04体育館内はすでに決勝戦の空気が作り上げられていた。
ウォームアップをしながら青城のベンチを見やると、白石さんはタオルやドリンクの用意だけでなく部員への声かけも怠らない様子。
前の高校でもマネージャーとして有能であったであろう事が伺えた。
「あんまり見ないでくんない?」
その俺の視界の中に突然入ってきたのは、及川徹だ。とげとげしい言葉とは裏腹に、その表情はいたって穏やかだった。
「白鳥沢のセッターと電車が同じって言ってたから誰かと思えば」
「………」
「キミだったんだ。セッター代わったんだね」
「…はい」
どうやら「白鳥沢のセッター」という事で瀬見さんの事だと思っていたらしい。
確かに去年の春高までは瀬見さんが正セッターだった。今年のインターハイ予選からその座に着いたのは俺だ。
「まーあー、うちの可愛いすみれチャンを痴漢から護ってくれたのは礼を言うよん」
「いや、大した事してないんで。」
「オイ!かわいくねーな!」
「失礼します」
及川との会話は、相手にその気が無くとも俺の心に大きく揺さぶりをかける。絶対的な能力の差、体格の差、経験の差を押し付けられる。
そこへ更に加わったのは厄介な事に、毎朝の電車で会う女の子と親しげにしている事だ。これ以上及川と会話をしてはならない。俺の脳からは危険信号が発信された。
「賢二郎〜〜」
背後から天童さんの声がした。
「生きてるゥ?」
白石さんの事が無かったとしても、スタメンとして初めての決勝の舞台で少しだけいつもより硬くなっているのを見抜かれている。
ここでしっかりしなければ正セッターの椅子は瀬見さんの元へ逆戻りだ。
「生きてます」
「…本番は?」
「練習どおり。大丈夫です」
「ならいいよー」
背中をばしんと叩かれて、天童さんが俺に気合を入れる。
それとほぼ同時にウォームアップ終了のホイッスルが鳴り、いよいよ決勝戦が開始された。
◇
そして、その試合。牛島さんはやっぱり安定していて、2−0のストレート勝ち。正直言ってこの人に敵う人なんか同年代に居るのかどうかすら不思議だ。
相手チームの悔しがる姿も見慣れてきて、いつか自分が相手の立場になる可能性がある事なんて忘れてしまいそうなほど。
相手のほうに目をやると、白石さんも泣きはしなくても悔しそうだった。…今この場では関係のない事、なんだけど。
「挨拶いかなくて良いの?」
太一は何の気を遣っているのか、白石さんへの挨拶を促してきた。たった今負かせたチームの居るところへ行くなんて嫌がらせみたいじゃないか。
「…行かない。イヤラシイだろ」
「いや敵チームとしてじゃなくて、知り合いとして?みたいな」
「何だよそれ。」
「お、ホラホラ!あそこ」
太一の指差す先を見ると、白石さんが一人で水場に着いたところだった。ボトルの中に残ったドリンクを捨てて洗っている様子。
太一に背中を突かれながら、まあ一人で居るなら…と声をかける事にした。
「お疲れ」
「あ…白布くん。インハイ出場おめでとう」
「ありがと…俺の力じゃないけど」
「そんな事ないよ」
少しだけ悔しそうではあるものの、青城で過ごした時間がまだ短いからなのか落胆している訳では無さそうだ。
「1番の人凄いね。牛島さんだっけ?東京でも有名だった」
「ああ。牛島さんは凄いよ…、あの人が居なきゃ俺はスタメンじゃないと思うから」
「…そうなの?」
「うん」
と、肯定したはいいもののあまり雰囲気の良い会話とは言えなくなってしまった。
せっかく話しかけたんだから何かもっと次に繋がるようなことを話せばいいのに。どうせまた電車で会うんだけど。
「でも白布くんがスタメンなのは事実だよね」
ボトルを水でゆすぎながら白石さんが言った。
「…まあ、うん」
「じゃあ白布くんが居なきゃ、牛島さんは力を発揮できないって事だよね」
「………え?」
「そういう事だよね。そのメンバーで勝ったんだから」
蛇口をきゅっと締めて、白石さんは空のボトルを集めひとつの鞄の中に仕舞った。
その姿を無言で見つめる俺の背中をぽんと叩いて、去り際に彼女はこう言った。
「ちゃんと自分にも自信もちなよ、白鳥沢のセッターさん!」
その瞬間、俺は落ちた。
いや、落ちたのか昇ったのか分からないがとにかく白石さんという女の子の言葉に自分のマイナス部分を全てすくい上げてもらったような、そんな気分になったのだ。
また電車でね、と言って歩いていく背中を見送りながら心がふわふわ浮いているのを感じた。
「…反則だ」
「俺もそう思う。」
「太一!?いつからそこに」
「今だけど…会話はコッソリ聞いてました」
「サイッッッアク」
女の子との会話を影で聞かれるなんてくっそ恥ずかしい。しかも俺の気持ちは、その会話の中で完全に彼女へ傾いてしまったのだ。
「賢二郎、今の台詞ヤバイよな?計算じゃなかったら相当な悪女だね」
「……計算じゃない。と、信じる」
「…うわぁー手遅れじゃないですかー」
「うるせえ」
俺の役目は牛島さんの引き立て役で、極力目立たなくて、見方によっては居ても居なくても良いような存在となる事。の、はずだったのに。
それが白鳥沢のセッターの、あるべき姿だと言うのに。
「…あれは駄目だよ。ずるい」
俺も太一も、帰りのバスではその言葉しか出てこなかった。
04.魔法にかけられた僕ら