08
身の丈にあったラブバラード


家に帰る足取りは重くて、せっかく借りたCDの存在も寝る直前まで忘れていた。
一度だけ聞いてから寝て明日感想を伝えよう、そう思って聞いた曲はアップテンポの楽しげな曲で。今の私にはまったく合わない歌詞や曲調に共感することが出来なかった。もしも今日、黒田さんとあんな事がなければこの曲を聞いて少しはましな気分になれたかもしれない。

翌日は久しぶりに仮病を使って休むかどうか悩んでしまった。最後に仮病で休んだのは小学校の時で、どうしてもマラソン大会に出るのが嫌で体調が悪いふりをしてしまったっけ。そして家で寝ている間、とんでもない罪悪感だったのを覚えている。
今また休んでしまったら、私はあの時から成長していない事になる。学校には行かなくちゃ。何も悪い事なんてしていないんだし、いつも通りに過ごせばいい。ただひとつ、花巻くんの視界に入らないようにすればよいのだ。


「おはよー」
「はよっす!」


敢えてぎりぎりの時間に登校したせいか、教室の中からは花巻くんがクラスメートと挨拶を交わすのが聞こえる。
早くに登校して席で寝たふりでもしておくか、ぎりぎりに登校してなるべく花巻くんに会わないようにするか悩んだ結果だったけど。もし私が教室に入ったら花巻くんは話しかけてくれるのだろうか。前までは絶対にそんな事なかったのに、偶然に偶然が重なったせいで最近は少し距離が縮まっていたのだ。

ただ、それを純粋に喜んで受け入れることはできない。私は昨日、黒田さんに懇願されてしまったのだから。
「私の貴大を奪わないで」という言葉、そんな勝手なお願いがあるだろうかと思いがちだけれども、私には彼女の気持ちが理解できる。だって、もしも私が黒田さんの立場だったなら、私という存在はとても邪魔に違いないのだ。


「……」


私はゆっくりと教室に入った。気配を消して。無言の私が歩いていればわざわざ声をかけてくる人は少ない。仲のいい人は限られているし。クラスの中心的な人たちとは、そこまで親しくないんだし。


「あ!すみれちゃーん 」


その時、完全に油断していた背後から声がした。勢いよく振り向くといつも一緒にいる友だちが居て、トイレにでも行っていたらしく教室に入ってくるところだった。


「あえっ、お、はよう」
「どうしたの?」
「いや、…」
「ね、CDどうだった?」


そんな会話をしながら自分の席に歩いていく、あまり大きな声を出さないようにしながら。そう言えば昨日CDを借りたのだった。寝る前に一度聞いておいてよかった。


「あ、うん…なんかすごい元気出た。二番のサビいいね」
「でしょー、それでね、写真集も持ってきたから昼休みに見て〜」
「うん」


曲は確かに良かった。現在の私の気分とは合わなかっただけで。だから写真集を見るのも構わないし興味だってそれなりにある。だけど怖いのは、教室内に私が入ってきたのを花巻くんに知られてしまう事だ。


「石田さん、そのバンド好きなの?」


しかし遅かった。いつの間にか花巻くんが私と友だちの真横に来ていたのだ!ただし私にではなく、友だちの持っていたバンドの写真集に反応したようである。花巻くんは写真集の表紙を見て目を輝かせていた。


「そうだよ。え、花巻くんも?」
「ちょー好き!テンション上がるもん」
「だよね、今すみれちゃんにすすめてるところなんだ」
「マジ?」


花巻くんがぐるんと首を回してこっちを見た。そのせいで私は背中をのけ反り、花巻くんとの距離をとる。気付かれないように。だけど花巻くんは私が仰け反ったのと同じだけ前のめりになって、


「白石さんにも聞いてほしいな!絶対好きになってくれると思うから」


などと脳天気なことを言うのだった。
とうの昔に好きだ。花巻くんのことは。花巻くんがこのバンドを好きなら私もきっと好きになれる。でも、花巻くんと両想いになる見込みがないのに共通の話題を増やすようなリスクは負えない。だから花巻くんの言葉には愛想笑いしか返せなくて、そのうちホームルームが始まったので話を終えることができた。



