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あなたのための私の失恋


一日の中で一番大好きなご飯は、晩ご飯だ。テストが上手くいかなくても友だちとちょっぴり喧嘩したときも、好きなアイドルが解散したときも、ご飯を食べればほんの少し元気が出ていた。だけど今回ばかりは全く気分が上がらなくて、むしろ食べたご飯の量だけ体重が重くなっているような、そんな感じがする。

花巻くんに向かって「もう話しかけないで」なんて、失礼極まりない事を言ってしまったのでは?悲しませてしまったかも。
でも、もし今後花巻くんが私と楽しく会話をしたところで花巻くんへのメリットはない。彼女の反感を買うだけだ。むしろ彼は気付かなければならない。分け隔てなく優しくするのは素晴らしいけれど、時にとても残酷なのだという事を。


「…ごちそうさま」
「え、もういらないの?」


普段ならおかわりするくらい大好きなクリームシチューを、一杯だけで終えてしまったのでお母さんがびっくりしていた。

私だってこんなに食欲がなくなるのは初めてで戸惑っている。花巻くん、私の事を嫌いになってしまったかな。突然あんな失礼な事を言ったのだから、軽蔑されても文句は言えない。
でもその代わり私は、黒田さんとの険悪な雰囲気を解消する事ができる。それだけが救いだ。明日からはもう、黒田さんの目を気にせずに教室に居られるだろう。

そう思って登校した次の日、私は自分の考えが甘かったことをいきなり思い知らされた。黒田さんに早々に呼び出されたのだ。
朝の屋上には誰も居なくて、会話を邪魔される事が無い。それが私にとっては不都合だけれども、彼女にとっては好都合のようであった。


「……貴大に言った?」


黒田さんは震える声で言った。私が花巻くんに何かを言ったかって、そんな事を急に聞かれると言葉に詰まる。それに、黒田さんはとても怖い顔をしていたから。


「え…」
「言ったの!?」
「えっ、?」


私が答えられずにいると、黒田さんは更に眉を釣りあげた。それから一歩ずつ私に近付いてきた。ポケットからスマホを取り出し、それを私に見せながら。


「昨日電話きて!貴大から!白石さんに何か言ったのかって!」


それを聞いた瞬間にヒヤリとした。花巻くん、昨日の私との会話を黒田さんに話したんだ。


「…私は、なにも…」
「嘘つかないでよ、じゃなきゃそんなの貴大が知るはずないじゃん」
「そうだけど、それは」


おそらく花巻くんに悪意はない。だけど、黒田さんからすれば悪意しか感じないだろう。私に対しての恨みしか生まれないだろうと思えた。


「私は花巻くんに、もう話しかけないでって言っただけで」


だから、私は正直に言った。黒田さんの名前は出していないことも。


「黒田さんのことは何も言ってないから…」


これらは全部本当の事だ。だけど、黒田さんは全く納得していない様子だった。さっきまで怒りに震えていた彼女はもう、今にも泣きそうだ。


「どうしてくれんの、昨日から大喧嘩だよ」


あろう事か私のせいで黒田さんと花巻くんは喧嘩になってしまったらしい。あんな事を言うんじゃなかった。昨日の様子だと花巻くんは何も知らないのだから、私が何か言えば黒田さんを注意しそうな事くらい予想できたのに。


「……ごめん」
「どうするの!?」


黒田さんが悲痛に訴えるたび、ぐさぐさと私の心に刺さる。私って本当に邪魔な女だな。好きでいるのは誰にも悟られるべきじゃなかった。少なくとも黒田さんには。


「私はもう、花巻くんには近づかないから。もう何もしないし、話しかけられても無視するから…」


私はそう言って黒田さんを慰めようとした。とうとう泣いてしまったから。


「だから、あの…ゴメン。それしかできなくて」


しばらく何も言わず泣いていた黒田さんだけど、その時、顔を上げて私を睨んだ。その気迫に思わず仰け反ってしまいそうになる。しかし黒田さんは、そんな私を逃がさないとでも言うかのようにずっと睨みつけていた。


「別れることになっちゃったら、白石さんのせいだからね」


最後にこの言葉を言って、黒田さんは屋上を後にした。
黒田さんへの怒りとか嫉妬とかは、もう浮かんでこない。私は一組の幸せなカップルを破局させてしまう原因を作ってしまった。もはやその罪悪感のほうが大きかったのである。



朝一番にそんな事があったので、もともと元気のなかった私は更に生気を失った。もちろん友だちにも心配されたけど、生理だからと嘘をついて納得させた。本当は私、生理痛はあんまり酷くないのに。

私がそんな感じだからか、友だちは気を遣って休憩中にはあまり話しかけて来なかった。もし話しかけられたとしても笑顔で対応出来なかっただろうし、ありがたい。

だけど、私が「生理で調子が悪い」というのを知らない人物が居た。その人は休憩中、私のそばまでやってきて、机をトントン叩いてきたのだ。


「え…」


そこに居たのは花巻くんだった。話しかけないでと言ったからか、声をかけてくることは無く。だけど私と目が合うと、プリントの切れ端を机に置いて自分の席に戻って行った。


『やっぱり何か言われたよね、ごめん』


書かれていたのはこんな言葉。昨日の夜、黒田さんと喧嘩をしたのは本当らしい。
でも、だからってもう私は何も出来ない。する必要が無い。あとは花巻くんと黒田さんが仲直りしてくれるのを願うばかり。
それなのに、花巻貴大という人は。


