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オーダーメイドサマー


こんなに肩の荷が降りた状態で学校に来るのは、いつぶりだろうか。
黒田さんはあの後、もう一度謝ろうとする私を「しつこい!」と言って、先に教室に戻ってしまった。それ以降黒田さんとは会話をしていない。クラスも違うし、黒田さんが私たちの教室に来る事もなくなったし。


「…じゃあホームルーム終わり。夏休みだからって受験生だって事を忘れないように」
「はーい」


教室は一気にがやがやし始めた。色々な事があったけど一学期も終わり、明日から夏休みが始まるのだ。
しかし先生の言った通り私たちは高校三年生で、夏休みの過ごし方で進路が左右される生徒も少なくはない。あまり羽目を外さないようにしなくては。まあ私には、一緒に羽目を外せるような人は居ないんだけど。友だちは塾があるし、私も夏期講習に出たりアルバイトがあったりするから。


「海いこ、海!」
「えー予備校あるからなあ」
「親がうるさくて」


既にクラスメートたちは、夏休みの予定をたてているようだった。
海かあ、久しく行ってないな。行っても水着なんか着れる身体じゃないけどな。なんて考えながら、私は机の中に置きっぱなしの資料集などを鞄の中に詰めていた。


「……」


無言で作業をしていると頭の中には色んなことが浮かんでくる。夏休みに彼氏とデートとかしてみたかったな。内緒で外泊して怒られたりするのも憧れた。そんな機会は無かったし、私の恋は目下のところ進展していないけれど。黒田さんと花巻くんが別れたからといって、私と付き合ってくれるわけでもないし。むしろそんな事されたら困る。我儘だなあ、私は。


「白石さん、夏休みもアルバイトするの?」


しかし、そこでピタリと私の思考も手も止まる。花巻くんの声が頭の上から降ってきたからだ。最近は教室の中でも前のように話しかけてくれるようになったけど、まだ慣れない。


「…うん。週三くらいで」
「へえ!受験生なのに」
「志望校、あんまり難関じゃないから…」


そうなんだ、と言いながら花巻くんが隣の椅子を引いた。もしかして私たち、今からしばらく会話が続くのだろうか。どんどん脈が上がっていくのを悟られないよう、私は再び机の中を片付け始めた。


「すみれちゃーん、帰るけどどうする?」
「えっ」


また私の手は止まった。友だちが既に帰る準備を終えて立っていたのだ。
彼女とはお弁当も一緒に食べるし、週に何度か一緒に帰る仲で、夏休みも会おうねという約束をしている。けど、今は、どうしよう。花巻くんが隣に座ってくれたから、まだ帰りたくない。


「…えと、ごめん!先帰っといて」
「そう?またメールするね」
「うん。私も」


言えた。よかった。
バイバイと手を振りあって、友だちは機嫌良さそうに帰って行った。彼女は従姉妹と海に行くと行っていたから、それを楽しみにしているのかも。
花巻くんは誘いを断った私をジッと見ていたけれど、友だちの姿が見えなくなってから言った。


「帰らなくてよかったの」
「…うん。花巻くんこそ練習いかなくていいの?」
「いいの。昼飯食ってからだから」


練習はどうやら午後かららしい。じゃあ早くご飯を食べなきゃいけないのでは?それをせずに私の隣にいる理由とは。


「…あれから何も言われてない?奈々に」


近くから生徒が居なくなった時、花巻くんが小さな声で言った。
そうか、これを聞きたかったのか。でもそんな心配は無用であった。


「言われてないよ」
「そっか。安心した」
「黒田さん、そういう事言う子じゃないよ」
「うん。俺もそう思う」


そのように言う花巻くんがとても素敵で、同時にちくりと胸が痛くなる。隣で他の女の子を褒められるなんて、あまりいい気分じゃないな。私でさえこんな気持ちになるのだから、花巻くんが私との「友だち」関係について責めた時、黒田さんはどれほどショックだったろうか。
やはりまだ私は黒田さんと花巻くんへの償いをするべきなのでは。そう思うと彼の隣を陣取っているのがおこがましく感じた。