花巻くんの好きなアーティストを知ることが出来た、それは良いんだけどこんなタイミングで知りたくはなかった。せっかく会話のきっかけが出来てもわたしはそれを広げることは出来ないし、広げたくない。いつどこで黒田さんの目に触れて、彼女の気分を害してしまうか分からないのだから。


「私はボーカルの人が好きなんだけど、ほらみて!可愛い」


だから友だちが昼休み、写真集のお気に入りのページを開いて言うのをビクビクしながら聞いていた。「花巻くんが会話に入ってきてしまったら?」という恐怖のせいで。以前までは「花巻くんが会話に入ってきてくれないかなぁ」だったのに。
だけど友だちとの話を遮ることも出来ず、私は言われるがままに頷いた。


「ほんとだね…やっぱりイケメンだね、ボーカルって」
「でしょー」


よかった、楽しそうだ。他の事を気にしてこんな薄っぺらい会話しか出来ない私をどうか許して欲しい。いつか別のかたちで穴埋めをするから、と心の中で彼女に詫びた。


「花巻くんも見る?」


ところがなんと、友だちのほうから花巻くんを呼んでしまったではないか。花巻くんが近くを歩いていたらしい。私の背後だったので気づかなかった。
慌てて黒田さんが一緒に居ないかどうか探してみると、今はこのクラスに来ていないようだ。さすがに彼女と一緒の花巻くんに声をかけるわけないか。


「すげえ、これインタビューとか載ってるやつじゃん」
「そうそう」


でも、例え花巻くん単体だとしても由々しき事態である。いつ黒田さんが何かの用事でやって来るか分からないのだ。
そんな懸念なんて頭に無い二人はひたすらバンドの話を楽しんでいる。が、やがて花巻くんが話題を切りかえた。


「そういやさ、インハイ予選来週なんだけど。来てくれるんだよね」


私は思わず息を呑んだ。花巻くんの出る公式の試合を観に行くと、以前約束したのを思い出したのだ。


「もちろん行くよー!ね、すみれちゃん」
「えっ」


その約束をした時は友だちも一緒だったので、当然会話はこのように進んでいく。だけど私は首を縦には振れなかった。だってその試合、絶対黒田さんも応援席に居るんでしょう。


「えっと…ええと…うん…いや」
「どうしたの?」
「いや、あの」


友だちも花巻くんも、二人して私が次に何を言うのか待っていた。どうしよう。


「い、行こうって…思ってたんだけど。あの、バイトがちょっと」


バイト、と言ってから更に思い出したのは、前に誘われた時の事。あの時私は「バイトは休みを申請するから大丈夫」と答えてしまったのだった。最悪だ、休めると言ったのにやっぱり休めないだなんて言えない。でも言うしかない。


「バイト、そんなに忙しかったっけ」
「うん…あの…おばさんが最近、体調よくなくて」
「えっ!こないだ会った人?」
「う、うん」


花巻くんはぎょっとした様子で身を乗り出してきた。この間私のおばさんと会っているから。
花巻くんは優しい人だからきっと、おばさんの体調を心配してくれている。友だちも何度かバイト先に来てくれた事があるので、そうなんだ、と心配そうにしていた。


「えっと…だから…いけないかもで」


尻すぼみになりながら最後にゴメンねと言うと、花巻くんは思い切り左右に首を振った。


「それは仕方ないよな。無理しなくていいから、お店手伝ってあげて」


ちくちくと心が痛む。自分だけでなく、自分の親戚の仮病までも仕立てあげてしまった。でも、もしも試合を見に行けば今よりもっと心が苦しくなるに違いない。だから行けない。行きたくない。


「……トイレ行ってくる」


花巻くんに向かって数々の嘘をつく自分の醜さに耐えきれず、私は席を立った。
教室を出ようとすると入口には黒田さんが立っていて、今のやり取りを聞いていたのかは分からないけど、じっと私を見てから「貴大!」と笑顔で教室の中へ。もう、やだ。黒田さんとクラスを代わりたい。