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気づいて気づいて傷ついて


学園際とかいう浮かれたイベントも無事に終わり、その後にやってくるのは二学期の期末テスト。「テストなんて」と言っていた高校三年生にとってはこれが最後の定期テストとなる。嬉しいんだか寂しいんだか。
しかしテスト前となれば勉強をしなきゃいけなくて、俺はもう部活に行かなくても良いので、放課後をまるごと勉強に費やす事が出来る。毎日でも白石先生のもとへ押しかける事が出来るというわけだ。先生がいくら俺を避けようとしても、例え嫌われているとしても。


「白石先生、勉強教えて」


俺と交わした最後の会話がアレだったのに、何食わぬ顔して訪ねて来られるとは思っていなかったのだろう。白石先生はお化けでも見るような目で俺を見上げていたけど、お化けよりも嫌な存在であるのが分かると目を伏せた。


「…他の先生をあたってくれないかな」
「先生じゃなきゃやだよ」
「私はまだ日本史は教えられない」
「教えてくんなきゃ次のテストで名前書かずに0点取るから」


とても職員室の中で発する言葉では思えない。が、俺の声は白石先生にしか届いておらず、咎める人は居なかった。さすがにこの発言にはびっくりしたようで、しかも俺が本当に実行する恐れがあると思ったのだろう、先生は大きな溜息をついた。


「…放課後ならいいよ」
「わかった。放課後」


約束を取りつけた俺はさっさと職員室を出た。このまま話を続けた場合、俺か先生のどちらかが感情的になるかもしれないからだ。
俺は今、これっぽっちも勉強したいだなんて思っていない。無理やり白石先生と話す時間を作ろうとしているだけなのだから。



放課後かになると白石先生は、相変わらず真面目と言うかなんというか。俺との約束なんて無視する事だって出来るのに、きちんと資料室までやって来た。来なかったら迎えに行こうと思っていたけど。


「じゃあ始めよう」


そして挨拶もせず、早速勉強を始めようとするではないか。俺はこの手に勉強道具をひとつも持っていないのに。今日の目的は勉強なんかじゃない。


「先生、このあいだはごめんね」


謝りたかったのだ。というのは半分本音で、どんな結果になってもいいから話をしたくて呼び出した。俺の気持ちを知ってからの先生の態度は俺を悲しませたり苦しませたり悩ませたり、なんとも複雑な気分にさせていたし。言わなきゃよかったんだろうけど、好きな人に好きって言えないなんておかしいじゃんか?
俺が手ぶらである事を初めて確認したらしい先生は、目線だけを上に向けた。


「……勉強しないの?」
「するわけないじゃん。呼び出す口実だよ」


先生の額に筋が一本、または二本くらい増えたような。わざと怒らせる言い方をする俺も俺だが。


「…じゃあ…私の事、騙したのね」
「よく言うよ、こうでもしなきゃ俺とは目も合わせてくれないくせに」
「なんで天童くんまで私を騙そうとするの」
「は?」


そっちの方向に行くのは予想外だった。確かに俺は今日先生を「騙した」事になるけれども、俺よりも前に誰かが白石先生を騙したって事になる。それはもしかして、夏休み後に振られた彼氏の事だろうか。


「…このあいだの人に言ったよ。電話したの。浮気してたのかって」


また「は?」と言いそうになった。まだ連絡先を残していたのかという事もだし、わざわざ今になって浮気を問い詰めようとした事も。


「そしたら…私と会う約束してた日まで…別の人と会ってたって言うじゃない、笑っちゃうよね、なんで連絡取れないんだろって心配してた日だよ」
「せ…先生?」
「大学の時だってそうだったよ!付き合ってた男の子、陰では他の子と浮気して私の事ブスだなんだって笑ってた!私の方が浮気相手だったの!大人になったらそういうの無いって思ってたのにっ」


先生は持っていた教科書やらを机に叩きつけた。
つまり白石先生は誰かに遊ばれて振られる経験が初めてではなかったのだ。大学の時に彼氏が居た、というのをいつか聞いた事があるけれどそんなの彼氏でもなんでもないじゃん。まともな男と付き合った事なんか無いんじゃないか。白石先生はこんなに素直で素朴で明るくて俺とは正反対の可愛らしい人なのに。


「…そうやって簡単に嘘つかれたり、好きって言われたり、もう信じられない」


だけど、いくらそんな可哀想な人から出た言葉でもこれは頂けない。嘘をついたのは謝ろう。でも、他は全部納得いかない。


「先生は、俺が簡単に告白したと思ってんの」


ずっとずっと言うのを我慢していたのに、先生に彼氏ができた時も。そいつの動向が怪しい事を知ってからも言わずにおいたのに。本当ならあの時、その彼氏とやらを殴り飛ばしてやりたかったのに。


「俺が言った事ぜんぶ嘘だと思ってんの?」
「少なくとも嘘だったでしょう、今日私を呼び出した理由は」
「で、俺の気持ちも嘘だと思ってるんだ」
「からかって遊んでるんだよね、私がもし本気にしたらどうせ後から笑うんじゃないの!?」


白石先生のこれまでの経験とか悲しみとか絶望が本物で、それはそれは酷かったのだろうというのは理解できる。でも俺が伝えた「好き」をそのように受け取られるとは心外だ。俺が先生の事をからかって告白したなんて、そんな面白くもない冗談。


「……」


俺はしばらく声も出なくて立ち尽くしていたけど、自然と一歩ずつ進んでいた。先生のほうに。それが無言だったから白石先生は恐怖を感じたのだろう、先程までの勢いが少し収まった。


「…天童くん?」


そして一歩ずつ下がりながら言った。前にもこんな事があったような。俺が先生を隅っこに追いやる事が。でもあの時はどうだったとか思い出す暇も余裕もない。


「俺、今すっげえ頭にきてるんですけど」


俺は先生のほうに手を伸ばした。それには機敏に反応した先生も手を出して、俺の手を振り払おうとする。全然そんなのじゃ効かないんだけど、って笑う事も出来なかった。


「え…、ちょ、っと…こっち来ないで」
「無理」
「来ないで!」


先生としては俺を押し返すために出した腕だったのだろうが、俺にとっては先生を拘束するのに丁度いい。初めて掴んだ白石先生の腕は思ったとおり細くて弱くて、簡単に机に押し倒すことが出来た。資料室の長ーい机に感謝しなきゃいけないな。白石先生は反対にそんな机や俺を疎ましく思うかのように、または恐ろしく感じているかのように、固まったまま動かなかった。