「…じゃあ…私、帰るね」
「待って」


ところが、席を立つのを花巻くんに止められた。慌てて動きを止めたので、心臓だけが口から放り出てしまうかと思った。


「なに…」
「答え出さなきゃって思って」
「え、」
「告白の」


ゴクリと喉が鳴り、ドキンと鼓動が波打つ。私が好きだと言ったこと、考えてくれていたんだ。


「…あ、あれは…勢いで言ってしまっただけなので…返事なんかくれなくても」
「それは駄目だよ。俺がそういうの無理」


ドキドキと心臓が鳴るたびに体温が高まっていくのを感じる。こういうところがまさに花巻くんで、私は彼のそういうところを好きなのだ。だから深呼吸をして「うん」と頷いてみせると、花巻くんは話を続けた。


「あれからちゃんと、彼女と別れて…で、色々考えたんだけど」


彼は椅子に横向きに座り、私の方を真っ直ぐに見ている。股の間で手を組んで、その組んでいる指にぎゅっと力を込めながら花巻くんが言った。


「白石さんの事は、まだ普通のクラスメートだなって思ってる」


そして聞こえてきた言葉は夢みたいなものでも何でもなくて、当たり前の普通の事実であった。それなのに、それが当然だって分かっているのに、なぜか私は頭をガツンと殴られたような気分になって。


「………うん」
「ごめん」
「…ううん、」


分かっていた。花巻くんがいきなり私を好きになって付き合う事ができるなんて無理に決まっていると。だけど愚かな私は心のどこかで、いつか自分の番が来るのでは思っていたのだ。私はこんなにも都合のいい事ばかり考える女だと言うのに、花巻くんは一生懸命に話してくれた。


「だから…その、好きで居てくれてるの知っててこんな事言うの、サイテーだと思うけど。友だちで居て欲しい」


だめかな、と恐る恐る私の様子を伺う花巻くんは、普段より少し小さく見えたけど。花巻くんがたくさん頭を悩ませて考えてくれた事を、受け入れないという選択肢は無い。


「…なに言ってるの」
「うん、ひでぇなって自分でも思うんだけど、でも」
「私たち、一年の時から友だちでしょ」


前に花巻くんが言ってくれた言葉を使って返すと、花巻くんは顔を上げた。とても目を丸くして。


「…いいの?」
「うん」


花巻くんと友だちで居られるなんて、素晴らしく幸せな事だ。
だけど問題はある。なんたって花巻くんが教室に入って来ると、ぱあっとクラスが明るくなる。花巻くんが近くを通ると、ふわっといい香りが辺りに広がる。花巻くんと目が合うと、どきっと私の心臓が波打つ。これほど魅力のある人が同じ空間に居て心を奪われない方がおかしい。
だから、その気持ちを簡単には捨てる事は出来ない。


「でも、花巻くんのこと諦めるのはたぶん無理だから」


そう言いながら顔を上げると、花巻くんと目が合った。


「いつか好きになってもらえるように、頑張らせてほしい」


ゴクリと花巻くんの喉仏が揺れるのが見えた。もしかして迷惑だったかな、こんな事を言われるのは。私はわざとらしく声を上ずらせた。


「って、重いかな?」
「いや…」
「ごめん、気にしないでいいから」


そう言ったものの、花巻くんは「ううん」と首を横に振った。私としっかり目を合わせたまま。迷惑だって言ってくれていいのに、そんな事は思ってもいないんだろうな。

そこへ花巻くんのスマートフォンに着信があり、ようやく花巻くんが席を立った。私にたったこれだけの事を伝えるために残ってくれたんだと思うと、申し訳なく思わなければならないのに嬉しさが勝ってしまう。私が伝えた気持ちに答えるために、しっかり考えてくれたのだと思うと。


「じゃあ夏休み、楽しんで」
「白石さんもね」


そうして私たちは手を振り合い、一学期最後の会話を終えたのだった。
清々しい気持ちで夏休みを迎えられる事に感謝しなくてはならない。だけど遊んでばかりはいられない、勉強だってアルバイトだってしなきゃならないしオープンキャンパスにも行かなくてはならない。それに、堂々と花巻くんに好きになってもらうための努力を始めなくては。