「ねえ」
「!」


放課後になると私が教室から出たのを見計らって、話しかけてきたではないか。しかも黒田さんのクラスの前を過ぎてから、という徹底ぶり。
しかし私は花巻くんの声に反応する事はせず、そのまま下駄箱に向かって歩き続けた。


「白石さーん…」


私が無視しているあいだも花巻くんは付いてきた。早足になってみたけれど、花巻くんのほうがうんと脚が長いので意味が無い。でも花巻くんは私を追い越さずに、私の隣を歩き続けた。時折「白石さん」「ねえってば」と呼びかけながら。
もちろん私は反応しない。無視を決め込んでいるからだ。だけどいくら心の広い花巻くんでも、こんなに近くに居る私に無視されるのはイライラしたみたいで。


「ちょっと」


と、ついに私の腕を掴んで引き止めた。


「無視はひどいよ」


それから、ちょっぴり悲しそうにこんな事を言ったのだ。
ひどいのはどっちだ。好きな人が私の腕を掴んでくれたら、もっと嬉しい気分になると思っていたのに。最低の気分だ。今すぐ離してほしい。なのに、腕から伝わる花巻くんの体温が熱くて、それにドキドキしてしまうなんて。


「…ごめん、私、急いでるから」
「じゃあちょっとだけ聞いて。一分だけ」


まだ私の腕をしっかり掴んだままの花巻くんが言った。
こんなところを他の人に見られるのは御免だ。でも頷かなければ離してくれそうもない。仕方なく力を抜くと、花巻くんの手がやっと離れた。それに対して少し「寂しい」と感じる自分にも嫌気がさした。

下駄箱の近くは下校する生徒の通りが多いので、この時間には誰も居ない家庭科室へと場所を移した。まるで告白するか、別れ話でもするみたいな状況。付き合ってもないし、両想いでもないのに。


「奈々にはちゃんと言っといたから。友だちに迷惑かけんなっていうのは」


はじめに口を開いたのは花巻くんだった。その声色は柔らかくて、さっきあれほどの力で私の腕を掴んでいたとは思えない。でも彼の発した「友だち」という単語には、しっかりと心を抉られた。


「だから白石さん、今までみたいにさ、時々でいいから話してくんないかな」


花巻くんは更に私の心を抉り続けた。これからも話をしようって?そんな脳天気なこと、できるわけが無い。私は数回首を振った。


「どうして無理なの?」


まさか断られるだなんて思っていなかったのだろう。花巻くんは、大きく目を見開いて言った。
私にとってはこれが「どうして」だ。どうして花巻くんは、そんな事が言えるのだろう。だんだん私は彼の思考回路が分からなくなり、いつの間にか拳を握りしめていた。花巻くんはそれにも気付かず「あっ」と何かを思いついたように言った。


「…奈々がまた今日、何か言ったとか」
「違う!」


自分でもびっくりするほど大きな声で、私は花巻くんの言葉を遮った。それ以上に花巻くんも驚いていたけど、私は構わず話し続けた。今まで溜まっていたもの全てを吐き出すみたいに。


「黒田さん、何も悪くないよ。黒田さんは花巻くんが好きなだけで」
「でも、だからって白石さんに嫌がらせすんのは」
「嫌がらせじゃない!」


ビクッと、怯えるように花巻くんが震えた。花巻くんのこんな顔を見るのは初めてだ。そこで冷静になれれば良かったのだが、私は止まらなかった。だって、黒田さんが私に嫌がらせをした事なんて一度もないのだ。


「……花巻くん、なにも分かってないよ。どうして私に話しかけるの」
「え…そりゃあ…クラスメートだし、友だちだから」
「ほら!何も分かってない」


私はそれをやめて欲しいと言っているのに、まだこんな事を言うなんて。それが私を、それどころか黒田さんまでもを苦しめているとは知らず。そして、どうして私が苦しんでいるのかなんてこの人は絶対に気付かない。このままでは。


「私、花巻くんが…一年の時から、ずっと」


その続き、ずっと言わずにいようと思ってた。もしも言える日がくるなら幸せだろうと思ってた。でも、そんな理想はもう崩れてる。言わなきゃ全員不幸になるから言う、消去法で選択された手段なのだから。


「ずっと、もうずっと前から好きなの。優しくされたら困るの!話しかけられたら浮かれちゃうの!仲良くなれたって付き合えないのに!黒田さんが居るから!」


こんなことを言うなんて最低だ。こんなに勝手な人間は見た事が無い。私は自分の恋が上手くいかないのを黒田さんのせいにしている。自分に勇気が無かったからなのに。現実から目を逸らして優しい花巻くんに甘えていたのは自分なのに。


「…黒田さんは不安がってるんだよ…嫌がらせじゃなくて。黒田さんは、私が花巻くんを好きな事に気付いてるから」


花巻くんはさっきからずっと、狂ったように訴える私を呆然と見ていた。さぞかし滑稽だろうけど、これでもう最後だから。これが、私と花巻くんとの最後の会話だから。


「だから黒田さんのこと、大事にして。私なんか好きじゃないから、白石とはもう仲良くしないからって言ってあげてよ!」


せめて黒田さんと仲直りしてくれれば報われる。そのひと握りの希望を込めて告白し、改めて私は花巻くんに絶交を申し出たのだった。