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恋とは呼べない傷跡も


白石先生と親しい中になれたら、クリスマスは何をして過ごそうか。誘ったら応じてくれるかな、それとも笑って流されるか真面目に断られるか。

そんな夢を持って過ごしていた日々は遠い昔のようである。気付けば世の中はクリスマスの飾りで溢れかえり、飽き飽きするような曲ばかりが流れていた。十二月中旬、終業式を終えて恋人たちのシーズンがやって来たのである。
本当は家族で祝うためのイベントなのに日本人と来たら、なんでもかんでも男女のイベントに置き換えたがるのだからどうしようもない種族だ。かくいう俺も白石先生との関係さえ良好なら、それに乗じていたのだろうけど。いまでは舌打ちしたくなるほどどうでもいい。クリスマスなんか、恋愛なんか、白石先生なんか。
…と思ってみてもそれらは完全な強がりであった。

二学期の期末テスト、つまり高校生活で最後の定期テストは白石先生の助けを借りずに勉強したが、ひとまず平均点は越えている。今更いい点を取ったって大学入試が優位になることは無いのだが。
本当は白石先生とまた椅子を並べ、肩を並べてひとつの資料集を覗き込んだりしたかった。クリスマスに呼び出したり呼び出されたりして「天童くん、学校にそんなもの持ってきちゃ駄目」なんて真面目くさった注意を受けたかったな。


「天童、どこ行くの?」


十二月二十五日の午後。バレー部の練習に顔を出し終えてから寮に戻り、再び外出しようとすると英太くんに見つかった。
今夜は寮でクリスマス会があり引退後の俺たちも参加予定なので、出席しないつもりなのかと思ったらしい。そりゃあ後輩たちと過ごす残り少ないイベントだから出席しますとも。だけど少しだけ行きたいところがある。


「校舎」
「え。何しに」
「お世話になった人へのお礼」


俺が見せたのは一応、本当に一応用意した白石先生へのクリスマスプレゼントだ。
クリスマスに誰かへのプレゼントを準備する日が来るなんて思わなかった。更に言うなら、渡したい相手とここまで険悪なムードにも関わらずプレゼントを渡そうとするほど、自分の面の皮が厚いとは思わなかった。受け取ってくれるかどうかは別だけど。

冬休みに入っても、先生たちは夏休みのように同じように学校には来ている。授業が休みでも仕事が休みになるわけじゃないのだと、白石先生が言っていたっけ。今は何をしているんだろう。先生は来年も白鳥沢で教師を続けるだろうか。俺みたいなやつと出会ったばっかりに、教師の道を挫折しなきゃいいけど。なんて、本当は少しでも俺の事を意識していて欲しいくせに偽善ぶった考えが頭を過った。

白石先生はもしかしたら職員室に居るかもしれないが、資料室に居る可能性のほうが高い。これまではそうだった。でも一人で資料室にいた場合、会いたくない奴からの突撃を受けてしまう事を先生は知っているはず。
ひとまず資料室をこっそり覗いてみると、やっぱり白石先生は居なかった。代わりに他の生徒が一人で勉強している。珍しいなと思ったけど、なにもこの教室は白石先生と俺の専用じゃないのだから当たり前だ。しかし資料室の机であのような事をしたのは俺たちが初めてだろうと思う。過去にも同じく情熱的な恋に落ちた生徒が居たのなら話は別かな。あの長い机は勉強以外の事にも役立つのだと知っているのはどれくらいの人数だろう。


「…あーあ」


白石先生が資料室に居なかったという事は職員室に居るに違いない。他の先生が居る中で堂々とプレゼントを渡すのはまっぴら御免だが、渡せないまま帰るのも情けない。俺は学校内の寮にいて、同じ敷地内で過ごしているのに、プレゼントひとつ渡せないなんて。

だから俺の足は自然と職員室に向かって行った。もしかしたらばったり出くわして、二人になれるかもしれない。その時にどうしても言いたい「あの時はごめんなさい」と。そしてにっこり笑って答えて欲しい、「そんな事よりそれは何?」それから渡したい。けど。白石先生は俺を恨んでいるだろうな、顔を合わせたところで無視されたらどうしようもない。他人の目がある場所なら無視されないか?だとすればいっその事、職員室の中で渡すのが得策なのだろうか。もう、何を優先すればいいのやら。


「あっ、白石先生」


まもなく職員室の扉が見える、その位置まできた時に誰かの声が白石先生を呼んだ。ほっと胸を撫で下ろしたのはそれが女子生徒の声だったから。俺は相手から姿が見えないように、曲がり角に隠れるようにして立ってみた。


「田中さん、こんにちはー。部活?」
「そうなんですよー、寒くて寒くて」
「風、冷たそうだもんね」


どうやら授業を受け持っているクラス、あるいは副担任をしているクラスの生徒に声を掛けられたらしい。その女子生徒はクリスマスだと言うのに部活で登校している。感心だ。


「先生、これプレゼントあげる!」


更に白石先生に、俺と同じくプレゼントを渡そうとしているのだ。ますます感心だけれども、俺が渡す前に他の生徒からの贈り物を受け取られるのは、例え相手が女子だとしても癪である。あんなに白石先生に酷い事をしたのに何という勝手な考えだろうか。自分で自分に落胆した。


