12
ぎこちない春


花巻くんに謝罪されたのを最後に、私たちは会話をする機会が無くなった。お互いがお互いに近づかないようにしたから。
寂しさはあったものの以前のような重苦しい気持ちは無く、私は平和な学校生活を取り戻したかに思えた。その証拠にあれから数週間、全く何も起こらなかった。少なくとも私の身には、何も。


「花巻、黒田さん来てるよ」
「ん、あー…うん」


クラスメートの呼びかけに立ち上がり、花巻くんが教室を出た。あまりテンションは高くない。私とは顔を合わせないものの今日も普段どおり明るかったのに、黒田さんの名前を聞いた瞬間に声色が変わったように思えた。そして、そんな彼の様子に気付いたのは私だけではなかった。


「あいつら喧嘩でもしてんのかな」
「え?破局?」
「シー」
「でも最近、あんま上手くいってないみたい」


クラス内でも、最近の花巻くんがおかしい事は噂になっていた。黒田さんはあまり教室内に入ってこなくなったし、花巻くんの口から黒田さんの名前が出る事も減ったのだ。

きっとそれは私が起因している。でも、ここから先はもう私には何も出来ない。どうか二人が上手く仲直りしてくれますようにと祈るしか出来なかった。私は花巻くんとは顔も目も合わせなくなり、二週間ほどが経過していた。


「いらっしゃいませー」


週末のアルバイトでの事、私は中で洗い物をしており表ではおばさんが机を拭いていた。そこへ新たなお客さんがやって来て、おばさんが出迎える声が。席への案内は基本的に私の仕事なので、おばさんが私を呼んだ。


「すみれちゃーん、お客さん」
「ハーイ」


ちょうどお皿を洗い終えた私は手を拭いて表に出た。メニュー表とおしぼり、お水を持ってお客さんのところに向かう、と。


「いらっしゃいま……、」


そのお客さんは席に座ってはいなかった。それどころか入口に立ったまま、奥から出てくる私をただ待っているようだった。目が合うと私に声を掛けるかどうか悩んだようだけど、何度か頭をかいたり服を強く握ったりして間を持たせている。立っていたのは花巻くんであった。


「…ゴメン。忙しい?」
「え…えっと、いや」


お店自体は忙しくない。けど、花巻くんの言う意味は「今、この場所から外せるかどうか」である。
ちらりとおばさんを見ると、おばさんは「どうぞ」とお店の外に出るよう手のひらで促してくれた。


「ほんとごめん、急に」
「ううん…あの…なにか用?」


おばさんの喫茶店は一等地ではないので、お店の前は人通りが多くない。だけど少なくもないので、お店の真ん前ではなく細くて目立たない路地に移動した。
こんなところに二人きりなんて、いつかの私ならドキドキと浮かれていただろうけど。今日はあまり嬉しくない。花巻くんが明らかに浮かない顔をしているからだ。決して良い知らせでは無いように思えた。


「俺、彼女と別れた」


そして、その予想は当たってしまった。しかも一番最悪の内容で。生まれて初めてショックのあまり目眩がした。


「……えっ!?え、うそ…」
「嘘じゃないよ」
「え…なんで?私のせい」
「違うから。聞いて」


花巻くんは至って冷静で、取り乱す私の両肩をぐっと押さえた。今はそれにドキドキする余裕もない。花巻くんたちが別れたのって、絶対私のせいだ。他に原因が見当たらない。


「俺、彼女のことは好きだったよ。でもなんか違うかなって思う時もあって…それを言わなかった俺が全部悪いんだけど」


一生懸命それらを訴えてくれたけど、あまり耳に入ってこない。だけど花巻くんは言葉を続けた。


「だから白石さんのせいじゃない。むしろ白石さんが怒ってくれたおかげで目が覚めた。ちゃんとアイツと向き合わなきゃいけなかったんだって」


焦点の合わない私の目に必死に写りこもうとする花巻くん。私が思いのまま怒鳴りつけたあの事を、聞き流さずに考えてくれたんだ。


「俺、奈々が明るいし優しいから。ちゃんと話し合わずに甘えてたんだよ、一緒に居ること自体は楽だったし」


そこまで言うと、花巻くんはようやく手を離してくれた。肩への圧迫からは開放されたけど未だ頭は混乱している。むしろ冷え切っていると言うべきか。


「……でも、それって…絶対、私のせい…だよね」
「違うって」
「きっかけは私だよね?」
「絶対違うから」


嘘だ、私のせいだ。そうとしか思えない。けれど花巻くんは私を責める事はせず、それどころか落ち着かせてくれた。


「それだけ言いたくて来た。学校じゃ話せないし」
「……」
「奈々も、白石さんの事は何も言ってなかったから…それは分かってると思う。白石さんのせいじゃないってのは」


