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私は花ではありませんでした


「なんて事を言ってしまったんだろう」という罪悪感と、「これでもう悩まされる事はない」という開放感で変な気分だった。お世辞にも気分爽快とは言えない。
そんな中、全く体調を崩してなんかいないおばさんのお店で、私は今日もアルバイトをしていた。


「すみれちゃん、これ青城じゃない?」


だけどおばさんの口から聞こえたのは学校の名前で、しかも指差されたテレビにはインターハイ予選のニュースが流れていた。バレー部の。今日は有り難い事に花巻くんは、試合のために学校に来ていなかったのだ。


「あれっ、これ、こないだの…」


おばさんは画面に映る一人の人物を指した。特徴的な髪色のその人は、先日ここに立ち寄った花巻くんだ。私の好きな人である。


「負けちゃったんだね」


そして、おばさんが肩を落としながら言った。
青城高校のバレー部は予選の決勝で敗退した。試合を見に行くねと一度は約束したのに、嘘をついて見に行かなかった。私が応援に行っても行かなくても結果は変わらなかっただろうけど、もしもそれをこの目で見届ける事が出来たなら。なんて、彼女でもないのに夢みたいな事。
もちろん勝ち進んで欲しかったけど仕方ない。私と花巻くんは、絶交したのだから。



次の日、数日ぶりに花巻くんを始めとするバレー部が登校してきた。その姿を見るや否やクラスの人はあたたかく迎え入れ、それぞれに声を掛けたのだった。


「バレー部お疲れー」


お疲れ様。私も心の中で伝えておいた。もう関わるなと言っておきながら、こういう時だけ話しかけるような厚かましい事は出来ないから。
それに私は彼らの会話を聞いているだけで、花巻くんのほうを見ないように努めていた。


「仕方ないわあ。白鳥沢だもん」
「んー。まあ次、秋だな」
「そうそう」
「その時絶対応援いくから」


既に次の大会に向けての話になっている。負けた事ばかりを気にしていられないのだろう。
秋には私たちの関係も少しはマシになっていて、こっそりと応援に行けるのだろうか?いや、きっと行かない方がいい。あそこまで言っておきながら、まだ私は花巻くんの勇姿を見たがっているなんて。私が行かないぶん、他の人が見に行けばいい。


「いや、忙しかったら来なくてもいいよ?」


ところが花巻くんからは耳を疑うような言葉が聞こえた。バレー部の試合に「来なくてもいい」だなんて彼の口からは聞いた事がない。周りに居たクラスメートも驚いているようだった。


「いっつも来い来いって言うくせにどうした」
「んー…まあ色々」
「女子のギャラリー増えたら黒田さんが嫉妬するから?」


黒田さんの名前が聞こえた瞬間にドキッとした。あれから黒田さんを遠くのほうで見かけた事はあれど、顔を合わせてはいない。黒田さんがこのクラスに来る事もなくなった。私が居るからだろうけど。
花巻くんは「そういうんじゃねーけど」と否定して、さらに言葉を続けた。


「そこらじゅうに良い顔すんの、よくないかなって思っただけだよ」


私はまたドキッとしてしまった。花巻くんのこの台詞、まさか私が言った事を意識しているのではないかと。自意識過剰かもしれないけれど。
どうか思い過ごしであって欲しい。私の言動が花巻くんの行動に制限をかけてしまうなんて望んでないから。


「そうか?応援は別じゃね?」
「知ーらね。ホレッ移動移動」


不思議がる男子を軽くいなして、花巻くんは五限目の教室に移動するよう促していた。
一体どんな表情だったのだろう。怖くて花巻くんのほうを見れないけど、「そこらじゅうに良い顔するのはよくない」って、本心だろうか。それとも私への当てつけとか。そんな事をする人では無いって分かってるけど。


「すみれちゃん、科学室いこう」


考え事をしていると、私も友だちにそう言われた。花巻くんが移動教室だという事は、同じクラスの私も移動しなくてはならないのだ。


「あ…うん。いこう」
「調子でも悪いの?」
「ううんっ」


例え調子が悪くても、悪いだなんて言えやしない。自業自得だし。花巻くんと同じ教室内に居る以上、なるべく自分の存在を主張したくないのだ。花巻くんには、私の事なんて気にせずに過ごしていて欲しいから。



「白石さーん」


その日の午後、帰りのホームルームが終わった直後に名前を呼ばれた。クラスの女の子だ。少し申し訳なさそうに眉を下げているって事は、何か頼み事があるように見えた。


「なに?」
「ゴメン、ちょっと妹の迎えに行かなきゃいけなくなって…掃除代わってくんないかな」


彼女は今日の掃除当番を代わってくれと言う。
妹のお迎えって本当かな?という意地悪な疑問も正直あったけど。ここ最近の私の言動は褒められたものではない。花巻くんや黒田さんへ直接の罪滅ぼしが出来ないのなら、他の誰かを助ける事で少しでも罪が軽くなるのではと考えた。それが全く関係ない事でも、そう思わなきゃやってられないのだ。


