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予定にないプリズム


夏休み、受験生の私たちは何かと忙しい。オープンキャンパスに行ったり夏期講習に行ったり、それに私は喫茶店のアルバイトも継続していた。志望校は県内であまり難関ではないし、アルバイトは一日に四時間か五時間程度だから。
とは言え油断していると受験に失敗してはいけないので、一応勉強も頑張っている。ただ、それ以外の予定は特にない。友だちと一回だけカラオケに行ったきりだ。


「あーっ!氷が無い」


その日、おばさんの声が店内に響いた。今日はとても暑くて、道行く人が休憩のためにお店に立ち寄ってくれ、アイスコーヒーやお冷やを出す機会が多かった。そのおかげで製氷機が間に合わず底をついてしまったらしい。


「すみれちゃんごめんね、そこのコンビニで買って来てくれる?」
「はーい」


コンビニは前の横断歩道を渡ってすぐのところにある。私は千円札だけを持ってお店を出て、横断歩道で信号待ちをした。休日だからいつもより車の通りがちょっぴり多い、なんて事を考えながら。

するとその時、誰かが私の隣に並んだ。
信号を待っているのかと思ったけれどどうも違うようで、ちらちらと私を気にしている様子。知り合いかな?と思ってそちらを向くと、その人は「あ」と口を開いた。立っていたのは花巻くんだったのである。


「花巻くん、どうしたの」
「いや、えっと…たまたま近くに来たから」


そう言いながらキョロキョロしている花巻くんは、本当に偶然近くに来たのかどうか少し怪しい。だけどわざわざ私に会いに来る用も無いだろうし、何かの用事があったのかと思えた。
そしてその用事はもう終えているのか、花巻くんはどこに行くでもなく私の隣で信号を待っていた。


「どっか行くの?」
「うん。氷が切れちゃって、あそこのコンビニに買いに行くとこ」
「やばいなそれ」
「だよねえ」
「俺も行こうかな」
「えっ?」


驚いて花巻くんのほうを見ると、彼はにんまりと笑って歩き始めた。青信号に変わったのだ。花巻くんを追いかけるように私も歩道を渡り、先にコンビニの自動ドアを通る花巻くんに続いた。


「な、なんで?」
「どうせ暇だし。氷って重いじゃん?」
「えっ」


という事は、氷を運ぶのを手伝ってくれるつもりなのだろうか。
会えたのはとても嬉しいけど、あまりにも申し訳ない。だけど花巻くんはさっさと買い物かごを持ち、アイスクリームや氷のコーナーに進んで行った。それからはもう、氷をかごに入れるのもレジに出すのも全て花巻くんが行ってくれたのだ。


「領収書ください」
「かしこまりましたー」


会計はさすがに私の役割なので千円札を出し、お釣りと領収書を受け取った。それからレジ袋に入れられた氷を持ち上げようと手を伸ばしたけど、予想どおりと言うかなんと言うか。花巻くんが既に二つの袋を持ち上げていた。


「白石さん、これ持つね」
「え!?わ、悪いよ」
「だいじょぶだいじょぶ。一緒に来た意味ないじゃん」


この感覚、とても久しぶり。花巻くんの発する一言一句が私の心に響いて、思わず顔がほころんでしまうのは。
初めから手伝ってくれるつもりで「俺も行く」と言ってくれたんだ。当たり前のように氷を持つ花巻くんに、どきどきと胸が高鳴った。


「ありがとう…」
「んーん」


花巻くんは至って普通の反応で、もし男友達が相手だったとしても同じように手伝ったのだろうと思う。
でも私は違う。花巻くんを特別視している。それに、好きだって事を本人に知られている。その上「好きになってもらえるように頑張る」と、花巻くんに伝えている。あの自分の言葉を思い出すと恥ずかしくて恥ずかしくて、うまく話せないままお店に戻ってきた。


「ただいまー」
「おかえりー…あら」


扉を開けるとおばさんが出てきて、私の隣にいる花巻くんを見て目を丸くした。続いておばさんの目はゆっくりと三日月みたいに細くなる。やばい、やばい顔だ。面白がっている顔!花巻くんはそれには気付かず、ぺこりと頭を下げた。


「こんにちは」
「あららら?」
「た…たまたまそこで会ったの!氷運んでくれただけだからっ」
「あらぁ」
「早くっ花巻くんに何か出して」


氷をおばさんに押し付けて、私は花巻くんを店内に案内した。買い出し前に居たお客さんが二組ほど居なくなっており、今は少し余裕がありそうだ。


「なんかゴメンね…」
「いや、俺が勝手についてっただけだから…」


花巻くんも気まずそうに苦笑いしている。どうしてくれるんだ、まったくもう。


「…えっと。ここ座っといて」
「あー…いいよ俺、そんなおもてなしとか」
「え、でも」
「はい、お水どうぞー」


そこへ早速おばさんがお水を持ってきてくれた。しかも私のぶんまで。外は暑かったからありがたい。


「すみませんっす」
「大丈夫大丈夫。あ、今日たぶんもう暇だから。すみれちゃん上がったら?」
「…っえ」


お水をゴクリと飲み込んだところだったので、蛙みたいな声が出た。暇な時には途中で上がらせてもらう事があるけれど、今日は暑くてまだ混むかも知れないのに。


「でも、まだあと三十分くらい…」
「四時までで付けといてあげるからさ!上がって上がって」
「え」
「ハナマキくんだっけ、ちょっとだけそこで待っててあげてね」
「あ、はい」
「えっ!?」


おばさんは勝手に話を進めてしまった。それだけでなく花巻くんに、私の帰り支度が終わるまで待つようサラッと命じているではないか。ぎょっとした私はお店の奥に引っ込んで、おばさんに小声で抗議した。


「…どどどどういうつもりっ?」
「お姉ちゃんには内緒にしとくからさあ、ね」
「な、な」
「はーやーくっ」


おばさんの言う「お姉ちゃん」とは私のお母さん。私が早くに上がって花巻くんとともに退店する事を、内緒にしてくれるのは有難いけれども。本当に、本当にどうしてくれるんだ。外で会えた事だけで充分びっくりだったのに、一緒に帰るための準備なんて全然できてない!