20
初期化できない僕たちは


部活を引退してからも早寝早起きは変わらない。寮に住んでいるのだから仕方がない。
それに、部活以外に特に打ち込む趣味もない俺は皆と一緒に練習に参加する日々が続いていた。ただもう自分はレギュラーとかなんとか関係無く、大勢いるОBのうちの一人になり下がったんだけど。「なり下がった」なんて言ったら怒られちゃうけど、ついつい卑屈な考えになってしまうのだった。最近全くなんにも楽しいと思えないからだ。


「売り歩くの当番制にしようと思うけど、どう思う?」


だから、こんなふうに学園祭の出し物についての話し合いがあったとしても、楽しくもなんともない。
部活ごとの出し物は必須ではないけれどバレー部は人数が多いし、毎年恒例で焼きそばパンを作って販売している。「焼きそばパンは男子バレー部」という暗黙のルールが出来ているので、他のクラスや部活は焼きそばパンを決して売らないのだった。
ちなみに今は、その焼きそばパンを誰がいつ敷地内を売って回るかについての話し合い中。獅音くんが出した当番制という案には誰にも反対しなかった。もちろん俺も。だって他にいい案なんか無いし、今は何も考えられないし。


「…うん。いいんじゃない、それで」
「俺も本番終わったらたぶん大丈夫」
「さすが主役様は忙しいなあ」
「うるせーっつの」


隼人くんのクラスは美女と野獣の劇をするらしく、なぜか隼人くんは主役を任されているので当日は大変そうだ。俺は絶対そういうの無理。


「天童さん、一年二組の出し物行きます?」


そんな話し合いの終わりがけに、こっそりと声をかけてきたのは川西太一だった。俺が白石先生と険悪なムード、というか俺が告白しちゃったのを知らないはずなのにどうしてこんな事を聞いてくるかね。盗聴器でも仕掛けられてんのかな。


「…行かないよ。意地悪だね」


俺がそのように返すと、川西は「親切のつもりだったんですけど…」と苦笑いした。
後輩の好意をヤな感じで返してしまったようだ。でも今は、白石先生の事になるととても心を広く持てそうにない。

とはいえ当然俺のクラスにも出し物があって、それを台無しにするつもりもなく、ある程度参加はしておいた。大まかな事は女子が決めていたので、俺は指示された事をやるだけだったけど。例えばそう、荷物運びとかゴミ捨てとか?


「白石先生、手伝いましょうか」


準備段階にも関わらず大量のゴミが出るのは地球環境に優しくないな。なんて考えながらゴミ捨て場まで歩いていると、誰かが白石先生を呼ぶ声がした。女の子の声だ。

その後すぐに校舎の中から白石先生と、何名かの女子生徒が出てくるのが見えた。先生は両手に巨大なゴミ袋を持っており、それを生徒が代わりに持とうとしているらしい。


「あっ、ありがとう」
「そういうの男子にやらせましょーよ。ちょっとー!男子ー!」


ありきたりな台詞で男子生徒を呼ぶとすぐ、男子が教室から飛んできた。ずいぶんとはきはきした女子だなぁ。そして、白石先生はずいぶんと慕われているようだ。俺だってこんな状況でなければ率先して手伝いに行ったんだけど。


「!」


と、足を止めて先生のほうを見ていたら、当たり前だけど気づかれて目が合った。
俺は特に逸らさなかったが、白石先生は一瞬の硬直ののち、すぐに顔を下げた。それはそれは不自然な動きである。隣に何も知らない女子生徒が居るのを忘れているのだろうか。


「…先生?」
「あ、うん。ごめんコレやってほしいな」


なんて言いながら先生はゴミを生徒に預け、教室の中に引っ込んでしまった。
俺、勢いに任せたとはいえ、あれでも結構ちゃんと告白したつもりなんだけど。こんなにあからさまに避けられるなんて思わなかったなあ、さすがに辛いんですけど。あの日は俺が言い逃げしちゃったんだけどさ、だってまだ元彼がどうこう言うもんだから。



そんな状態で迎えた学園祭の当日。なーんにもやる気は起きなかったけど、それなりに楽しめたらいいなとは思っていた。周りのみんなは楽しんでるし、その気分を下げようとは思ってない。
だけどいくら意識したって、ふと白石先生の事が頭を過ぎるともう頭がぼんやりしてくるのだ。そんな俺に朝から与えられた指令は、早速焼きそばパンを売り歩けという内容である。


「じゃあ最初は天童と瀬見な」
「若利くんが居るほうが売れると思うけどなあ」
「仕方ないだろ、若利は劇なんだから」
「台詞いっこだけじゃん」


若利くんと隼人くんは劇の準備や最後の練習やらで忙しいらしい。劇なんか真面目に取り組むなんて思わなかった。ちゃんと見に行くけど。
しかし美女と野獣などという壮大なラブストーリーを俺たちのような高校生が演じられるのか。俺なんか現実世界での恋で手一倍だと言うのに。


「どうしたお前、最近えらいボーッとしてんな」


廊下を練り歩きながら英太くんが言った。ボーッとしている事は否めないが今の精神状態は良くないので、ちょっぴり放っておいて欲しい。


「…俺って繊細なんだよね。どっかの誰かと違ってさ」
「いっそ俺って言えよ」
「とにかく悩みがあるのでーす。んな事より早く売っちゃお、重い」


大量に詰まれた焼きそばパンは結構重くて、ひ弱な俺には大仕事だ。しかし気合を入れて廊下で声を上げても、あまり食い付いてくれる生徒は居ない。そりゃそうだ。朝一番に焼きそばパンなんて買う人はなかなか少ない。俺だったら買わないし。
英太くんもどうすれば売れ行きが良くなるかを考えているらしかったが、やがてぽんと手を叩いた。