黒田さんの名前を聞くと余計にドキッとしてしまった。黒田さんは花巻くんの事をとても好きだったから。


「…ごめんなさい」
「何で謝るんだよ!違うんだってば」
「でも、私、そういうつもりじゃ…二人の邪魔したくて、好きになったんじゃない」
「分かってるから」


悪いのは俺だったから、と花巻くんか呟いた。これも私のせい。私が花巻くんに「何も分かってない」と言ってしまったせいだ。でも彼はそれを心から受け入れているようだった。


「俺まだ、白石さんの事はあんまり、その…そういう目では見てなかったから。単に仲良くなろうって思ってただけで…それが駄目だったんだけど」


それどころか私の花巻くんへの気持ちに対しても、きちんと考えてくれていて。


「だからホント、今まで通りに接してほしい」


そして、身体の大きさにしては弱々しく、だけどハッキリとそう言った。

今まで通りに、普通の友だちのように接する事が出来るならどんなに幸せだろうか?
一年生の時、同じクラスの同じ班だった時は毎日が幸せだった。三年生で再びクラスが一緒になって、黒田さんという彼女が出来ていたけれど、花巻くんは前と変わらず明るくて分け隔てなく平等な人であった。そんな人と付き合いたい、だけど無理だ、彼女が居るんだから。そんな葛藤を抱きながら過ごしてきた結果、「友だちのように接する」事の辛さを知ってしまった。


「…酷だよ。それは」


私が首を振りながら言うと、花巻くんは少し驚いていた。


「花巻くんのこと、好きなのに…っ、そんな、普通にとか、無理」


絞り出した声とともに涙が出てきた。だって無理なんだから仕方ない。


「……ごめん。無神経だったかな、」
「でも!今みたいに、同じ教室に居るのに無視して過ごすのとか、それはもっと嫌なの!ちょっと仲良くなれて嬉しかったからっ、それが無かった事みたいになるのは苦しくて、だからっ」


あれも無理でこれも嫌なんて勝手極まりないけれど。黒田さんへの申し訳なさだって沢山残っているけれども。花巻くんへの「好き」という気持ちだけは誰とも比べられないのだ。


「…友だちになってください」


改めて言う言葉じゃないだろ、と笑われるかも知れない。わざわざ口にするような事じゃないだろうと。
予想どおり花巻くんは少しばかり笑って、だけど聞こえてきたのは予想外の言葉だった。


「俺ら、ずっと友だちじゃん。一年の時から」


一年生の時、私は花巻くんに恋をして、それからずっと少しでも仲良くなりたいと思っていた。あわよくば友だちになりたい。奇跡が起きるなら付き合いたい。でも花巻くんはもうずっと前から、私を友だちとして見てくれていたのだ。


「仲直りしてくれますか」


花巻くんは右手を差し出してそう言った。
もちろん、と答えたかったのに声が出なくて私も右手を出す事で返事した。それをぎゅうっと握りながら花巻くんは「よかった」と笑った。それはこっちの台詞だ。よかった、花巻くんに嫌われていなくて。花巻くんと友だちになれて。花巻くんと出会えて、この人を好きになってよかった。


「……あ。白石さん、呼んでる」
「え…うわ」


頭の後ろでコンコンと音がしたので振り向くと、おばさんがこちらを覗いているではないか。とんでもない場面も見られてしまった!慌てて私たちが手を離した時、おばさんが目を細めながら言った。


「そろそろお手伝いしてもらっていいかなあ?」
「すんません!もう終わりました」
「戻る戻る!戻ります」


今は時給が発生しているアルバイト中だというのを忘れてた。お母さんに告げ口されなきゃいいけど、色々と。
エプロンを結び直しながらお店に戻ろうとすると、花巻くんは入口のところで私を見送ってくれて、最後に手を振ってくれた。


「じゃあ白石さん、また学校でね」
「うん」


私もほんの少しだけ手を振り返し、お店のドアを閉めたのだった。そしてドアに背を預けてふうと息をつけば、おばさんの何か言いたげな顔。


「…告白でもされた?」
「まさか。されてないよ」


告白だったらもっと我を忘れていると思う。でも今日は、告白よりも素敵な事があったと言えるかもしれない。「ちょっと良い事あっただけ」と答える私に、それ以上何も聞かなかったけど。おばさんの顔は思いっきりニヤニヤしていた。