「いいよ。どこ?」
「廊下とそこの階段!ごめんね」
「ううん」


どうせ暇だし。私は打ち込んでいる部活も無いし、一緒に放課後を過ごす彼氏も居ないし。
とても卑屈で醜い感情が溢れているのも、掃除を引き受ける事で少しは浄化されますように。

本来掃除は二人一組のはずだけれども、もう一人の掃除当番は姿を表さなかった。もしや二人で私に押し付けて行ったのかな…とも思ったけれど、よく考えればもう一人は今日、風邪を引いて欠席しているのだった。人の駄目なところばかり見ようとするな、私。そんなだから上手くいかないんだ、何もかも。

廊下と階段くらい一人でもそんなに大変ではないので、私は全ての箇所を履き終えてから箒を廊下の窓に立て掛けた。それからちりとりを取りに行き、戻って再び箒を取ろうとすると。


「あ」


不安定なところに立てていたせいか、箒がカランと倒れてしまった。
ああ、面倒くさい。思わず溜息が出そうになったけど、それは一瞬にして飲み込んだ。なんと倒れた箒のすぐそばに、花巻くんが立っていたのだ。


「………」


彼の様子からすると、教室を出て歩いていたところに丁度この箒が倒れたようであった。
私と花巻くんはほんの一瞬目が合って、でもすぐに私ではなく花巻くんのほうから逸らした。
そのまま私の横を通り過ぎてくれればいい。そう思ったのに、花巻くんがその場で腰を折り曲げて箒を拾おうとするではないか?


「いい!やる」


私は思わず強めに叫んでしまった。もう私に何かをしようとか、関わろうとか、優しくしようとか、そういうのはやめて欲しい。例えそれが「偶然足元に落ちた箒を拾う」、たったそれだけの動作だとしても。

しかし花巻くんは私の制止を聞かずに箒を拾って、私に差し出した。
少し迷いながらも私は黙ってそれを受け取り、ちりとりを置いて掃除を続けようとしたけれど。驚いた事に花巻くんが再びしゃがみ込んで、今度はちりとりを持ってくれているのだ。


「ん」


極めて短い声であった。私との絶交を守ろうとしているのだろうか。


「ん!」


なかなかゴミを履き入れようとしない私に、花巻くんが再び唸ってちりとりを揺らした。
こんなの、黒田さんに見られたらどうするつもりなの?花巻くんが何を考えているのか全く分からず、だけどやらなきゃ掃除を終える事も出来ず。仕方なく花巻くんと二人で掃除を終えたのだった。


「………もう、いいから」


ちりとりにゴミを集め終えたところで、私は花巻くんに声を掛けた。
私が空いているほうの手を出すと、何か言いたげに見下ろしながらもちりとりを渡してくれた。私はそれを受け取って、そのまま踵を返して教室に戻ろうとしたが。


「こういうのも駄目なんだ」


と、花巻くんが小さく言ったので足を止めてしまった。
二人一組で行うはずの掃除を一人で行っているクラスメートを見つけて、たまたま箒が足元に落ちてきて、それを拾って掃除を手伝う。それすら許されないのかと、花巻くんは訴えているらしかった。

許さない。そんなのは。花巻くんは、黒田さん以外の女子に優しくするべきじゃない。少なくとも私には鬼になってほしい。


「…できれば、やめてほしい」


そのように伝えると、花巻くんはしばらく無言だったけど「そっか」と答えた。心無しか残念そうに。
それで終わりだと思って、私は今度こそ教室に戻ろうと足を踏み出した。


「白石さん。いっこだけ言わせてほしいんだけど」


しかし、今度は明確に引き止められてしまった。しかも私に何か用事があるのだと言う。そんなの聞きたくない。何を言われても良い事なんか無いはずだから。私は何度か首を振った。


「…やだ」
「聞き流していいから。俺が勝手に喋るだけだから」


けれど花巻くんは諦めずに、喋らせて欲しいと訴えていた。
それを全部無視して進むだけの強さも持てていない私は、悲痛な顔で話そうとする花巻くんをなるべく見ないようにして、背中を向けて立ち止まった。


「俺、ほんと、ごめん」


最後の三文字は声が震えていたように感じた。振り向くな、振り向くな、花巻くんと目を合わせるな。私は花巻くんの去っていく足音が聞こえなくなるまで、必死に動くのを耐えたのだった。