「…え。クリスマスプレゼント?」
「そうだよー。いっぱい作ってきたの」
「ありがとう…ホントは駄目なんだよ、こんなの学校に持って来ちゃ」
「もう!先生マジメだなあ」


会話だけ聞いていると、女子生徒が渡したのは手作りのお菓子かなにか。バレンタインにも大量に作って配るタイプの女子だろう。お返しをすべきかどうか悩まなければならないやつ。男子としては複雑だ。そして今の俺が最も複雑なのは、白石先生が予想通りに「学校には持って来ちゃ駄目」と言った事だ。その指摘も俺が受けたかったものなのに。女子に持っていかれた。


「でも、貰っていくね。ありがとう」
「うん!あ、職員室の中って杉本先生いる?」
「いらっしゃるよー」
「杉っちょにも渡してこよ!じゃあ白石先生、メリクリー」


その「杉っちょ」というのが担任だと思われる。白石先生は「杉っちょじゃなくて杉本先生でしょ」と注意していたが、その声は楽しそうであった。
女子生徒は職員室の中に入り、そして白石先生はどこかに歩く足音が聞こえる。どこに向かっているんだろう、と思った時には先生が目の前に居た。


「……天っ…」
「あ」


ばっちり間近で目が合って、ふたりとも反射的に口が開く。しかし白石先生のほうはすぐに口を閉じて咳払いをした。俺との変な光景を他の先生や生徒に見られてはいけないからだ。俺だってそんなのは望んでいないけど。しかし何故ここに居るのかと言う目で俺を見るので、俺は真っ赤な嘘をついた。


「…待ち伏せじゃないから。たまたま通っただけだから」
「そ…そう」
「うん」
「じゃあ」

嘘が嫌いな白石先生に俺はまた嘘をついてしまった。そして先生はそれを単に聞き流し、さっさとこの場を離れようとする。
ちょっと待って欲しい。今日が何の日だか先生は知っているはずだ。俺が白石先生を好きでいる事も。という事はわざわざ今日を狙って職員室の付近に俺が居る理由くらい察知して欲しい。もしかしたら、分かった上で分からないふりをしているのか。


「先生、今日ってクリスマスだよ知ってた?」


白石先生の小さな背中に向けて言うと、先生は簡単に足を止めた。


「それは学校には関係ない話だから」


だけど返ってきた言葉は冷たくて、さっきの女子生徒に向けて言ったのとは全く違う声色であった。分かっていたけどショックだ。だけど俺がショックを受けている暇は無い。ショックを受ける権利も無い。


「俺、このあいだ…」


資料室での出来事を謝ろう。そう思って口を開くと、白石先生の瞳は一気に鋭くなった。


「何?」


初めてこの人に対して「怖い」と感じた。先に怖がらせたのは俺なのに。無理やりキスして無理やり迫る犯罪行為。俺がまだ親からも警察からも校長室からも呼び出しを受けていないのは、白石先生がアレを誰にも洩らしていないからだ。


「…ゴメンなさい」


本当ならあの場ですぐに言わなければならなかった一言を今、やっと伝えた。白石先生の表情は変わらず怖くて、暗い。


「俺、ホントに悪かったって思ってる。悪いと思ってる」
「何が?」
「全部だよ」
「嘘ついた事?」


先生は別人のような鋭い口調で言った。
白石先生の言う「嘘」が何の事なのか明確には分からない。資料室に呼び出した理由は確かに嘘だった。俺が今日ここに来た理由も嘘だ。偶然なんかじゃない。さっきの生徒との会話も盗み聞きしてた。けど、ひとつだけ嘘ではない本当の事がある。


「あれは嘘じゃない」


アレ、の二文字で白石先生には伝わっただろうか。先生に対する俺の気持ちは嘘じゃない。それを疑われるのだけは耐えられない。ちゃんと応えて欲しい。と、ちゃんと伝えなかった俺が言うのは傲慢なのだけど。


「……私、もう行かなきゃだから」


先生は、それだけ言って歩き去ってしまった。
追い掛ければ良かったのだが、運悪く職員室からさっきの女子生徒が出て来て、続けて他の先生も数名現れたので目立つ行動が出来ない。あんな会話を誰かに聞かれたら白石先生に迷惑がかかる。俺はそこから先を諦めて寮に戻る事にした。しかし俺のポケットには、先生に渡すはずだった小さなプレゼントが。


「……ハァ」


どうしよう、これ。持ち帰ったって部屋のゴミ箱に放り投げてしまうだろう。俺の手で捨てるよりも先生に捨てられるほうがいい。
そう考えた俺は職員の玄関にこっそり入り、白石先生の靴箱にプレゼントを入れた。話す機会が無いのだからどうか許して欲しい。明日から年明けまで俺は、実家に帰らなきゃいけないんだし。