒に歩いて、ともに並んで合格祈願をした。先生が何を考えて今日来てくれたのか、俺に謝る以外の目的とか考えがあったのかはまだ分からない。俺の事をどう思っているのかも、今のところ不明だ。だけど、少なくとも「好き」って気持ちは信じて受け入れてもらえたらしい。今日はそれだけ分かればあとはどうでも良くなって、引いたおみくじが微妙な小吉だった事もすぐに忘れる事ができた。