「あ。一年のクラスなら売れるんじゃね?」
「え」
「バレー部多いだろ、一年」
「えっ、ちょっと」


一年の教室なんて行ったら白石先生が居るかもしれないじゃん、なんて言えず。さすがにどの面下げて焼きそばパンを売りに行けばいいのか分からない。俺は何も悪い事はしてないから堂々としてればいいんだろうけど、目の前で明らかに避けられるのをもう見たくないと言うか。

だけど英太くんはずんずん進んでいくので、仕方なく俺もついて行った。確かにバレー部の後輩が居るクラスなら、後輩がクラスメートに声をかけて買ってくれるかもしれないからだ。


「焼きそばパンいかがですかー」


英太くんはとてもよく通る声で言いながら、一年生の廊下を歩いていた。どのクラスも賑わっていて正直楽しそうだ。と、その時一年四組の前に差し掛かり、ちょうど教室の入口にいた五色がいち早く気付いて挨拶をした。


「あっ!お疲れ様です」
「おーつとむ、焼きそばパン買ってくれ」
「それ俺も一緒に作ったやつですよね…ていうか二時から俺が売る当番ですし」
「あ、そうか。誰か居ねえかな」
「うーん」


五色がきょろきょろとあたりを見渡してクラスメートに声をかけ、ようやく二つのパンが売れた。重さはあんまり変わらずまだずっしり重い。他に買ってくれそうな、例えば野球部とか相撲部とかは居ないだろうか。


「あ。白石先生なら買ってくれるかもですよ!あそこ」


その時、五色がある方向を指さした。俺と英太くんは同時に振り向き、一年二組あたりの廊下に注目する。紛れもなくそこに白石先生が立っており、俺は複雑な心境に駆られた。今、あんまり顔を合わせたくないなあ。


「あの人…あれ。誰だっけ」
「世界史の先生ですよ」
「へえー。俺知らないわ」
「天童さんが知ってるんですよ、ね」


それなのにこの二人は余計な事をべらべらと話し続けて、もう逃げられない雰囲気だ。俺が白石先生のことを知っているなんて普通おかしいじゃん。あの人は三年の授業を見てないのに。


「そうなの?なんで?」


案の定、英太くんは首を傾げていた。なんでこういう余計な事には敏感なのか。


「…うーん。まあ、色々」
「あ?」
「五色くん!手伝ってー」
「あっ!すみませんじゃあ俺はこれで…また後でっ」
「うっす」


五色はタイミング良く(と言えるのかは分からないが)クラスの女子に呼ばれて、教室の中に引っ込んで行った。よかった。もうこのあたりからは退散して、他の校舎に移動しよう。


「あっち行こ」
「え、白石先生のとこは?」
「行かない」
「はあ?なんでだよ。行こうぜ」
「え、うわっちょっと」


しかし、なんという事か、英太くんがその気になって白石先生のところに焼きそばパンを売り付けに行こうとするではないか?ブレーキを踏もうとする俺の背中を押しながら。


「すいませーん、二組のみなさーん焼きそばパンいかがですかー」


そしていよいよ白石先生の居るクラスに到着し、そこではメイド喫茶ならぬ執事喫茶なるものが繰り広げられていた。男子も女子も執事っぽい服装、という。白石先生も白シャツに黒いベストと蝶ネクタイをしていて、英太くんの声に反応してこちらを向いた。


「わー!おいしそ、…う」


先生は焼きそばパンたちに目を奪われて感激した声をあげたが、すぐにそれは尻すぼみになった。理由は俺だけが知っている。なので、突然固まった先生を見た英太くんはびっくりしていた。


「……あのー…?」


英太くんが声をかけると、白石先生は我に返った。しかし平然とは出来ておらず目を泳がせていた、しかもその目は決して俺のほうを向かないように。


「あ、ごめんなさい、えっと私…今ちょっとあの」
「先輩お疲れ様です!俺買いますっ」
「わ」


その時白石先生の後ろから、一年二組のバレー部の後輩が現れた。執事っぽい格好をしているから一瞬分からなかった。
彼らは何名かの運動部とともに買ってくれてそれは助かったけど、その隙に白石先生が居なくなったのは気が悪い。なんで逃げんの?


「つとむのやつ、白石先生なら買ってくれそうって言ってたのになー。腹減ってなかったのかな?」


脳天気な解釈をする英太くんの声も相まって、俺は少しだけ苛々が募っていく。せっかくの学園祭なのにこんな気分になりたくなかった。


「…知らない。嫌いなんじゃないの」
「焼きそばパン嫌いな人なんて居るか?」
「そっちじゃねーし」


俺の事だし。と英太くんに言ったらまたややこしくなりそうだし、言えるわけもないし、今この場で苛々に任せて声をあげなかっただけ許して欲しい。
今日はもう絶対に一年生のクラスになんか行くもんか。こんな事になっていなければ「先生、その服似合ってるね」なんて話しかける事が出来たのに。学園祭なんかさっさと終わってしまえ。